しかし、現代を生きる日本人の、どのくらいの割合の人が、明治の半ば過ぎに二十五歳という若さで夭折したこの作家の小説を読んだことがあるのだろうかとか、有名さの度合いから見てみるときに、いろんなことを思い巡らしてしまうときに、私にとっては、ありがたい選定をなされたものだと、感謝してしまうのである。
この紙幣がきっかけとなり、小生にもちょっとしたドラマが生まれたからである。
さて、今日は樋口一葉にまつわる、小生の、個人的な思い出話である。
樋口一葉の5000円札が発行されたのが、平成十六年11月(2004年)ということだから、そのころのことだと思う。
はじめて一葉の文庫本を購入し、横浜から東海道線に乗って東京に向かっている時のことである。
前の座席に座っていた私と同い年くらいの白人男性が声をかけてきて(上手な日本語で)、あなたはこの本を、職業上の理由から読んでいるのか、もしくは他の理由からか、と聞いてきた。
私は、「趣味だ」と答えた。
実際、明治時代の小説は漱石と鴎外くらいしか読んだ事がなく、一葉に関しては名前を知っているだけで、作品や功績についてはまったくの未知であったし、おそらく新札の肖像になることからの興味から、読んでみる気になったのだろうと思う。
さて、その白人の男性は、アメリカ大使館の一等書記官だった。
日本人と結婚しており、日本の古いものに興味があるのだということだった。
また、彼からみても、日本ではそれほど読む人が少ないこの作家のものを読んでいる中年男が珍しかったのであろう。(それ程、日本の文化についての彼の知識、理解はレベルの高いものだった)
車内での、短い時間だったが、なんとなく話しの接点が多くて面白かった。
駅に着いて別れるに際し、彼はよかったら明日の日曜日に大使館員の宿舎に遊びに来いという。
ちょうど、日曜日を挟んでの長期の出張中だった私は、時間もとれることではあるし、日本人がめったなことでは立ち入ることの出来ない、アメリカ大使館の施設に
行くことを決めて、翌日訪問した。
六本木あたりだったと思うが、壁で囲まれたマンションのような建物で、玄関には日本の警察官が警備にあたっていて、私が近づくと、いぶかしげな視線で胡散くさがっていた。
名を名乗り、訪問先を告げると、警察官は、先方に電話連絡して確認をとった。
確認がとれてからは、警察官の態度が一変し、敬礼までしてくれて、道案内をしてくれた。
建物は二つあり、ひとつには「ペリー・タワー」という名前の建物で、もうひとつが「グルー・タワー」と名づけられていた。
(ジョセフ・グルーについて・・・グルー)
言うまでもなく、二つの建物名は、日米関係の未来に至るまで、大きな影響を及ぼし続けるであろう人物の名前である。
アメリカ大使館の館員宿舎の建物名に、この二人の名前が冠せられていることに、「日米関係とは・・・」と、考えるヒントを与えられたような発見だった。
彼のお宅では、昨日の東海道線の車内の延長で、音楽の話や、日本の文化についての話を中心に数時間を過ごした。
また、日本のイタリアン・レストランの古くからの人気店で、宿舎のすぐ近くにあるキャンティで昼食をしたのも忘れられない思い出だ。
彼について、いちばん印象に残ったことは、
「偶然が引き起こすことを積極的に体験するのが面白い」
と語ったことだった。
東海道線の車内で、私が樋口一葉を読んでいたということに興味を持ち、声をかけて自分に湧いた素朴な疑問を解決しようとした彼の行動をよくあらわしていると思う。
もうひとつの「樋口一葉にまつわる、のほほんの私的記憶」を語ろう。
今から二十五年ほど前のことである。
学生のころ、文京区の鴎外記念本郷図書館でアルバイトをしていた。
窓口での本の貸し出しや、返って来た本を書庫に戻すのが主な仕事だった。
樋口一葉について、何冊かの著書があり、NHKの教育番組でも「こんにちは、一葉さん」のタイトルで講座番組の講師をされた森まゆみさんが図書館にみえていた。
お子さんと一緒にみえることがほとんどで、私がアルバイトをしていた期間は身重でもあられた。
寒い日も暑い日も、図書館までの急坂を、たくさんの本を抱えて歩かれていたのだろうと思う。
いつもさわやかな笑顔で図書館におみえになる森さんは輝いていた。
旺盛な読書と、谷中、根津、千駄木という下町を中心とした江戸の名残についてのフィールドワークと紹介活動、また、多くの著作活動等のお仕事、そして子育てや家事と大忙しの日々の、森さんの姿を、今でもまぶしく思い出す。素敵な人だなぁ、とスターの間近いる気分になったものである。
5000円札に、一葉の肖像が決定し、話題となる頃の2003年に、森さんが講師を勤めたNHKの「こんにちは、一葉さん」は放送されている。
私が図書館でお姿をまぶしく見ていたころのことを懐かしく思い出しながら、興味を持った一葉について学ばせてもらったのだった。
さて、一葉を読んでからずいぶん時間がたち、作品の印象も薄れてきてしまっている。
作品のタイトルは思い出しても、内容はほとんど忘れてしまっている。
私の祖母は、一葉が十代から二十代の前半を過ごした明治の半ばの時代に幼少期を過ごしている。
祖母が過ごしたその頃の風俗や時代の雰囲気を感じてみるつもりで、もう一度、一作でも良いから、一葉の作品を読みかえしてみようかと思いはじめている。
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