昨日シカゴの神学校に通っているケンがメールでこんなことを書いて来た。
「昨夜部屋の前の通りから銃声が聞こえた。一人殺された。自分は部屋の窓から警察や救急車を見た。今朝ミサのあと、その場所に流れた血を見た。シカゴは{私の地元のニュージャージーより}とても危険である。こんなに近くで銃声を聞いたのは初めてだった。昨夜はとてもショックだったが、今朝流れた血を見た時、あまりショックを受けなかった。It was strange」
このstrangeとはどういった思いだったのか、どう訳せば一番いまのケンの心境に近くなるのか、はっきりとは分からなかったが私はこう返信してしまった。
「その瞬間ではなく、すべては終ったから」と。
人間はたぶん激しい音の銃声でも恐怖心を十分に感じるだろう、だが、その瞬間が去り、決して元に戻らないものがあることを目の当たりにすることにより、恐怖心・パニックの次に来るもの、本能的に怒りを含んだ諦めに似たものを感じるのではないかと言うような思いで返信したが、たぶん、これは的外れの返信になったのではないかと送った直後から、私は感じた。
ケンと目の前で話すことが出来たなら、何かもっと的に近いものを差し出すことも可能だったかも知れない、心理的なことはメールで伝えることが日本語でも十分難しいことも知りながら、それに私の英語が上手くないことも不甲斐無さを私自身にいっそう感じさせた。
しばらく経ってケンは「アメリカはクレイジーな国だ」と書いて来た。
私はケンがやはりショックのあまりに自らを含めた自国の全否定と言う心理になり、重苦しい顔をしているように思えたので「銃に関しては」とだけ返信した。
「そうだね、たぶん、昨夜の事件はドラックが関係していると思う、私が毎日通る道で」
一度目の失敗を考え、少し間を置き、私はケンにこう返信した。
「私は山谷{ケンが日本に来た時に二度ボランティアに連れて行っている}では行き倒れて死んだ人の場所、ホームレスが自殺して亡くなった場所を通る時は胸に手をあてて祈る」と。
「Mmm Very good」とケンから返事だった。
英語を話す友達が居る人なら、この「Mmm」が何となく分からるだろう、ケンのこれは苦悩の底から縛りだした納得のため息のようなものであろう。
最後のケンからの「Very good」に私自身も少し救われた思いになったが、その後、私の身体は重たかった、それはきっとケンがいま感じているものに近いのではないかと思った、ケンが私にわけてくれた苦悩であろうと感じた、十字架は一人で背負っているのではない、今度は沈黙のうちにそれを感じながらケンのために祈った。
話しは変わるが今日は聖ヨゼフの祝日である。
1949年の今日、二月の終りに一人でクリークレーンのアパートに住むようになったマザーテレサの所に一人の教え子が来た。
マザーはその教え子に聖ヨゼフの祝日に入会するように伝えた。
シスターアグネスの誕生である。
マザーはこの日、どんなに嬉しかったことであろうか。
私はコルカタでこの日を迎えるたび、駅の仕事に向かう前に一緒に働くボランティアたちにこのことを話した。
今日はマザーから喜びをわけてもらおう。