心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

白梅の少女達 9 【今から行きます】

2010年02月22日 | 慰霊
朝の目覚めは、決してさわやかというものではなかった。いよいよ、今日だ。どこかしら、重い気持ちを抱えながらも、シャワーを浴びて身支度と整える。朝食の時間になり、Iさんとホテルのレストランでバイキングを頂く。予定していた時間よりもゆったりしていたため、わたしはIさんに『今から前のショッピングモールで買い物をして、時間間に合いますか?』と尋ねた。こうしたことは午前中に済ませるのが常だと感じていたためだ。Iさんはすかさず、『時間は慌てなくても大丈夫。御参りはお昼過ぎにしましょう。』と言った。どうやら、少女達があの壕で亡くなった時間が午後2時前後と感受したようで、その時間帯に合わせてあの壕で祈りを捧げる事になった。

朝食を済ませ、部屋に戻り、荷物を下ろしてチェックアウト。駐車場で車にキャリーバックを積み込み、わたしたちは目の前のショッピングモールへと出かけた。

昨日チェックしたお供え物の内、購入していないものをチェックする。まず果物そして甘酒。この甘酒が見当たらず店員に確認したところ売り切れとの事で代用としてにごり酒に代えさせて頂いた。

そして、花屋にてショーウィンドウから選んでゆく。店員に組み合わせを指示に、わたしたちは花束作りをしばし傍観していた。一人で賄っているこの店舗で、対応して下さった女性定員。おそらくこれだけ大量に購入した客もいないだろう。店のカウンターで黙々と束ねながら、リボンの色などを確認してくれた。さりげない気遣いがラッピングに反映されていく。そんな些細なことも、旅先では再発見出来るものだ。

特に、この地での些細な親切心に触れると、言葉では言い表せないものが込み上げてくる。一期一会。『きれいに花束を作って下さって、ありがとうございました。』そう声をかけて、わたしたちは店内を出た。

レンタル車のヴィッツの後部座席は、もうすっかり荷物がいっぱいで隙間もごくわずかになっていた。花束を傷つけぬよう、丁寧にもう一度荷物を積み直し、昨夜通ってきた道を再び向かった。遅かった朝食もあってか、昼の時間を回っていても空腹感に至らず、そのまま白梅之塔へ行くことになった。車中わたしたちはあまり多くを語らなかった。

唯一話したのが、お参りの段取りだ。まず昨日見た範囲で片付けねばならない時間が経過したお供物の処理、そしてどろどろになった人形ケースの掃除、最後に石碑の水洗い、それが終わったらお供え物のセッティング、花束の交換、それが終わったら正面でお参りをし、その後壕へ入る。

Iさんは、以前よりわたしが作った音楽には、魂を癒す効果があると豪語してきた。それは肉体と融合している意識とは別に、肉体に宿っている魂が、その音によって浄化され癒されていくのだという。彼女が仕事上で承った相談者の子供の話がある。父親の交通事故死によって、少女は精神的に滅入り、時折自虐的行為に及んでいたようだ。父親の死は、私が原因だと言い、小さな子供は自分を責め立てたという。

そこで、わたしの音楽『献花』というアルバム1枚を聴かせ、その相乗効果についての話を聴かせてもらったことがある。若干10歳程度の少女に、言葉の意味を持たない訳の分からぬ音楽がこころに響き、父親の死をしっかり受け止め、聴き終えた後『私、がんばる。』と言ったそうだ。

この不思議さは、理屈がまったく通用しない部分でもあり、わたし自身作曲するに当っての動機やきっかけには、悲しみに感受され動かされてきた節が過分にあったことを思い返す。どこかしら、作らねばならない働きかけをされていたようで、この事と魂との関係は、だんだんと感じられるようになってきた。

そんな出来事を通じ、Iさんが体感したことを踏まえ、沖縄に行く際には必ず音楽を流すよう言明されていた。同時に壕の中で唄うことについても確認したが、是非少女達に唄ってあげてと言われたのだった。正直、唄ってあげたいという思いと、届くのだろうかというこころの葛藤があった。これは移動中拭い切れなかったこころの内側だ。歌を唄い、どのような霊象に至るのか、わたし自身も未知数だからである。

選んだ歌は、KISMETというアルバムの最後の曲である『A GIRL IN A FIELD(草原の少女)』。この歌は、作曲の際奇妙な体験の中で生まれた曲だ。わたしが鳥になり、日本を出発し海を渡りモンゴル地方へまで飛来し、そしてその大草原で遊牧しているおじいさんと少女を見つけるのだ。わたしは鳥ながら、この二人にコンタクトすると、おじいさんと少女はこちらを見上げ、笑顔で手を振ってくる。自然の中で明るくたくましく生きる少女。目を閉じながら歌を唄っているとわたしの意識はこのような状況を作り出していた。

空、草原、おじいさん、少女、海、太陽の光など、わたしの作った曲の中で透明感がある明暗のない風にような曲だ。白梅の少女達に届ける曲は?と自問自答した時、最初に浮かんだのがこの曲だった。

『会場についたら、chakoちゃんのアルバムを流してね。』

Iさんはわたしにそう告げた。



(つづく)

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