森田ミツは遠藤周作氏の「わたしが・棄てた・女」に出ている登場人物である。
遠藤氏はエッセイのなかで森田ミツのことを一番好きな作中人物と語っており、遠藤氏の奥さん順子氏は森田ミツは遠藤氏の理想の女性と、彼の死後の書かれた「夫の宿題」のなかで語っている。
そして、森田ミツのモデルは井深八重さんである。
名家の娘だった八重さんはハンセン病と診断されると、その名家から籍を抜かれてしまった。
当時ハンセン病は想像以上の激しい差別があり、それはインドのそれとあまり変りないものだったと思われる。
彼女は御殿場にあるクリストロア修道会のハンセン病の施設に行くが、そこで一年後手首にあったハンセン病と言われた痣が無くなり、再度検査をすると、ハンセン病ではなかったことが判明した。
そこで彼女は施設を離れることも出来たが、そのままその施設に残り、患者たちのケアを修道女となり生涯を過ごしたのであった。
それはそこで医者として働いていたフランス人のレゼー神父の患者たちへの献身的なケアに心を動かされていたのであった。
絶望の奈落の底に落とされた彼女だが思いもよらぬ真新しい世界を見たのである。
彼女は神さまを見たのだろう。
彼女は復活したと言えよう。
彼女はそれから看護学校に行き、看護婦になり、神さまへの感謝と喜びのなかに患者たちのケアをし続けた。
この前山谷でボランティアに来ていたクリストロアのナースのシスターに八重さんのことを聞いた。
そのシスターは一年間その施設で働いたことがあった。
八重さんはほんとうに患者たちに愛される人だったと話してくれた。
事実彼女は患者たちから「母にもまさる母」と慕われていたのである。
不思議な繋がりで自分は遠藤氏に興味を持ち、その小説を手に取り、それに関わりを持った方にも会えた、これは神さまの計らいであることは間違えない。
自分の血と肉にするべく、神さまは用意してくれてのであろう。
シスターは現在八人の患者たちがその施設に元気に暮らしているとのことだった。
時代は目まぐるしく流れ流れて変わって行っただろうとも思うが、心の傷も同じように変わっていたのだろうか。
遠藤氏はまだ二十歳ぐらいのときに、この施設に来たことがあり、そこで患者たちと野球をした。
その時、彼は病気が移るのではないか、と患者たちを怖がってしまったことを生涯悔やみ続けたという。
時代は目まぐるしく流れ流れて変わって行っただろうと思うが、この遠藤氏の悔いはどう変わって行ったのだろうか。
傷付き、また悔い改めるものを神さまは決してそのままにはしておかない真実を考えずには居られない。
自分はそう思えてならない。