古典的名作のヴァン・ダインが書いた「僧正殺人事件」です。勘違いされる方が居るかもしれませんが、別にお坊さんが殺される話ではありません。
この僧正とは、チェスの駒のひとつでビショップと呼ばれるものです。ビショップと名乗る謎の人物が起こす連続殺人。マザー・グースの童謡になぞられて殺害されるその理由とは?
悪魔的な魅力を持った犯人と、ファイロ・ヴァンスが論理的な推理の末に犯人を指摘する場面までページを捲る手が止まりません。
ミスディレクションの巧みさ。緻密なプロット。1929年に書かれた作品ですが今読んでもその完成度の高さに唸ります。
さて、仮にあなたが今大学生ぐらいの年齢としましょう。友人が、これ面白いから読んでみれば?と一冊のミステリをあなたに渡したとします。あなたはこれまで余りミステリなど
読む機会がなく、たまたま友人が貸してくれた一冊の本を読みました。その本が横溝正史の「獄門島」だとします。
この本の面白さにあなたが嵌まったとします。ミステリの面白さに気付いたあなたは次々と評判の作品を読破しました。
ほとんどの読むべきミステリと云われているものを読み終えたあなたは、これまで眼を向けなかった海外ミステリの古典作品に手を出したとします。
そんな折にこの「僧正殺人事件」を手に取り読んだとしたら、どうでしょうか?
きっと、感動や興奮、トリックやプロットの素晴らしさなどが薄く醒めて見えるかも知れません。
これは不幸なことです。しかし、避けられないことです。幾多のミステリがこの「僧正殺人事件」に衝撃を受けて
これを追いつけ追い越せとばかりに書かれたことか。それらの物を数多く読んだ末にこの本を手にしたとしたら、その衝撃や驚き
などが薄くなってしまうのも仕方がありません。古典と呼ばれる物のひとつの宿命ですから。
しかし、永遠に語り継がれる作品が古典と云われるものなんです。その面白さに期限はありません。
ちなみに、『僧正殺人事件』に刺激を受けて横溝正史が書いたのが『獄門島』です。
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