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続けるための恵み The Grace to Keep Going

2024-11-10 17:42:52 | 日記
続けるための恵み
The Grace to Keep Going

私たちは自分の弱さを通して、神の十分な力と愛を発見することができます。
Through our weaknesses, we can discover God's all-sufficient power and love.

コリント人への第二の手紙 12:7-10
7 啓示のすばらしさのゆえに、わたしが高ぶることのないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられました。それは、わたしを苦しめるサタンの使いであり、わたしが高ぶることのないようにするためです。 8 このことについて、わたしは主に三度、それがわたしから離れるようにと懇願しました。 9 すると主はわたしにこう言われました。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れる。」 ですから、わたしはむしろ、喜んで自分の弱さを誇りましょう。そうすれば、キリストの力がわたしのうちに宿るからです。 10 ですから、わたしはキリストのために、弱さ、侮辱、苦難、迫害、困難を喜んで受け入れます。なぜなら、わたしが弱いとき、わたしは強いからです。
2 Corinthians 12:7-10
7 Because of the surpassing greatness of the revelations, for this reason, to keep me from exalting myself, there was given me a thorn in the flesh, a messenger of Satan to torment me--to keep me from exalting myself! 8 Concerning this I implored the Lord three times that it might leave me. 9 And He has said to me, ``My grace is sufficient for you, for power is perfected in weakness." Most gladly, therefore, I will rather boast about my weaknesses, so that the power of Christ may dwell in me. 10 Therefore I am well content with weaknesses, with insults, with distresses, with persecutions, with difficulties, for Christ's sake; for when I am weak, then I am strong.

コリント人への第二の手紙 11:22-28
22 彼らはヘブライ人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。 23 彼らはキリストのしもべですか。私は気が狂ったように言いますが、私のほうがはるかに多く、労苦も投獄も数え切れないほど多く、何度も死の危険にさらされました。 24 私はユダヤ人から三十九回の鞭打ちを五回受けました。 25 私は棒で打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難破したことが三度、深海で一夜一昼を過ごしたこともありました。 26 私は何度も旅をし、川の危険、盗賊の危険、同胞の危険、異邦人の危険、町の危険、荒野の危険、海の危険、偽兄弟たちの間の危険にさらされました。 27 私は労苦と苦難に遭い、眠れない夜を何度も過ごし、飢えと渇きに苦しみ、しばしば食べ物もなく、寒さと寒さに晒されてきました。 28 そのような外的なこととは別に、すべての教会に対する心配が私に毎日重くのしかかってきます。
2 Corinthians 11:22-28
22 Are they Hebrews? So am I. Are they Israelites? So am I. Are they descendants of Abraham? So am I. 23 Are they servants of Christ?--I speak as if insane--I more so; in far more labors, in far more imprisonments, beaten times without number, often in danger of death. 24 Five times I received from the Jews thirty-nine lashes. 25 Three times I was beaten with rods, once I was stoned, three times I was shipwrecked, a night and a day I have spent in the deep. 26 I have been on frequent journeys, in dangers from rivers, dangers from robbers, dangers from my countrymen, dangers from the Gentiles, dangers in the city, dangers in the wilderness, dangers on the sea, dangers among false brethren; 27 I have been in labor and hardship, through many sleepless nights, in hunger and thirst, often without food, in cold and exposure. 28 Apart from such external things, there is the daily pressure on me of concern for all the churches.

誰かの話を聞くとき、その人の言葉に重みを与えるものは何でしょうか。ほとんどの場合、私たちはその人の経験に照らしてメッセージを評価し、本物ではないと思われる考えやアイデアを無視します。ですから、パウロの神の十分さに関する議論に至ったとき、私たちは「これは彼が本当に語れることなのだろうか」と自問します。そして、私たちは御言葉を読み、使徒の人生からその答えがはっきりと「はい」であることがわかります。
When you listen to someone speak, what gives his or her words weight? Most often, we measure a message against the person’s experience and dismiss the thoughts and ideas that don’t seem genuine. So, when we come to Paul’s discussion of God’s sufficiency, we ask, “Is this something he can really talk about?” And we are able to read the Word and see from the apostle’s life that the answer is a resounding yes.

パウロの証言には、彼が直面した多くの困難が記されています(コリント人への手紙第二 11:22-28)。彼は投獄され、殴打され、脅され、石打ちにされ、難破し、強盗に遭いました。さらに、彼には執拗で容赦のない「とげ」がありました(12:7-8)。
Paul’s testimony contains accounts of many hardships that confronted him (2 Corinthians 11:22-28). He was imprisoned, beaten, threatened, stoned, shipwrecked, and robbed. On top of all this, he had a persistent, unrelenting “thorn” (12:7-8).

神はその僕たちを完全な状態と健康に保ってくれると思うでしょう。しかし、使徒が救いを祈ったとき、神の答えは彼が期待していたものではありませんでした。「わたしの恵みはあなたに十分である」(9節)。主はパウロに、神の手の中では、私たちの弱さが神の強さをさらに明らかにするという教訓を教えました。そして、神の力によって、そして神の力のみによって、私たちは素晴らしいことを成し遂げることができるのです。
You’d think God would keep His servants in perfect condition and health. Yet, when the apostle prayed for relief, God’s answer was not what he expected: “My grace is sufficient for you” (v. 9). The Lord taught Paul the lesson that in God’s hands, our weakness allows for His strength to be made even more apparent. And it is through God’s power—and His power alone—that we can do amazing things.

おそらくあなたは自分の「とげ」と格闘しているのでしょう。あなたの弱さを通して神が何を成し遂げたいのかを神に尋ねてください。それは神がその力を世界に示すための器なのかもしれません。
Perhaps you struggle with your own “thorn.” Ask God what He wants to accomplish through your weakness. It may be the vessel through which God displays His power to the world.

信仰を実践する3つの方法 Three Ways You Can Exercise Faith

2024-11-10 10:17:36 | 日記
信仰を実践する3つの方法
Three Ways You Can Exercise Faith

島民は人食い人種で、誰も他人を信用していませんでした。彼の命は常に危険にさらされていました。彼は彼らにイエスの福音を伝えるためにやって来ました。彼はヨハネの福音書を彼らの言語に翻訳したいと思いましたが、彼らの言語には「信頼」「信念」「信仰」に相当する言葉がないことがわかりました。スコットランド人のジョン・パトン(1824-1907)は、ニューヘブリディーズ諸島(南西太平洋の島々)に旅し、部族の人々にイエスの教えを伝えようと決意しましたが、「信仰」に相当する適切な言葉を見つけるのに苦労しました。
The islanders were cannibals. Nobody trusted anybody else. His life was in constant danger. He had come to tell them the good news about Jesus. He wanted to translate John’s Gospel into their language, but he discovered that there was no word in their language for ‘trust’, ‘belief’ or ‘faith’. John Paton (1824–1907), a Scot, had travelled to the New Hebrides (a group of islands in the south-west Pacific) determined to tell the tribal people about Jesus, but he struggled to find the right word for ‘faith’.

ある日、先住民の召使がやって来たとき、パトンは両足を床から上げて椅子に座り直し、「私は今何をしているのですか?」と尋ねました。その答えとして、召使は「*全体重を預ける*」という意味の言葉を使いました。これがパトンが使う表現になりました。信仰とは*イエス様に全体重を預けること*です。
One day, when his indigenous servant came in, Paton raised both feet off the floor, sat back in his chair and asked, ‘What am I doing now?’ In reply, the servant used a word that means, ‘*to lean your whole weight upon*’. This became the expression that Paton used. Faith is *leaning your whole weight upon Jesus*.

詩篇 124:1-8 NLT [1] 主が私たちの側にいなかったらどうなっていただろう。イスラエルの皆はこう言い返そう。[2] 人々が私たちを攻撃したとき、主が私たちの側にいなかったらどうなっていただろう。[3] 彼らは燃える怒りで私たちを生きたまま飲み込んでいただろう。[4] 水が私たちを飲み込み、激流が私たちを飲み込んでいただろう。[5] そうです、彼らの怒りの荒れ狂う水は私たちの命を飲み込んでいたでしょう。[6] 彼らの歯で私たちを引き裂かなかった主をほめたたえよ![7] 私たちは猟師の罠から鳥のように逃れました。罠は破られ、私たちは自由になりました![8] 私たちの助けは、天と地を造られた主から来るのです。
Psalms 124:1-8 NLT [1] What if the Lord had not been on our side? Let all Israel repeat: [2] What if the Lord had not been on our side when people attacked us? [3] They would have swallowed us alive in their burning anger. [4] The waters would have engulfed us; a torrent would have overwhelmed us. [5] Yes, the raging waters of their fury would have overwhelmed our very lives. [6] Praise the Lord, who did not let their teeth tear us apart! [7] We escaped like a bird from a hunter’s trap. The trap is broken, and we are free! [8] Our help is from the Lord, who made heaven and earth.

攻撃を受けたときの信頼としての信仰
Faith as trust when under attack

「信仰とは夜明けがまだ暗いときに歌う鳥である」とラビンドラナート・タゴール卿は書いています。
‘Faith is the bird that sings when the dawn is still dark,’ wrote Sir Rabindranath Tagore.

私たちの人生には、信仰が試される時があります。私たちは「攻撃」を受けます。「皆が私たちに反対したとき」(2節、MSG)、誘惑、疑い、恐れなどによる「激流」(4節)「荒れ狂う水」(5節)があるように思えます。
There are times in all of our lives when our faith is tested. We come under ‘attack’: ‘When everyone went against us’ (v.2, MSG) and there seems to be a ‘torrent’ (v.4) of ‘raging waters’ (v.5) – temptations, doubts, fears, and so on.

これらのことはあなたを圧倒するかもしれませんが、天地の創造主があなたの味方であるという事実がなければ、あなたは圧倒されるでしょう(1節)。信仰とは、神があなたを無防備なままにしておくことはないと信じることです。神はあなたを罠から解放します。「彼らの捕らえは砕かれ、私たちは飛ぶ鳥のように自由です」(7節、MSG)。
These things could overwhelm you, but for the fact that the Maker of heaven and earth is on your side (v.1). Faith means trusting that he won’t leave you defenceless. He frees you from the traps: ‘Their grip is broken; we’re free as a bird in flight’ (v.7, MSG).

ダビデは聖書の中で最も試練を受けた人物の一人です。ダビデのように、神に忠実であり続けてください。主を信頼してください。主はあなたを激しい激流から、そして「生きたまま飲み込まれる」ことから守ってくださいます(3節)。あなたの「助けは天地の造り主である主の名にあります」(8節)。
David is one of the most tried and tested figures in the Bible. Like David, remain faithful to God. Trust in the Lord. He will protect you from raging torrents and from being ‘swallowed alive’ (v.3). Your ‘help is in the name of the Lord, the Maker of heaven and earth’ (v.8).

主よ、助けてください…
Lord, help…

ヘブル人への手紙 11:17-40 NLT [17] 神がアブラハムを試していたとき、アブラハムがイサクを犠牲として捧げたのは信仰によるものでした。神の約束を受けていたアブラハムは、自分のひとり息子であるイサクを犠牲として捧げる覚悟ができていました。[18] 神は彼に、「イサクは、あなたの子孫が数えられる息子である」と告げていました。[19] アブラハムは、イサクが死んでも、神は彼を生き返らせることができると考えました。そしてある意味で、アブラハムは息子を死からよみがえらせたのです。[20] イサクが息子のヤコブとエサウに将来の祝福を約束したのは信仰によるものでした。[21] ヤコブが年老いて死に瀕していたとき、ヨセフの息子たち一人一人を祝福し、杖に寄りかかって礼拝したのは信仰によるものでした。[22] ヨセフが死に瀕していたとき、イスラエルの民がエジプトを去ると確信を持って言ったのも信仰によるものでした。 モーセは、彼らが去るときには、自分の骨も持って行くようにと命じました。[23] モーセの両親が、モーセが生まれたとき、彼を三か月間隠したのは、信仰によるものでした。彼らは、神が自分たちに特別な子供を与えてくださったことを知って、王の命令に背くことを恐れませんでした。[24] 成長したモーセが、ファラオの娘の子と呼ばれることを拒んだのも、信仰によるものでした。[25] 彼は、罪のつかの間の快楽を楽しむ代わりに、神の民の抑圧にあずかることを選びました。[26] 彼は、エジプトの宝を所有するよりも、キリストのために苦しむほうがよいと考えました。なぜなら、彼は大きな報酬を待ち望んでいたからです。[27] モーセがエジプトの国を去ったのは、信仰によるものでした。王の怒りを恐れず、目に見えない方に目を留めていたので、彼は進み続けました。 [28] 信仰によって、モーセはイスラエルの人々に過越の祭りを守り、死の天使が彼らの長子を殺さないように、戸口の柱に血を振りかけるように命じました。[29] 信仰によって、イスラエルの人々は紅海を乾いた地面の上を歩いているかのように渡りました。しかし、エジプト人が後を追おうとしたとき、彼らはみな溺れてしまいました。[30] 信仰によって、イスラエルの人々はエリコの周りを七日間行進しましたが、城壁は崩れ落ちました。[31] 信仰によって、遊女ラハブは、神に従わなかった彼女の町の人々とともに滅ぼされませんでした。彼女はスパイたちを親切に迎えたからです。[32] さらにどれだけ言う必要があるでしょうか。ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、そしてすべての預言者の信仰の物語を語るには時間がかかりすぎます。 [33] 信仰によって、この人々は国々を倒し、正義をもって治め、神の約束を成し遂げました。彼らは獅子の口を閉じ、[34] 火の炎を消し、剣の刃による死を免れました。彼らの弱さは強さに変わり、戦いに強くなり、全軍を敗走させました。[35] 女たちは愛する家族を死からよみがえらせました。しかし、神に背いて解放されることを拒み、拷問を受けた人たちもいました。彼らは復活後のより良い生活に希望を託しました。[36] ある人たちは嘲笑され、鞭で背中を切られました。ある人たちは牢獄に鎖でつながれました。[37] ある人たちは石打ちで殺され、ある人たちはのこぎりで切られ、ある人たちは剣で殺されました。ある人たちは羊や山羊の皮を着て、貧しく、虐げられ、虐待されながら歩き回っていました。 [38] 彼らはこの世にはふさわしくないほど善良で、砂漠や山々をさまよい、洞窟や地中の穴に隠れていました。[39] これらの人々はみな、信仰によって良い評判を得ましたが、神が約束されたすべてのものを受け取る人は一人もいませんでした。[40] 神は私たちのためにもっと良いことを計画しておられたので、私たちなしでは彼らが完全になることはありませんでした。
Hebrews 11:17-40 NLT [17] It was by faith that Abraham offered Isaac as a sacrifice when God was testing him. Abraham, who had received God’s promises, was ready to sacrifice his only son, Isaac, [18] even though God had told him, “Isaac is the son through whom your descendants will be counted.” [19] Abraham reasoned that if Isaac died, God was able to bring him back to life again. And in a sense, Abraham did receive his son back from the dead. [20] It was by faith that Isaac promised blessings for the future to his sons, Jacob and Esau. [21] It was by faith that Jacob, when he was old and dying, blessed each of Joseph’s sons and bowed in worship as he leaned on his staff. [22] It was by faith that Joseph, when he was about to die, said confidently that the people of Israel would leave Egypt. He even commanded them to take his bones with them when they left. [23] It was by faith that Moses’ parents hid him for three months when he was born. They saw that God had given them an unusual child, and they were not afraid to disobey the king’s command. [24] It was by faith that Moses, when he grew up, refused to be called the son of Pharaoh’s daughter. [25] He chose to share the oppression of God’s people instead of enjoying the fleeting pleasures of sin. [26] He thought it was better to suffer for the sake of Christ than to own the treasures of Egypt, for he was looking ahead to his great reward. [27] It was by faith that Moses left the land of Egypt, not fearing the king’s anger. He kept right on going because he kept his eyes on the one who is invisible. [28] It was by faith that Moses commanded the people of Israel to keep the Passover and to sprinkle blood on the doorposts so that the angel of death would not kill their firstborn sons. [29] It was by faith that the people of Israel went right through the Red Sea as though they were on dry ground. But when the Egyptians tried to follow, they were all drowned. [30] It was by faith that the people of Israel marched around Jericho for seven days, and the walls came crashing down. [31] It was by faith that Rahab the prostitute was not destroyed with the people in her city who refused to obey God. For she had given a friendly welcome to the spies. [32] How much more do I need to say? It would take too long to recount the stories of the faith of Gideon, Barak, Samson, Jephthah, David, Samuel, and all the prophets. [33] By faith these people overthrew kingdoms, ruled with justice, and received what God had promised them. They shut the mouths of lions, [34] quenched the flames of fire, and escaped death by the edge of the sword. Their weakness was turned to strength. They became strong in battle and put whole armies to flight. [35] Women received their loved ones back again from death. But others were tortured, refusing to turn from God in order to be set free. They placed their hope in a better life after the resurrection. [36] Some were jeered at, and their backs were cut open with whips. Others were chained in prisons. [37] Some died by stoning, some were sawed in half, and others were killed with the sword. Some went about wearing skins of sheep and goats, destitute and oppressed and mistreated. [38] They were too good for this world, wandering over deserts and mountains, hiding in caves and holes in the ground. [39] All these people earned a good reputation because of their faith, yet none of them received all that God had promised. [40] For God had something better in mind for us, so that they would not reach perfection without us.

選択、忍耐、期待としての信仰
Faith as choice, perseverance and expectancy

英雄的な信仰とはどのようなものでしょうか。モーセはイスラエルの歴史において最高の人物でした。彼はイスラエル人を奴隷状態から救い出し、律法を与えました。今日の箇所で、著者はモーセが傑出した信仰の人であったことを示しています。
What does heroic faith look like? Moses was the supreme figure in Israel’s history. He rescued them from slavery. He gave them the Law. In today’s passage, the writer shows that Moses was pre-eminently a man of faith.

これまで見てきたように、「信仰」という言葉には多くの意味があります。それは、神との全体的な関係、つまり神を信頼し、イエスに全身全霊を傾け、自分の信念に基づいて行動する勇気を持つことを表しています。モーセの例を通して、あなたも信仰を実践できる 3 つの方法を学びます。
As we have seen, the word ‘faith’ carries a number of meanings. It describes your whole relationship with God – trusting in him, leaning your whole weight on Jesus, and having the courage to act on your belief. Through the example of Moses, we see three ways in which you too can exercise faith:

*選択*としての信仰

モーセは「普通の子供ではなかった」(23節)。彼はエジプトの王室で育てられ、一流の教育と訓練を受けた。また、容姿も優れていた(出エジプト記 2:2)。当時と同じように、今日でも多くの人がお金、セックス、権力を求めて努力している。モーセはそれらすべてを十分に手に入れることができたはずだ。
Faith as a *choice*

Moses was ‘no ordinary child’ (v.23). He was brought up in the Egyptian royal household and received a first-class education and training. He was also physically good looking (Exodus 2:2). So many people strive today, as they did then, for money, sex and power. Moses could have had them all in abundance.

モーセにはもう一つ大きな利点がありました。両親の信仰です(ヘブル人への手紙 11:23)。ファラオの娘はモーセの母親に彼を育てる役割を託しました。しかし、結局のところ、あなたや私と同じように、モーセ自身も選択を迫られました。
Moses had another great advantage – the faith of his parents (Hebrews 11:23). Pharaoh’s daughter gave Moses’ mother the job of bringing him up. However, at the end of the day, Moses himself, like you and I, needed to make a choice.

モーセは「しばらくの間、罪の快楽を楽しむ」こともできました(25節)。しかし、「神の民とともに虐待されることを選んだのです」(25節)。モーセは、自分と同じような育ちの人たちが軽蔑する一群の人々、つまり奴隷国家、神の民に属することを選んだのです。彼らに属することで、モーセは危険、軽蔑、苦しみを招いたのです。
He could have chosen ‘to enjoy the pleasures of sin for a short time’ (v.25). However, ‘he chose to be ill-treated along with the people of God’ (v.25). Moses chose to be identified with a group of people that those with an upbringing like his regarded with contempt – a slave nation, the people of God. By identifying with them he brought upon himself danger, scorn and suffering.

パウロがこの選択をしたのは、「キリストのゆえに受けた恥辱は、エジプトの宝よりも価値があると考えたからである」(26節)。この世のつかの間の快楽に比べ、神は永遠の報酬を与えてくださいます。
He made this choice because ‘he regarded disgrace for the sake of Christ as of greater value than the treasures of Egypt’ (v.26). Compared to the pleasures of the world, which are fleeting, God offers you an everlasting reward.

選択としての信仰は正当化する信仰です。この最初の信仰行為は、次の記憶法で要約できます。
Faith as choice is the faith that justifies. This initial act of faith can be summarised with the mnemonic:

すべてを捨てて神について行く(信仰)
Forsaking All I Take Him (FAITH)

信仰は*忍耐*です

モーセはエジプトを二度出ました。一度目はエジプト人を殺した後、犯罪者として逃亡していました。二度目は神の民の指導者として出ました。その間、彼は勇気と決意を持って忍耐しました。彼は「目に見えない方を見たので忍耐しました」(27節)。彼の目は霊的領域全体に開かれました。
Faith as *perseverance*

Moses left Egypt twice. The first time he was fleeing as a criminal after killing an Egyptian. The second time, he left as leader of the people of God. In between, he persevered with courage and determination. He ‘persevered because he saw him who is invisible’ (v.27). His eyes were opened to the whole spiritual realm.

選択の瞬間から勝利の瞬間まで、多くの戦いがあります。これが聖書のパターンです。最初に召命が訪れ、次に問題が起こります。最後に達成があります。その間、忍耐と信頼を持ち続けてください。
From the moment of choice to the moment of triumph, there will be many battles. This is the pattern in the Bible. First comes the call, then the problems. Finally, there is the fulfilment. In between, keep persevering and trusting.

この種の信仰は、別の記憶法で要約することができます。
This kind of faith can be summarised in another mnemonic:

不安を感じたら彼を信頼する(信仰)
Feeling Afraid I Trust Him (FAITH)

信仰のこの側面は、ヘブル人への手紙の著者が特に強調しているものです。また、パウロが忠実さを聖霊の実として挙げているときに念頭に置いていたのも、おそらくこのことだったのでしょう (ガラテヤ 5:22)。
This aspect of faith is one that is particularly stressed by the author of Hebrews. It is also probably what Paul had in mind when he lists faithfulness as a fruit of the Spirit (Galatians 5:22).

信仰は期待である

アルファ リーダーシップ カンファレンスでリック ウォーレン牧師にインタビューしたとき、彼は修辞的にこう尋ねました。「なぜ神は私を使うのですか?」そして彼はこう答えました。「神が私を使うことを期待しているからです。」ジョイス マイヤーは期待を「望ましい結果を得ることを喜びとともに待ち望むこと」と定義しています。
Faith as *expectancy*

When I interviewed Pastor Rick Warren at the Alpha Leadership Conference, he asked rhetorically: ‘Why does God use me?’ And he gave the answer: ‘Because I expect him to use me.’ Joyce Meyer defines expectancy as ‘a joy-filled looking forward to receiving a desired result’.

モーセは神の声を聞きました。そして神が命じたことを実行しました。神は人を殺す力を持っていることを知っていましたが、血を振りかけられたイスラエル人の家々は通り過ぎて行かれると信じていました(ヘブル人への手紙 11:28)。彼は紅海を渡るなど、しるしや不思議を行う神の力を信じていました(29節)。
Moses heard God. He did what God told him to do. He knew that God had the power to kill, but he believed he would pass over the Israelite homes that were sprinkled with blood (Hebrews 11:28). He believed in God’s power to perform signs and wonders, such as the crossing of the Red Sea (v.29).

期待とは、神が偉大な業を成し遂げるだろうという、あの神秘的な自信の高まりです。最初の 3 つの福音書では、信仰に関する言及のほぼ 3 分の 2 が奇跡に関連しています。ここでの信仰とは、神の力に信頼することであると理解する必要があります。
Expectancy is that mysterious surge of confidence that God will perform a mighty work. In the first three Gospels, nearly two-thirds of the references to faith occur in relation to miracles. Faith here must be understood to be trusting in God’s power.

著者は旧約聖書にある信仰の例を他にもたくさん挙げています。その中には、「信仰によって国々を征服し、正義を執行し、約束のものを手に入れた人々、獅子の口を閉じ、炎の怒りを消し、剣の刃を逃れた人々、その弱さが強さに変わった人々」(33-34節)が含まれています。私は特に、神があなたや私の弱さを強さに変えてくださるという事実が大好きです。
The writer goes on to give many other examples of faith in the Old Testament, including those ‘who through faith conquered kingdoms, administered justice, and gained what was promised; who shut the mouths of lions, quenched the fury of the flames, and escaped the edge of the sword; whose weakness was turned into strength’ (vv.33–34). I particularly love the fact that God turns your, and my, weaknesses into strengths.

彼は、この歴史の流れを、非常に驚​​くべき言葉で締めくくっています。「神は、私たちのために、もっと良い計画を持っておられた」(40節、MSG)。彼は、あなたがたはノア、アブラハム、モーセ、ヨシュア、サムソン、ダビデ、その他すべての人々よりも恵まれていると言っているのです。「これらの人々は、信仰生活において模範的であったにもかかわらず、約束されたものを手にすることができませんでした」(39節、MSG)。彼らが期待できたのは、もっと良いものだけでしたが、あなたは聖霊の時代に生きており、キリストにおいて、このもっと良くて完全な啓示を受けています。
He concludes this sweep of history by saying something quite extraordinary: ‘God had a better plan for us’ (v.40, MSG). He is saying you are better off than Noah, Abraham, Moses, Joshua, Samson, David, and all the others. ‘Not one of these people, even though their lives of faith were exemplary, got their hands on what was promised’ (v.39, MSG). While they could only look forward to something better, you live in the age of the Spirit and have received this better and fuller revelation in Christ.

主よ、私があなたを信頼し、忍耐し、癒しと奇跡を成し遂げてくださることを待ち望む信仰を持てるよう助けてください。
Lord, help me to trust you, to persevere and have an expectant faith in you to perform healings and wonders.

エゼキエル 24:1-25:17
Ezekiel 24:1-25:17
エゼキエル書 24:1 新共同訳 [1] 第九年の十月十日のことである。その月の十日に、主の言葉がわたしに臨んだ。 https://bible.com/bible/1819/ezk.24.1.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

悲劇の時代における信仰
Faith in times of tragedy

「信仰とは困難に対する避難所ではなく、あらゆる矛盾に直面しても信じることである」とポール・トゥルニエは書いています。
‘Faith is not shelter against difficulties, but belief in the face of all contradictions,’ wrote Paul Tournier.

エゼキエルの信仰は驚くべきものです。彼のメッセージは非常に厳しいものです。神は民に、彼らを汚れから清めようとしたが、彼らは清くならなかったため、神の裁きが下るのだ、と告げています。「あなたたちは、あなたの行いと行動に応じて裁かれるであろう」(24:14)。もし私たちが神の赦し(キリストの十字架によって可能になったことは今やわかっています)を受け入れることを拒否するなら、私たちは私たち自身の行いと行動によって裁かれるでしょう。
Ezekiel’s faith is remarkable. His message is a very tough one. God is saying to his people that he has tried to cleanse them from their impurities, but they would not be clean and therefore his judgment is coming: ‘You will be judged according to your conduct and your actions’ (24:14). If we refuse to accept God’s forgiveness (which we now know is made possible through the cross of Christ), we will be judged on our own conduct and actions.

エゼキエルの信仰は、妻(「彼の目の喜び」、16節)の悲劇的な死を乗り越えました。神はイスラエルの聖所を奪い去ると言っています。それは彼らの目の喜びであり、彼らの愛情の対象です(21節)。神はバビロニア人によるエルサレムの恐ろしい破壊を予言しています。
Ezekiel’s faith survives the tragic loss of his wife (‘the delight of [his] eyes’, v.16). God says he is going to take away Israel’s sanctuary – which is the delight of their eyes, the object of their affection (v.21). He is foretelling the terrible destruction of Jerusalem by the Babylonians.

神は他の国々に、心に悪意を抱いて喜ぶことのないように警告しています(25:6,15)。神は、他の人々が困難に陥っているのを見たときに、ひそかに喜ぶ気持ち(それによって私たちは誘惑されることがあります)を強く非難しています。それは愛の反対です。
He warns the other nations not to rejoice with malice in their hearts (25:6,15). God strongly disapproves of that feeling of secret glee (by which we can be tempted) when we see other people getting into trouble – it is the opposite of love.

誰かがあなたを傷つけたとき、自分で復讐してはいけません。最後には正義が行われると約束された神を信頼してください(15-17節)。
When people hurt you, do not take vengeance into your own hands. Trust in God who promised that, in the end, he will ensure that justice is done (vv.15–17).

この箇所の暗闇の中に、一筋の光明があります。使者がエルサレムの滅亡の知らせを持って到着すると、エゼキエルの強制された沈黙(エゼキエル 3:24-27 参照)が終わります。これは彼の宣教活動における驚くべき変化の先駆けです。彼の焦点がイスラエル国家に戻ると(33 章)、破滅の預言者は希望の使者へと変わります。正義の神はまた、恵みと救いの神として明らかにされます。
In the midst of the darkness in this passage, there is one ray of light. As the messenger arrives with news of Jerusalem’s destruction, Ezekiel’s enforced silence (see Ezekiel 3:24–27) comes to an end. This heralds a remarkable shift in his ministry. When his focus returns to the nation of Israel (chapter 33), the prophet of doom is transformed into a messenger of hope. The God of Justice will also be revealed as a God of grace and salvation.

イエスは自ら裁きを受けられました。イエスの血はあなたをすべての罪から清めます。聖霊はあなたの中に住んでいます。あなたがイエスに全身全霊を傾けるなら、イエスがあなたを通して偉大なことをなさることを期待してください。
Jesus has taken the judgment on himself. The blood of Jesus cleanses you from all sin. The Holy Spirit lives in you. Expect him to do great things through you – as you lean your whole weight on him.

主よ、私は今日、私の恐れ、不安、そしてこれから待ち受ける困難をすべてあなたに捧げます。私はあなたを信頼します。私は今日、私の全重量をあなたにゆだねます。
Lord I bring to you today all my fears, anxieties and the challenges that lie ahead. I put my trust in you. I lean my whole weight on you today.

ピッパはこう付け加えます
ヘブライ人への手紙 11:31 には、売春婦だったラハブが偉大な信仰を持つ人々の一人として挙げられています。

信仰は、最も思いもよらない場所に見出されます。
Pippa Adds
In Hebrews 11:31, Rahab, who was a sex-worker, is listed as one of the people of great faith.

Faith can be found in the most unlikely places.



聖書を信頼できる理由 Why We Can Trust the Bible

2024-11-10 03:06:10 | 日記
ペテロの第二の手紙 1:19-21 NIV [19] わたしたちも預言の言葉を完全に確かなものとして持っています。夜明けが来て、明けの明星があなたがたの心の中に昇るまで、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。[20] 何よりもまず、聖書の預言はどれも預言者自身の解釈によって生じたものではないことを、あなたがたはよく理解しなければなりません。[21] 預言は決して人間の意志から出たものではなく、人間でありながら、聖霊に動かされて神からのことを語った預言者なのです。
2 Peter 1:19-21 NIV [19] We also have the prophetic message as something completely reliable, and you will do well to pay attention to it, as to a light shining in a dark place, until the day dawns and the morning star rises in your hearts. [20] Above all, you must understand that no prophecy of Scripture came about by the prophet’s own interpretation of things. [21] For prophecy never had its origin in the human will, but prophets, though human, spoke from God as they were carried along by the Holy Spirit.

聖書を信頼できる理由
Why We Can Trust the Bible

イエスは変容の山に一緒に行くよう、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子だけを招きました。そこで彼らはモーセとエリヤに会い、イエスが神の子であり、イエスのみが崇拝され、栄光を与えられるべきであることを確認する天からの神の声を聞きました。ペテロはその経験を決して忘れず、迫害されているクリスチャンに2通目の手紙を書くよう促されたとき、彼らにそのすばらしい日のことを思い起こさせました。そして、書き記された聖書は天の声よりもさらに確実であるという重要な点を指摘しました。ペテロは安定性と堅固さを強調するギリシャ語を使って、聖書を「より確かな言葉」と呼びました。
Jesus only invited three disciples to go with Him to the Mount of Transfiguration—Peter, James, and John. There they saw Moses and Elijah and heard the voice of God from Heaven confirming that Jesus was the Son of God and that He alone must be worshiped and glorified. Peter never forgot that experience, and when he was inspired to write his second letter to the persecuted Christians, he reminded them of that wonderful day. Then he made the vital point that the written Scriptures are more certain even than Heavenly voices. Peter called the Scriptures “a more sure word,” using a Greek word that highlights stability and firmness.

聖書は決して変わることなく、神が私たちの人生に必要だと知っていたことはすべて聖書に書かれています。 多くの人が神の意志を見つけるために奇跡的なビジョンや声を望んでいますが、神の計画は、私たちの心に御言葉を通して働く内在する聖霊を通して私たちが導きを見つけることです。 聖書を読むとき、私たちは神の道を歩むことを選ぶために必要なすべての情報を持っています。 従うための外部の兆候は必要ありませんが、御言葉の真理で心を満たし、それに従う必要があります。 聖書は人間が書いたものではなく、神の霊感を受けたものであるため、安定しており、まったく誤りがありません。 聖書に書かれていることはいつでも信頼できます。
The Bible never changes, and it has everything God knew that we would need for our lives. Many people are wishing for miraculous visions or voices to find God’s will, but His plan is for us to find our guidance through the indwelling Holy Spirit working through the Word in our hearts. As we read the Bible, we have all the information we need to choose to walk in God’s path. We do not need some outside sign to follow but rather to fill our minds with the truth of the Word and then obey it. Because the Bible is divinely inspired rather than produced by men, it is stable and completely without error. We can always trust what it says.

成長の原則: 私たちが日々の生活を送るための唯一の確かな基盤は、不変の神の言葉の中にあります。
Growth Principle: The only sure foundation for daily living that we have is found in the unchanging Word of God.

真の謙遜と知恵True Humility and Wisdom

2024-11-10 02:54:43 | 日記
箴言 22:4 NIV [4] 謙遜は主を畏れることである。その報酬は富と名誉と命である。
Proverbs 22:4 NIV [4] Humility is the fear of the Lord; its wages are riches and honor and life.

真の謙遜と知恵

神はイスラエルの偉大な王ソロモン王に計り知れない知恵を与えました。そこからソロモン王は箴言の書の多くを書き、神の前での正しい生き方に関する洞察と知識を与えました。

ソロモンは箴言の書を次の言葉で始めています:

「主を畏れることは知識の初めである。愚か者は知恵と教えを軽んじる。」

箴言 1:7 ESV

彼はこの真理を今日の聖句で繰り返しています:

「謙遜と主を畏れることの報いは富と名誉と命である。」

箴言 22:4 ESV

ソロモン王は私たちが想像する以上の富を持っていました。彼は諸国の間で尊敬され、充実した豊かな人生を送っていました。私たちは王ではないかもしれませんが、この言葉の真理は時代を超えています。

数百年後、パウロはエペソ人への手紙の中で、箴言 22:4 の背景となるキリスト教徒への祈りを記しました。

「…私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、あなた方に知恵と啓示の霊を与えて、神を知る知識を与え、あなた方の心の目が開かれるように。そうすれば、あなた方は、神があなた方を召された望みが何であるか、聖徒たちに対する神の栄光ある相続財産の富が何であるか、私たち信じる者に対する神の力の計り知れない偉大さが何であるかを知るようになるでしょう…」

エペソ人への手紙 1:17-19 ESV

彼の祈りは、謙虚に神とその御言葉に近づくことによって、神が霊的な知恵と知識を与えてくださることを教えています。そして、神への信仰のゆえに、神は私たちを尊び、キリスト・イエスに属することによってのみ得られる富を与えてくださいます。神はその偉大な愛のゆえに私たちを祝福してくださいます。 謙遜と神への神聖な畏れを通して、私たちは富、名誉、そして命という神の約束を受けることができます。それらの約束のいくつかは地上で実現しますが、すべてはイエスがいつか再臨されるときに実現します。そして、神の約束が実現するのを見るとき、私たちは神に栄光を捧げるでしょう。

True Humility and Wisdom

God granted King Solomon, the great King of Israel, wisdom beyond measure. From this, King Solomon penned much of the book of Proverbs, providing insight and knowledge regarding right living before God.

Solomon begins the book of Proverbs with this statement:
“The fear of the Lord is the beginning of knowledge; fools despise wisdom and instruction.”
Proverbs 1:7 ESV

He repeats this truth in our Verse of the Day:

“The reward for humility and fear of the Lord is riches and honor and life.”
Proverbs 22:4 ESV

King Solomon had more riches than we can imagine. He was honored among the nations and had a full and prosperous life. We might not be kings, but the truth of this statement is timeless.

Hundreds of years later, Paul wrote a prayer for the Christians in his letter to the Ephesians that can provide context for Proverbs 22:4.

“…the God of our Lord Jesus Christ, the Father of glory, may give you the Spirit of wisdom and of revelation in the knowledge of him, having the eyes of your hearts enlightened, that you may know what is the hope to which he has called you, what are the riches of his glorious inheritance in the saints, and what is the immeasurable greatness of his power toward us who believe … ”
Ephesians 1:17-19 ESV

His prayer teaches us that by coming to God and His Word with humility, God will give us spiritual wisdom and knowledge. And because of our faith in Him, God honors us and gives us riches that only come with belonging in Christ Jesus. He blesses us because of His great love.

It is through humility and a holy fear of God that we receive His promises of riches, honor, and life. Some of those promises will come to pass on earth, but all of them will be fulfilled when Jesus returns one day. And as we see the fulfillment of God’s promises, our response will be to give God the glory.

謙虚さを求める祈り
A Prayer for Humility

イエス様、あなたは私のために命を捧げることで、真の謙遜がどのようなものかを示してくださいました。今日、私が他の人と接するときに、自分よりも他の人を優先できるよう助けてください。不安からではなく、私が自分を知り、あなたを愛しているからこそ、そうすることができるよう助けてください。アーメン。
Jesus, You have shown me what true humility looks like by giving up Your life for my sake. Today, as I interact with other people, help me to consider others before myself. And help me to do this not from a place of insecurity—but because I know who I am and I love who You are. Amen.