先週の土曜日は山谷に初季ちゃんとバタコさんを連れて行った。
初季ちゃんは4月から看護大学に行く18歳の女の子で、これで会うのは三度目だった。
バタコさんから初季ちゃんがインドに行きたいのでいろいろとアドバイスをしてほしいと紹介されてからの付き合いである。
初季ちゃんは二度目の山谷だった、炊き出しが配られる白髭橋では私とともに歩き、おじさんたちに挨拶して回った。
まず三人でカレーが配られるのを待つおじさんたちに挨拶をしていった。
一番最後まで挨拶をし終ってから、先週の土曜日に山谷に来た医師のヒデ君の話しをした。
「彼はね、この最初のおじさんたちへの挨拶でかなり疲れたと先週言っていたよ。いろんな人たちと会って来たけど、炊き出しに来る人たちの視線と言うか、エネルギーと言うか、そうしたものを強く感じて疲れてしまうとね」
初季ちゃんはまだそうした感覚を感じる自己の全体性を客観的に見ると言うことをこれまで考えたこともなさそうな表情で私の言葉を受け取った。
私はヒデ君のように自分がどう感じ、どう影響を受けているかを知っていた方が良いと思う、そこには自己の精神衛生を正常に保つ鍵があるだろうし、無理をしていることに気が付きやすいと思えるからである。
18歳の初季ちゃんには何をどう教えたら良いのだろうかと私は考えながら、彼女と一緒に歩き、おじさんたちに声を掛けて行った。
一人の年老いたおじさんが背中を丸めながら小さくなってカレーを食べていた、彼女にとってはおじいちゃんのようなおじさんだったろう、その彼に私は彼女に声を掛けてみたらと言った。
彼女は一瞬戸惑いながらも、ちょこんと彼の真正面に座り、いきなり「どこから来たんですか?」と言った。
おじさんは無言だった、彼女を見もしなかった。
それを見て、私はすぐ「カレー美味しい、ゆっくり食べて」と彼の肩に手を置いて言った。
それでも彼は私たちの方を見るために顔を上げることをしなかった。
まずかったかなと思ったが、私たちが立ち上がり、去ろうとした瞬間になって、笑顔を見せ「ありがとう」と言った。
おじさんたちにどう声を掛けて良いのか、分からないと初季ちゃんは言った、それは当たり前のことである、18歳の女の子が炊き出しに来る人たちと上手に会話出来る訳はない、いや、ないことはないかも知れないが、それは年齢に関わらず、とても難しいことである。
私は「失敗しながら覚えるんだよ。自分も良く失敗してきた。でも、やればやるほど、辛いことだけど、自分の至らなさや汚さ、弱さ、狡さが分かって来てね。丁寧にしようと思うようになったよ」と彼女に言った。
彼女は「テツさんのおじさんたちとの話し方を見て、こうやって話すんだと思いました」と言った。
言葉よりも行いを観てもらうことがやはり何よりだと思った、これはカルカッタでも同じだった、その日々をも私に思い出させた有り難い暖かな春の日だった。