新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。そんな色々。

晴れ

2024-08-08 22:25:35 | Short Short

本当は《知っている》から同じことを考えるのだ。
僕は急にそう確信した。

窓から見る景色はたしかに晴れていた。
雨がやみ雲が切れ、夕刻の陽射しが街路を包んでいる。
明るいその空でさらに眩しくチカッと光った。遅れて雷鳴が轟く。
目の前の景色は相変わらず晴れている。先刻よりも明るく並木が光る。

突然、激しい雨音が屋根を打つ。
窓に映る景色はそれでも明るく揺れている。
軒下をだらだらと落ちる水の塊が、ベランダを、道路を、あっという間に覆っていく。
雷鳴が近づく。
それでもまだ世界は明るく照っている。

晴れ、という概念が崩れていく。
天気予報では雨の勝ちだ。どれだけ明るく輝く光も物理的に雨が降れば、その景色は『雨』と名付けられる。

「本日は雨が降ります」「空が明るくても雨が降るでしょう」
「どんなに晴れていても、今日は雨です」
頭の中でアナウンサーの声が重なり響く。雨、雨、雨。奇妙に歪むその声が僕を嘲笑う。「だって傘が必要でしょう?」

これまでの認識が新しい世界への扉を閉ざしてしまう。
目の前にあるのは、美しく振り落ち輝く水滴に満たされた『晴れ』だというのに。

僕は僕の中にある《知っている》ことを探し始める。


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いつか

2024-08-07 11:30:00 | 

ブラインドからくぐもった光、立ち昇る線香の煙縞々に。
揺らめき昇る煙、光の在処教え、
光は煙ちらちらと照らし、昇天せし。
花に立ち寄りし煙、生気なぞりゆき、
やがて縞々の光に消ゆ。

手向け灰に隠れ、光陰り今日の舞終える。
天界との交信閉じ、垣間見たのはこの世の境か幻か。

黄色い葩が空へ。
白い花片が風ひらひらと委ねる切望の先、どこへ。

青い花菱わたしの麦わら。
誰かが見つめる眼差しの奥。
白き入道カルピスの昼下がり白く。
今も近く雲の切れまに。

移ろい続ける情景は、今も哀しみの欠片寄り添う世界。
いつか頬を寄せ合うような、あたたかで柔らかなものに、いつか。

眼には届かぬ余韻の気配。
今は遠く空の向こうに。


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2024-08-06 10:10:10 | Short Short

お前はこれから何者でもなく仮の存在として様々な転生を繰り返し、その所業が認められ、晴れて「仮」が解消されたならば、人間となることが叶うだろう。
だがそれも本来の、人生を謳歌する存在ではなく、「職業」としての人間から始めるのだ。

「職業が、人間? どういうことですか? 人間というのは職業ではないでしょう」

お前に選べるのは、職業「人間」と成るべく、何度も名もなき者としてこの世界に現れ去ることを繰り返すのか、それともここで消滅するのか、この二択しか与えられていない。お前の納得など必要ない。お前に求めるのはどちらを選ぶのかということだけだ。

「僕の納得が必要ない? そもそも人間とは生物でありその存在であって、職業になどできるものじゃない。知性と理性と感情と、そして創造性を併せ持った地上で唯一無二の種族と言っていいだろう。
人類の単体を人間と呼び、人間は働き日々の糧を得て生きていくものだ。働くそれが職業というものだ。人間が職業? 何を言ってるんだ」

ほう、まともなことが言えたもんだな。
知性と理性と感情、そして創造性。そうだ、それが人間であり人類に与えられたる恩恵だ。分かっているではないか。
だがお前はそれらを放棄し、人間であることを放棄した。それなのになぜまたそれを欲しがる。
私にはお前の主張の方が不可解だ。ここで消滅するのがお前の本来の願いではなかったのか。

「僕が人間を放棄した? それはいったい何のことだ」

お前が世界を終わらせたのだ。
五回目の有史の時代は終わった。もうお前がいた世界は宇宙のどこにも存在しない。

「僕が世界を終わらせた?」

選ぶのだ。お前に説明など必要ない。お前が世界を終わらせたという事実さえ、お前に告げる必要などないのだ。
さあ、選べ。名もなき転生か、消滅か。

 ⁑

南から一陣の風が吹いた。
地上には何もなく、荒れた世界の塵を巻きあげるだけだった。
木々も生物の痕跡も、建物の残骸すらない。

「ひどい世界だな」
風はそう思いながら、その世界を吹き抜けていく。
「こんなになにもない世界で、俺は何をすればいいのだろう」

そのままずっと長く永遠に風は果てた地を巡り、それでもこの星を離れることは許されない。それが風の宿命なのだ。宇宙を渡ることもできず、ただ消えていくだけだ。

風はどこにも辿り着くことのない荒れた地を、今日もただ吹き抜けていった。


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軽やかに

2024-08-05 12:30:00 | weblog

『ザ・クロマニヨンズ』の曲に《鉄カブト》というタイトルの曲がある。2008-9年くらいに発表された楽曲ではなかったか。アルバム【MONDO ROCCIA】に収録されている。大好きな曲のひとつだ。

この曲の詩の中に、『届かない手紙を書く』や、『あの人の思い出は守ってくれ鉄カブト』というフレーズがある。
ライブのDVDを観るたび、ヒロトが伸ばすその手に、訴えかける声に、メロディに、胸の奥の大切なものを鷲掴みにされる思いになる。かなり好き。

そして私は考える。
「届かない」と思って何もせず諦めてしまうと本当に届かない。
物事を見極める、ということとは勿論違う意味で。あ、法律と誰かへの尊厳は守ってください。あなた自身の尊厳も。

届かないかもしれないが、手をそっと前に出してみると意外とそれは近くにあるのかもしれない。
手を出してみても届かない、と感じたとしても、手を伸ばす前よりは近くにあるはずだ。そして少し身を乗り出してみる。そうすればまたほんの少しそこに近づく。もう少し、もうちょっと。
そんなことを繰り返し、乗り出した体が転ばないように一歩、また一歩と足が前に出る。知らず知らずに少しずつ近づいて行く。

そのうち慣れてきて、思い切り手を伸ばし、もっと前へ、あと少し、と思えた途端、届かないと知るかも知れない。

でもいいじゃん、と私は思う。
手を伸ばしたという行為そのものが、その片鱗に間違いなく触れたのだから。

後ろ髪を引かれて後悔するよりは、前のめりで倒れる方がいい。なんていうのは若かりし頃の私の理想論。実際には、前のめりに倒れ込んで転がり落ち、強打しまくった挙句立ち上がれなかったりした。そして新たな一歩に怖じ気付く。

物事やその時の精神状態によっては、手を伸ばすのがとても困難で怖いことがいくらでもある。一歩踏み出すこと自体に、何日も頭を抱え躊躇する。

そんな折、この言葉が幾度となく私の前に現れる。
スペインの建築家、アントニ・ガウディ(1852-1926)。
彼はサグラダファミリアでの一日の仕事終わりに毎回、
「諸君、明日はもっといいものを創ろう」
と職人たちに言っていたそうだ。

「明日はもっといいものを創ろう」
この短い言葉に、職人に対する賛辞と敬意と労い、そして希望が込められている。なんだか心のざわつきが鎮まっていく。

『届かない手紙を書く』
あの思いがまたほんのちょっと顔をのぞかせる。

そしてそれは、もっと軽やかでいいのかもしれない。


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クラゲの炎

2024-08-04 14:20:00 | Short Short

ねえ、空にクラゲが泳いでいくの。
脹らんではしぼんで、すーいすーいと空を行く。
そのクラゲはあたし。自由にどこまでも高く泳いでいくの。
そういうの、いいと思わない?

あたしが踊るのは楽しいから。踊りがあたしを求めているの。だから踊らずにはいられない。
それが最近、なんだか知らないけど悲哀の眼であたしを見ている男がいてさ、劇場の隅で、まるであたしの胸の内を自分は分かってるんだよ、なんてな顔で、今にも手を差し伸べそうで、あたしは困る。

だってあたしは空を行くクラゲだもの。
鳥じゃなくてクラゲなの。わかる?
そこが肝心。
あたしはね、当たり前を壊したいの。だからクラゲ。ほら、柔らかくて自由な感じでしょ。透明できれいだし。

でね、クラゲになってどこまでも昇って行って、どこまでも自由に踊るの。
大抵のお客たちが見ているあたしは、ちょっと象徴的過ぎて、それはそれで困るんだけど、ま、楽しいならそれもOKかな。
でもあの人はさ、自分の闇をあたしに投影してる。それがちょっと、うーん、困るっていうか、そう、心配かな。

あたしはね、星を見たいんじゃない。あたしが星なの。
たとえ嵐が航路を絶とうと、闇があたしを包もうと、あたしの内側の炎がすべてを照らしてその道筋を示してくれる。
でしょ?
鏡の中の自分と目が合って、あたしたちは同時に笑う。

楽屋の扉がノックと共に開き、支配人が「そろそろお願いね」と呼びにくる。
「彼、いるわよ」
「ふうん、どんな感じ?」
「いつも通り。ひとり隅っこであんたのこと待ってる。知り合いなの?」
「知らない」
「気をつけなさいよ」
「大丈夫よ。ありがと」

舞台の光を浴びて今夜も踊る。色んな色になって、空に昇って自由に踊る。
汗が散る。髪が乱れる。どうでもいい。手足を伸ばして舞台を飛んだ。
みんながあたしに熱狂する。あたしは踊りに熱狂する。
すーいすーい。どこまで昇れた?
あたしの炎が、いつか彼にも届くといいな。

脹らんだりしぼんだり、すーいすーいと空を行く。
あたしは炎を燃やして地上を照らす。
もっと自由に、もっと高く、数多の光を降らせるの。



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薄いベールの向こうから e

2024-08-03 05:33:33 | Short Short

目が覚めると《ピンクの象》が来ていた。
あぁ、しまった。
寝ぼけるイトマもない。相変わらず不機嫌そうにのしのしとそこいらじゅうを歩き回っている。

このピンク、時々不意にやってくる。
どういう時に来るのかは、だいたい見当がつくようになってきたが、それでもいつも突然なので、少々面食らう。

大きさはというと、300ミリのペットボトルを3本ずつ2列に並べたくらいで、それでピンクだから、まぁ見た目はちょっと可愛い。可愛いのだけれど、いつも信じられないくらいに不機嫌なのだ。
気に入らないのなら来なければいいのにと思うのだが、それでも時々やって来てはのしのしと部屋中を歩きまわる。

いつだったかは、まだ虚ろに名残を惜しんでいた浅い夢にまで入って来て、のしのしと薄い意識の上を踏んでまわるので、苛立ちと共に追い払うと、目を合わせない程度にこちらをチラッと見て、ぷいっとまた部屋の中を不機嫌そうに歩いて行く。
そんなことをされると、ここが意識の外なのか中なのかとしばらく混乱する。

名前は知らない。
初めてここに来た時から無愛想で自分からは名乗りもしないので、こちらもあえて聞かない。勝手につけても良いのだが、愛着がわくと後々面倒な気がして、結局曖昧に《ピンクの象》とだけ認識するようにしている。

長居することもあれば、拍子抜ける程あっさりと帰ってしまうこともある。
今日はどうだろう。
様子を窺っても何もシンパシーを感じないので分からない。けど、こちらは感じていないが、あちらは感じているからここに来るのだろうかと考えると、少しキュンとなる。

別れ際は、大抵知らぬ間に帰ってしまうので、来ていた事すら忘れていることがたまにある。

一度だけ、薄く消えゆく後ろ姿を見たことがあった。
その時はさすがに「あっ」と思ったが、引き止めることは出来ないし、引き止めてはいけないことも何故か漠然と分かったので、また来て欲しいのか来て欲しくないのかを決めかねる思いで、薄く遠のくピンクのお尻を見つめていた。
不機嫌そうに揺らすしっぽを見ていると、なんだか向こうも少々寂しそうでもあり、ほっとしているようでもあるように思えた。

ひと仕事終えて、「さて」と部屋の中を見渡すと、ピンクの影はなくなっていた。
何も言わずに帰ってしまうところが、何かしらの郷愁の念にも似た感情を揺さぶるのだ。どうも嫌いになれない。

やれやれ、今度はいつ来るのかしら。



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2024-08-02 06:35:35 | Short Short

夏の夕暮れ、近くの河原へ出かける。
日が傾いて日中の暑さも和らぎ、しゃばしゃばの蝉の声が少し落ち着くころ、空が薄紫の帯を引く。
そしたらコンビニの袋に冷えた缶ビールを2本忍ばせ、散歩に出る。
大きめのサンダルを爪先で引っかけのらり行くうち、夕風に、湿った夏草の匂いが混じる。

その河原には、朽ちかけた木のボートが半分草地に乗り上げ雑草とまみれている。
草が板の隙間に根を下ろしたボートの半身は安住の地を見つけて安堵し、一方、水辺に浮かんだ半身は、いつか旅立つことを夢見るように、浅い岸に身を預けている。

私はそのボートの、夢見る方の舳先に腰かけて、水の上に裸足の足をぶらりと投げ出す。袋から汗ばむ缶を取り出しカチッと栓を開け、まだ冷えたビールを飲む。ごくっと小さく喉が鳴る。そのまま流し込みごくごくと喉越しを味わう。
水面を舐めるように風が渡る。薄紅の雲が夕闇に退いていく。

ボートの舳先に座って眺める空は、いつも清らかに私の心をさらう。
ひとりで空を仰ぎそこに佇んでいると、自分も空の一部になったかのようだ。
その感じが好きなので、時折ここで空をつまみに晩酌する。

ひとつ目の缶を飲み干し二本目に取り掛かる。袋の中でビール缶にくっついて冷たくなったもうひとつの小さなビニール袋も取り出す。
コンビニで見つけた線香花火。案外たくさん詰まっている。

空に残照、河原は薄暮。いい頃合いだ。

ライターで火を点けるとぱちぱちと勝ち気な音を立て、細い糸火が跳ねた。芯が落ちる前のもらい火で、途切れないよう跳ねる灯を繋ぐ。繋いだ元火は燃え尽きて、ぽたりと線を光らせ種を落とす。

そんな事を繰り返しながらふと花火の先に目がいった。水面に映った跳ねる火が、なんだか彼岸花のようだなと思った。
迂闊にも、そう思ってしまった。

いつかの、どこかの、誰かのところに繋がる扉がそこにある。辺りは暮れ切り、草間の陰から蛙や虫たちが扉を開けろと鳴いている。黄泉の使いが呼んでいる。

いざなう声に向かって私は言う。
「残念だけどその扉は開けないよ。だって私には冷えたビールと線香花火があるんだもん」
蛙たちが声をひそめる。

最後の一本が燃え尽き、最後の一口を飲み干す。そしてボートに立ち上がって空を見た。
いつの間にか、夜空を丸く切り取ったようにくっきりと白い月が輝き、家路を明るく照らしている。
夏草の匂いを嗅ぎながら、私は大きく伸びをした。


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ネギを刻む

2024-08-01 07:45:00 | Short Short

そろそろ僕の出番かなって思って走ってきたよ。今日も聞いてね。

学校から帰ると、お母さんがネギを刻んでいた。
僕は急いでランドセルを部屋へ放り込んで、お母さんがネギを切るのを台所へ見に行く。
僕には好きなものが沢山あるけど、その中でもお母さんがネギを刻むのを見るのが、特別に好きなんだ。

お母さんは「おかえり」とちょこっとだけ僕に目を向けてにこっと笑うと、「また見るの?」と呆れたような面白そうな、でもやさしい顔になる。そういうところも好きなんだ。

お母さんはネギを刻む。とことん刻む。どんどん刻む。食パン一斤の袋が一杯になるまでとにかく刻む。新鮮なネギは玉ねぎみたいに目に沁みるみたい。
お母さんは涙を拭いながらネギまみれになって刻み続ける。袋が一杯になったら冷凍庫に放り込む。そして得意そうにいつものひと言。
「これでいつでもパラリと役に立つ」
ふふん、と笑うお母さんはとっても気分がよさそうだ。

「なんでそんなにネギを刻むのが気持ちいいの?」
僕は前から気になっていたことを聞いた。
「きみはなんでそんなにお母さんがネギを刻むのを見たがるの?」
「気持ちよさそうだから僕もとっても気分がよくなるの。ねえ、どうして?」
お母さんは棚の上から煎餅を取り出し、「ちょっと休憩しよ」と茶の間の方へ移ってよっこらしょっと座り込んだ。
僕は冷えた麦茶とコップを2つ持ってあとからついていく。

「とにかく刻むのが気持ちいいのよ。同じ動作を繰り返すうちに早く切る『コツ』がわかってくる。きみにもあるでしょ『コツ』がわかって気持ちいいこと」
「うん、ある。逆上がりが出来たとき、すっごく気持ちよかった」
「ね、そのうちどんどん手際よく綺麗に仕上げて行けるようになるのがまた気持ちいいの。人間ってねキリがないものに弱いのよ」

お母さんは煎餅の袋を力強くガバっと開けて座卓に広げる。全部広げちゃうからいつもあとからシケちゃうのに、それでもいつも全開なんだよな、お母さんてば。

「どうして?」
「うーん、そうだなぁ。好きなゲームしてる時とか、すごく沢山宿題が出て間に合いそうもない時とか、どんな感じ?」
「ゲームは好きだけど、宿題は嫌だ」
「好きとか嫌いとかじゃなくて、今なんの話だっけ」
「キリがないことに弱いって話」
「ずーっとゲームしてたくなるでしょ」
「うん」
「ずーっと宿題が終わらない気がするでしょ」
「あ、そうか。どっちもキリがないからやめられないし、やりたくないんだ」
「そういうこと」
お母さんは満足そうに煎餅をバリンとかじった。
そのあとの話はさすがの僕にも少し難しくて所々わからなかったけど、煎餅をかじりながらお母さんが「いい?」と興に乗るのを、また気持ちよく見ていた。
                          
「人間はね、キリがないことに両極端なの。キリがないから止められない。キリがないから嫌になる。どっちも人間の煩悩を現してるんだとお母さんは思うわけ」
ぼんのうってなに? って聞きたかったけど、麦茶を飲んでいて聞きそびれた。

「快感を手放せない自我。苦悩から逃げたくなる自我。でもね、ある人の快感がある人には苦痛だったり、人や環境で全然感じ方が違うでしょ」
お母さんが相槌を求めて来たので、僕は慌てて「うんうん」とわかったふうに答える。なんとなくはわかるけど、本当にはわからない。やっぱり僕はまだまだ子供なんだな。

「でね、人によって違うんだったら、快感とか苦悩もただの幻だって思えたらいいなって思うの。そういう状況で冷静に、自分にもそのことにも区切りがつけられたら、楽だよねきっと。幻なんだもん。夢の中で夢をコントロールするのと似てるのかな」
「ふうん、じゃあお母さんは、そういうのをコントロールしたいんだね」
煎餅のついた唇でお母さんは、にっと笑った。
「お母さんはね、そういうのコントロールするより、どっぷりはまっちゃう方が性に合ってる。だからネギを刻むの」

僕はてっきり、お母さんはそれをコントロールしたいのかと思って聞いてたものだから、狐につままれた気分になった。
「ね」とお母さんは僕が混乱しているのを満足気に眺めて麦茶を飲み、またバリバリと煎餅を頬張った。

「さ、二袋目のネギやるよ」
「え、まだあるの?」
ぱっと気分が明るくなった。僕もキリがないことにハマりたいタイプのようだ。
「あ、きみ宿題は?」
「今日はない」
お母さんは僕のウソをにかっと笑って許してくれた。「ま、金曜日だしね」

僕はお母さんがまたネギをガツガツ切り刻むのを、なぜかさっきより嬉しい気持ちで見ていた。

今日はちょっと長くなっちゃったな、
またね。



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