今から10年前の2002年10月25日、当時民主党衆議院議員議員だった石井紘基氏が、世田谷区の自宅駐車場で指定暴力団山口組系の右翼団体『守皇塾』(構成員は本人一人のみ)代表・伊藤白水(=尹白水)という在日に柳刃包丁で左胸を刺され、享年62歳で死亡した。
当時の事件に関わる記事を色々と調べていくうちに、だんだんと失意が増して行った。もうすでに、犯人は裁判によって、無期懲役で服役中であるが、当時の事件資料からも、不可解な点があまりにも多い事件であり、裁判そのものも、正しい結論とは到底思えない。
2002年に石井議員は、以下のような書籍をPHPから出版している。小泉内閣時代、特殊法人などにもメスを入れたが、その先駆けとして石井議員が提唱していた事は、小泉内閣時代、道路公団問題で汗をかいた猪瀬氏も語っていた。
▼【日本が自滅する日】 発売日: 2002/01
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E8%87%AA%E6%BB%85%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E2%80%95%E3%80%8C%E5%AE%98%E5%88%B6%E7%B5%8C%E6%B8%88%E4%BD%93%E5%88%B6%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%87%91%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%84%E5%B0%BD%E3%81%8F%E3%81%99-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E7%B4%98%E5%9F%BA/dp/4569614140
▼石井議員が【日本が自滅する日】の書籍でも提唱した構造改革のための25のプログラム
http://www.osagashitai.com/kouzoukaikaku/kouki/jimetsu16.htm
ここで、改めて、石井議員の議員生活の足跡と共に、時の内閣が誰だったのかも書き記しておこう。
●1971年 江田三郎の息子の江田五月の秘書に就任
【63代 佐藤栄作 1970/01/14~1972/07/07 自由民主党】
●1978年 菅直人らと社会民主連合を結成し、事務局長に就任
【67代 福田赳夫 1976/12/24~1978/12/07 自由民主党】
【68代 大平正芳 1978/12/07~1979/11/09 自由民主党】
●1992年 衆議院議員選挙での同党公認が決定していたが突如日本新党へ移籍
【78代 宮澤喜一 1991/11/05~1993/08/09 自由民主党】
●1993年 日本新党から旧東京3区にて立候補し、初当選
【79代 細川護煕 1993/08/09~1994/04/28 日本新党、その他連立】
●1994年 羽田内閣において総務政務次官に就任
【80代 羽田孜 1994/04/28~1994/06/30 新生党、その他連立】
●1996年~ 新党さきがけ移籍~民主党の結党に参加~2002年
【82代 橋本龍太郎 1996/01/11~1996/11/07 自由民主党、その他連立】
【83代 橋本龍太郎 1996/11/07~1998/07/30 自由民主党、その他連立】
【84代 小渕恵三 1998/07/30~2000/04/05 自由民主党、その他連立】
【85代 森 喜朗 2000/04/05~2000/07/04 自由民主党、その他連立】
【86代 森 喜朗 2000/07/04~2001/04/26 自由民主党、その他連立】
【87代 小泉純一郎 2001/04/26~2003/11/19 自由民主党、その他連立】
▼1997年11月、衆議院で防衛庁調達実施本部背任事件を追及し、マスコミをリードし、東京地検の強制捜査にまで発展させた。東洋通信機だけでなく、年間約2兆円にのぼる防衛庁の装備品発注予算が長期にわたって不正に使われていたことがわかった。
▼2000年には、映画「バトル・ロワイアル」に関して「青少年に悪影響を与える」として国会で取り上げ、上映に反対し規制を働きかけようとした。
▼オウム真理教については「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」、「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中がどうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった」と発言している。
(引用 wikipedia)
動画で印象的だった言葉に、こんなセリフがあった。
「小泉さんたち(小泉内閣)は、だけじゃなくて、うちの民主党はもっと分かんないんだけどね、これが寂しいんだよね。」
「所詮、身を挺して闘わなければ努まらないのが、歴史的仕事ということでしょうから、覚悟はしていますが、それにしても、こんな国のために身を挺する必要なんてあるのかな、との自問葛藤も無きにしも有らずです。」
彼は、ソビエト時代にモスクワ大学に留学の経験がある。1755年に設立され、1953年に完成された現在の超高層の建物は、レフ・ルードネフの設計による、いわゆる「スターリン様式」の代表作。余談だが、ここの名誉博士に名を掲げているのが、池田大作氏(創価学会名誉会長)でもある。
石井氏は、学生時代安保反対と運動をしていた青年だった。当然ながら、共産国や社会主義国に対する憧れもあっただろう。若かりし頃に、江田五月や、菅直人とも交流が深かったのも、うなづける。だが、彼はモスクワ大学で、ソビエト崩壊を予見し、且つ、日本の社会構造が似ている事を体感として感じていたようだ。あくまでも、彼の主観に基づく見地ではあるが、政治の世界に入り、この思いがだんだんと確信して行ったのだろう。
その政治の世界では、さきがけに移籍後民主党に合流しながらも、後にカチカチの左派との距離を保っていたように見える。それが、『うちの民主党はもっと分かんないんだけどね、これが寂しいんだよね』の一言に表れているだろう。
国会質問では、調査から原稿作成まで、秘書任せにせず、自分で調べていくうちに、長年積み上げられた腐敗利権にメスを入れねばならないと確証し、より一層党に属しながらも、孤立感が増して行ったのではないかと想像する。
彼の遺品である残された67箱のダンボールに納められた資料を、江田五月も、菅直人も、彼の名誉のためにも、不正を暴くと奮起する言葉は発するが、ろくに調べもせず結果放置し、最終的には石井氏の娘さんが全て引き取り、データ化して行っているそうだ。
その後、石井氏の死の真相究明を放置した民主党は、2003年9月26日に小沢一郎が党首を務める自由党と合併。2004年には、菅直人は、年金未納問題でお遍路周りを決行。頭を丸め、パフォーマンスをしていた。何ら懲りていない菅氏は、2007年から合計3年間、彼の政治資金団体である草志会より、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」(東京、酒井剛代表)から派生した政治団体『政権交代をめざす市民の会』に、計6,250万円の政治献金をしている。
鳩山由紀夫も同じく、2007年から2009年にかけ、鳩山の資金管理団体「友愛政経懇話会」から1,000万円の政治献金をしている。2009年には、自身の多額の贈与税脱税を指摘され、慌てて2002年から7年分延滞税を含め、14億円も払っているが、初当選したのが、1986年ゆえに、すでにこの時点から贈与を受けていると見るべきだろう。
こうして、志半ばで倒れた石井氏の死後に、民主党政権交代は実現したが、この10年のお粗末な政治の結末は、政権交代して実に如実に表れてしまった。何も民主党の最たる愚行だけではく、石井氏がメスを入れようとした部分は、過去の自民党政権時代の腐敗部分でもある。
当時、彼が10月25日に刺殺され、28日には国会で爆弾発言をする予定にしていた原稿及び資料や手帳などは、未だ見つかっていない。殺害し自首したとされる伊藤白水は、のちに、テレビ朝日の記者との手紙の文通の中で、裁判での動機を覆し、第三者から対価を貰って依頼を受けた事を暴露している。但し、一貫してカバンの書類は知らないと言い切っている。
2009年の取材までは、テレビ朝日の記者に面会を赦し、限界まで話しをしたようだが、2010年の取材では、記者のアポイントを容認しながらも、3秒ほど扉に付いた小窓から伺い、記者の顔を見て『知らない』と言い切り、面会を断っている。
これもまた、腑に落ちない。この伊藤白水は、自分が実行犯と言って自首をし判決を受け服役しているが、身代わりの可能性も否定は出来ないのではないだろうか。
2009年の取材後のテレビ報道によって、誰かが刑務所へ出向き、これ以上しゃべるなと、口封じをされたとしか考えにくい。どの道、核心的な部分は、この伊藤白水は知らないと思われるが、彼に依頼をした人物、この人物にさらに頼んだ人物、と言った複数のフィルターを掛ける事によって、実行犯で逮捕された伊藤には、知らされなかったのだろう。
この事件にちらつくのは、オウム事件と重なる村井氏刺殺事件だ。あの時も自称右翼の在日によって、口封じをされたが、石井氏もまた、オウム事件の追及には調べをしていたようだ。
オウム事件については、ロシアや北朝鮮も深く関わっていたことは、すでに情報も沢山出てきている。但し、核心的な部分は未だに不透明のままだ。
数ヶ月前に、某テレビ番組で、戦場カメラマンの宮嶋茂樹氏が、村井氏刺殺事件の実行犯が服役を終えた後出所し、その後取材をしたようだが、核心部分はやはり口を割らなかったが、それでも、推理出来るヒントとなる情報を宮嶋氏は入手出来ただろう。だからこそ、番組で話せば僕の命が危ないと言ったのではないだろうか。
国家が転覆してしまうほどの秘密情報とは・・・・。
死人に口無しながらも、67箱の遺品である資料の中に、このヒントの断片はおそらくあるだろう。それを、きっちり捜査せず、犯人の殺害動機、また、カバンの中身についても裁判では不明瞭のまま進行され、無期懲役を言い渡した結末も、実に不可解なのだ。
石井氏の死後、日本では、さまざまな膿が出始めた事は、せめてもの供養になるだろう。核心的な膿は、未だ出せないでいるが、真の愛国心があれば、本来、不正などは出来ないはずだ。
残念ながらも、戦後経済復興を遂げながら、防衛はアメリカ任せにし、その後憲法改正もせず、国の金を食いつくし、我がさえ良ければ良いという人間が、国の中枢において、戦後増殖した事は確かだろう。
これから民主党から自民党に政権が移ったとしても、この日本病の核にメスを入れられる議員は、いるのだろうか。保守もまた、残念ながら不形成のまま、変われないのかもしれない。
改めて、10年目の節目として、10月25日の彼の命日の前に、この情報をここに書き記し、哀悼を奉げたいと思う。何とか日本の再建をしようと核心に近づきすぎた結果、命を落とされた事は、日本の不幸でもある。隣国の暴挙に憤りつつも、不甲斐ない我が国の国政においても憤りは、今も続いている。
石井氏の死後も、未だ、日本病は治癒していない。
政界だけでなく、国民もまだ、眠りの中なのだろうか。
もう、目覚めの時期なのだが・・・・・。
▼【石井紘基刺殺事件】 Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E7%B4%98%E5%9F%BA%E5%88%BA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
▼2003年8月13日放送 第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
「『日本病』の正体~政治家 石井紘基の見た風景~」
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/12th/03-226.html
1/5
http://www.youtube.com/watch?v=RIWZX_Sd4Fc
2/5
http://www.youtube.com/watch?v=ONelHU53Cto
3/5
http://www.youtube.com/watch?v=BdSRmeFqLvs
4/5
http://www.youtube.com/watch?v=_pQCdzqQhI4
5/5
http://www.youtube.com/watch?v=QMWqiTgE1iY
▼2003年10月25日 紀藤正樹 弁護士
真相の究明に全力を-石井こうきさんに想いをはせる-この1年間をふりかえって-
http://homepage1.nifty.com/kito/ishii/ishi-031025.htm
※紀藤弁護士は、犯人の量刑について10~15年と、裁判過程において推察していたようだが、実際には、無期懲役という死刑に告ぐ重たい判決だった。この量刑審判の結果も、正直、不可解さが残る。あえて、この伊藤白水被告を、この世に出させない口封じの判決にも見えてくる。
▼2004年10月11日 『ACT―市民の政治―』227号
【真相の究明を!石井 ターニャさん(政治文化研究所代表)】
父・石井紘基(衆院議員)は誰に、なぜ殺されたのか
10・25暗殺事件から2年 権力と裏社会が結託すればそれは十分に可能なこと
http://www.jca.apc.org/act/new.html
【石井紘基議員が追っていた疑惑】
▼2005年 日刊ベリタ掲載
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200512221748334
「消えた書類」は整理回収機構の不正関連 石井紘基氏刺殺事件で金融専門家が証言
当日「国会質問の最終準備を予定」
特殊法人をめぐる税金の流れなど国の不正を追求し続けた民主党の故石井紘基議員(当時61)が刺殺されてから、3年以上が経過した。事件現場である自宅玄関前で石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。今回、筆者はカバンに「入っていたはず」の書類の作成に携わった金融専門家のA氏と接触した。A氏は、その書類内容とは、国策会社「整理回収機構(RCC)をめぐる不正を示すものだった」と証言した。(佐々木敬一)
▼山田洋行オーナーによる資産隠し疑惑 (Wikiより抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B4%8B%E8%A1%8C#.E3.82.AA.E3.83.BC.E3.83.8A.E3.83.BC.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E8.B3.87.E7.94.A3.E9.9A.A0.E3.81.97.E7.96.91.E6.83.91
山田洋行の代表取締役社長は長年、秋山と懇意だった東京相和銀行(現・東京スター銀行)の長田庄一の大番頭だった山田正志が務め、後に息子の山田真嗣が代表取締役に就任している。山田洋行の95%の株式は山田グループの不動産会社である弥生不動産が保有している。加えて弥生不動産社長でもある山田真嗣も約3%所有する。
多額の負債を抱えた山田洋行の親会社「弥生不動産」の債務回収は東京相和銀行から「整理回収機構」(RCC)に移行されている。当時、融資の担保になっていたのは銀座にあるクラブが入居しているビルなどである。通常、整理回収機構はこうした担保物件を別会社等に売却して資金回収をするが、現在もこれらビルは弥生不動産所有のままで、整理回収機構の担保設定は解除されている。
しかしながら、整理回収機構側は弥生不動産の不良債権(113億円)処理に際し、一時金37億円の支払い、2016年までの12年間に30億円の分割払い(計67億円)、残り46億円の債権を整理回収機構が放棄するという弁済案で2004年3月に終結したものの、現在も不動産・グループ企業多数を所有しているため、資産の過少申告や整理回収機構との裏取引があったのではないかとの報道がある。
山田正志は、田村秀昭元参院議員や、宮崎元専務から飲食接待を受けた久間章生元防衛相と懇意だったとされる。
▼オウム事件は終わらない
http://www.osagashitai.com/kouzoukaikaku/kouki/oum02.htm
僕の地元の成城で、最近統一教会が建物を借りて改装工事を始めたのです。それで地域住民はこぞってピケをはり、統一教会が建物の中に入れないようにしていますが、こんなことにしても、始まってから何ヶ月経っても政治家はさっぱり表に出てこないんですね。いろいろアプローチしていくと、どうも統一教会の息のかかった政治家というのが随分といるようだと、地元の人も言っていました。
未来に向けて社会をどのように改革していくか、ということを政治家が真剣に考えないものだから、その間に経済活動や政治活動を通じて宗教団体にどんどん侵食されているという面がありますね。
錦織:「ともかく私には、オウムは統一教会をラジカルにしたものだという感じがするのです。オウムの原型というのは、つまりオウムの初期の活動形態は、統一教会がやってきたことときわめて類似しているのです。」
石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。
石井:捜査についてですが、日本ではオウムの全容が明らかにされません。オウム事件というのは、いったいどういうことだったのか。僕は、岡崎さんがおっしゃったように、オウム真理教は、宗教法人制度をうまく利用してアンダーグラウンドで儲けようという要素を非常に強く持っていたのだと思います。それが暴力団と結びつき、国際的に密貿易をしたり、薬物を流したりしたのはいったい何のためだったのか。
【犯人供述の変化】
テレビ朝日の記者が犯人と文通して得た情報の断片が以下の動画。但し、タイトルと比べ、誰から頼まれたのか、ここについては不明のままだ。あまり、信用していない朝日報道ではあるが、2010年の動画では取材をした記者が登場し、手紙の断片を開示している。
▼2009年2月11日 テレビ朝日報道 伊藤白水が自供か故・石井紘基議員の殺害犯
「本当は頼まれたから殺した」「法廷での証言はでたらめ」と獄中で告白
1/2
http://www.youtube.com/watch?v=XZvKh4J9vig&feature=related
2/2
http://www.youtube.com/watch?v=Dz5FIXVXRvk&feature=relmfu
(上記動画は、内容が下記動画と重複するためリンクのみで省略添付)
▼2010年10月30日 テレビ朝日報道 『報道発ドキュメンタリー宣言』にて
「追跡・・石井議員殺害、実行犯が語る真相」
1/3
http://www.youtube.com/watch?v=-tn1Oq7jA-A
2/3
http://www.youtube.com/watch?v=KsB4QE49r9Q
3/3
http://www.youtube.com/watch?v=X34iRa7oXFM
【情報収集サイト】
交流のあった、紀藤正樹弁護士は、延長に延長を重ねながら、今も情報収集を募るサイトを運営中。紀藤正樹弁護士は、統一教会やオウム事件の被害者救済などで尽力をされた弁護士。
▼故・衆議院議員石井こうき事件の真相究明プロジェクト(運営:紀藤正樹 弁護士)
http://homepage1.nifty.com/kito/ishii/
当時の事件に関わる記事を色々と調べていくうちに、だんだんと失意が増して行った。もうすでに、犯人は裁判によって、無期懲役で服役中であるが、当時の事件資料からも、不可解な点があまりにも多い事件であり、裁判そのものも、正しい結論とは到底思えない。
2002年に石井議員は、以下のような書籍をPHPから出版している。小泉内閣時代、特殊法人などにもメスを入れたが、その先駆けとして石井議員が提唱していた事は、小泉内閣時代、道路公団問題で汗をかいた猪瀬氏も語っていた。
▼【日本が自滅する日】 発売日: 2002/01
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E8%87%AA%E6%BB%85%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E2%80%95%E3%80%8C%E5%AE%98%E5%88%B6%E7%B5%8C%E6%B8%88%E4%BD%93%E5%88%B6%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%87%91%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%84%E5%B0%BD%E3%81%8F%E3%81%99-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E7%B4%98%E5%9F%BA/dp/4569614140
▼石井議員が【日本が自滅する日】の書籍でも提唱した構造改革のための25のプログラム
http://www.osagashitai.com/kouzoukaikaku/kouki/jimetsu16.htm
ここで、改めて、石井議員の議員生活の足跡と共に、時の内閣が誰だったのかも書き記しておこう。
●1971年 江田三郎の息子の江田五月の秘書に就任
【63代 佐藤栄作 1970/01/14~1972/07/07 自由民主党】
●1978年 菅直人らと社会民主連合を結成し、事務局長に就任
【67代 福田赳夫 1976/12/24~1978/12/07 自由民主党】
【68代 大平正芳 1978/12/07~1979/11/09 自由民主党】
●1992年 衆議院議員選挙での同党公認が決定していたが突如日本新党へ移籍
【78代 宮澤喜一 1991/11/05~1993/08/09 自由民主党】
●1993年 日本新党から旧東京3区にて立候補し、初当選
【79代 細川護煕 1993/08/09~1994/04/28 日本新党、その他連立】
●1994年 羽田内閣において総務政務次官に就任
【80代 羽田孜 1994/04/28~1994/06/30 新生党、その他連立】
●1996年~ 新党さきがけ移籍~民主党の結党に参加~2002年
【82代 橋本龍太郎 1996/01/11~1996/11/07 自由民主党、その他連立】
【83代 橋本龍太郎 1996/11/07~1998/07/30 自由民主党、その他連立】
【84代 小渕恵三 1998/07/30~2000/04/05 自由民主党、その他連立】
【85代 森 喜朗 2000/04/05~2000/07/04 自由民主党、その他連立】
【86代 森 喜朗 2000/07/04~2001/04/26 自由民主党、その他連立】
【87代 小泉純一郎 2001/04/26~2003/11/19 自由民主党、その他連立】
▼1997年11月、衆議院で防衛庁調達実施本部背任事件を追及し、マスコミをリードし、東京地検の強制捜査にまで発展させた。東洋通信機だけでなく、年間約2兆円にのぼる防衛庁の装備品発注予算が長期にわたって不正に使われていたことがわかった。
▼2000年には、映画「バトル・ロワイアル」に関して「青少年に悪影響を与える」として国会で取り上げ、上映に反対し規制を働きかけようとした。
▼オウム真理教については「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」、「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中がどうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった」と発言している。
(引用 wikipedia)
動画で印象的だった言葉に、こんなセリフがあった。
「小泉さんたち(小泉内閣)は、だけじゃなくて、うちの民主党はもっと分かんないんだけどね、これが寂しいんだよね。」
「所詮、身を挺して闘わなければ努まらないのが、歴史的仕事ということでしょうから、覚悟はしていますが、それにしても、こんな国のために身を挺する必要なんてあるのかな、との自問葛藤も無きにしも有らずです。」
彼は、ソビエト時代にモスクワ大学に留学の経験がある。1755年に設立され、1953年に完成された現在の超高層の建物は、レフ・ルードネフの設計による、いわゆる「スターリン様式」の代表作。余談だが、ここの名誉博士に名を掲げているのが、池田大作氏(創価学会名誉会長)でもある。
石井氏は、学生時代安保反対と運動をしていた青年だった。当然ながら、共産国や社会主義国に対する憧れもあっただろう。若かりし頃に、江田五月や、菅直人とも交流が深かったのも、うなづける。だが、彼はモスクワ大学で、ソビエト崩壊を予見し、且つ、日本の社会構造が似ている事を体感として感じていたようだ。あくまでも、彼の主観に基づく見地ではあるが、政治の世界に入り、この思いがだんだんと確信して行ったのだろう。
その政治の世界では、さきがけに移籍後民主党に合流しながらも、後にカチカチの左派との距離を保っていたように見える。それが、『うちの民主党はもっと分かんないんだけどね、これが寂しいんだよね』の一言に表れているだろう。
国会質問では、調査から原稿作成まで、秘書任せにせず、自分で調べていくうちに、長年積み上げられた腐敗利権にメスを入れねばならないと確証し、より一層党に属しながらも、孤立感が増して行ったのではないかと想像する。
彼の遺品である残された67箱のダンボールに納められた資料を、江田五月も、菅直人も、彼の名誉のためにも、不正を暴くと奮起する言葉は発するが、ろくに調べもせず結果放置し、最終的には石井氏の娘さんが全て引き取り、データ化して行っているそうだ。
その後、石井氏の死の真相究明を放置した民主党は、2003年9月26日に小沢一郎が党首を務める自由党と合併。2004年には、菅直人は、年金未納問題でお遍路周りを決行。頭を丸め、パフォーマンスをしていた。何ら懲りていない菅氏は、2007年から合計3年間、彼の政治資金団体である草志会より、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」(東京、酒井剛代表)から派生した政治団体『政権交代をめざす市民の会』に、計6,250万円の政治献金をしている。
鳩山由紀夫も同じく、2007年から2009年にかけ、鳩山の資金管理団体「友愛政経懇話会」から1,000万円の政治献金をしている。2009年には、自身の多額の贈与税脱税を指摘され、慌てて2002年から7年分延滞税を含め、14億円も払っているが、初当選したのが、1986年ゆえに、すでにこの時点から贈与を受けていると見るべきだろう。
こうして、志半ばで倒れた石井氏の死後に、民主党政権交代は実現したが、この10年のお粗末な政治の結末は、政権交代して実に如実に表れてしまった。何も民主党の最たる愚行だけではく、石井氏がメスを入れようとした部分は、過去の自民党政権時代の腐敗部分でもある。
当時、彼が10月25日に刺殺され、28日には国会で爆弾発言をする予定にしていた原稿及び資料や手帳などは、未だ見つかっていない。殺害し自首したとされる伊藤白水は、のちに、テレビ朝日の記者との手紙の文通の中で、裁判での動機を覆し、第三者から対価を貰って依頼を受けた事を暴露している。但し、一貫してカバンの書類は知らないと言い切っている。
2009年の取材までは、テレビ朝日の記者に面会を赦し、限界まで話しをしたようだが、2010年の取材では、記者のアポイントを容認しながらも、3秒ほど扉に付いた小窓から伺い、記者の顔を見て『知らない』と言い切り、面会を断っている。
これもまた、腑に落ちない。この伊藤白水は、自分が実行犯と言って自首をし判決を受け服役しているが、身代わりの可能性も否定は出来ないのではないだろうか。
2009年の取材後のテレビ報道によって、誰かが刑務所へ出向き、これ以上しゃべるなと、口封じをされたとしか考えにくい。どの道、核心的な部分は、この伊藤白水は知らないと思われるが、彼に依頼をした人物、この人物にさらに頼んだ人物、と言った複数のフィルターを掛ける事によって、実行犯で逮捕された伊藤には、知らされなかったのだろう。
この事件にちらつくのは、オウム事件と重なる村井氏刺殺事件だ。あの時も自称右翼の在日によって、口封じをされたが、石井氏もまた、オウム事件の追及には調べをしていたようだ。
オウム事件については、ロシアや北朝鮮も深く関わっていたことは、すでに情報も沢山出てきている。但し、核心的な部分は未だに不透明のままだ。
数ヶ月前に、某テレビ番組で、戦場カメラマンの宮嶋茂樹氏が、村井氏刺殺事件の実行犯が服役を終えた後出所し、その後取材をしたようだが、核心部分はやはり口を割らなかったが、それでも、推理出来るヒントとなる情報を宮嶋氏は入手出来ただろう。だからこそ、番組で話せば僕の命が危ないと言ったのではないだろうか。
国家が転覆してしまうほどの秘密情報とは・・・・。
死人に口無しながらも、67箱の遺品である資料の中に、このヒントの断片はおそらくあるだろう。それを、きっちり捜査せず、犯人の殺害動機、また、カバンの中身についても裁判では不明瞭のまま進行され、無期懲役を言い渡した結末も、実に不可解なのだ。
石井氏の死後、日本では、さまざまな膿が出始めた事は、せめてもの供養になるだろう。核心的な膿は、未だ出せないでいるが、真の愛国心があれば、本来、不正などは出来ないはずだ。
残念ながらも、戦後経済復興を遂げながら、防衛はアメリカ任せにし、その後憲法改正もせず、国の金を食いつくし、我がさえ良ければ良いという人間が、国の中枢において、戦後増殖した事は確かだろう。
これから民主党から自民党に政権が移ったとしても、この日本病の核にメスを入れられる議員は、いるのだろうか。保守もまた、残念ながら不形成のまま、変われないのかもしれない。
改めて、10年目の節目として、10月25日の彼の命日の前に、この情報をここに書き記し、哀悼を奉げたいと思う。何とか日本の再建をしようと核心に近づきすぎた結果、命を落とされた事は、日本の不幸でもある。隣国の暴挙に憤りつつも、不甲斐ない我が国の国政においても憤りは、今も続いている。
石井氏の死後も、未だ、日本病は治癒していない。
政界だけでなく、国民もまだ、眠りの中なのだろうか。
もう、目覚めの時期なのだが・・・・・。
▼【石井紘基刺殺事件】 Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E7%B4%98%E5%9F%BA%E5%88%BA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
▼2003年8月13日放送 第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
「『日本病』の正体~政治家 石井紘基の見た風景~」
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/12th/03-226.html
1/5
http://www.youtube.com/watch?v=RIWZX_Sd4Fc
2/5
http://www.youtube.com/watch?v=ONelHU53Cto
3/5
http://www.youtube.com/watch?v=BdSRmeFqLvs
4/5
http://www.youtube.com/watch?v=_pQCdzqQhI4
5/5
http://www.youtube.com/watch?v=QMWqiTgE1iY
▼2003年10月25日 紀藤正樹 弁護士
真相の究明に全力を-石井こうきさんに想いをはせる-この1年間をふりかえって-
http://homepage1.nifty.com/kito/ishii/ishi-031025.htm
※紀藤弁護士は、犯人の量刑について10~15年と、裁判過程において推察していたようだが、実際には、無期懲役という死刑に告ぐ重たい判決だった。この量刑審判の結果も、正直、不可解さが残る。あえて、この伊藤白水被告を、この世に出させない口封じの判決にも見えてくる。
▼2004年10月11日 『ACT―市民の政治―』227号
【真相の究明を!石井 ターニャさん(政治文化研究所代表)】
父・石井紘基(衆院議員)は誰に、なぜ殺されたのか
10・25暗殺事件から2年 権力と裏社会が結託すればそれは十分に可能なこと
http://www.jca.apc.org/act/new.html
【石井紘基議員が追っていた疑惑】
▼2005年 日刊ベリタ掲載
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200512221748334
「消えた書類」は整理回収機構の不正関連 石井紘基氏刺殺事件で金融専門家が証言
当日「国会質問の最終準備を予定」
特殊法人をめぐる税金の流れなど国の不正を追求し続けた民主党の故石井紘基議員(当時61)が刺殺されてから、3年以上が経過した。事件現場である自宅玄関前で石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。今回、筆者はカバンに「入っていたはず」の書類の作成に携わった金融専門家のA氏と接触した。A氏は、その書類内容とは、国策会社「整理回収機構(RCC)をめぐる不正を示すものだった」と証言した。(佐々木敬一)
▼山田洋行オーナーによる資産隠し疑惑 (Wikiより抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B4%8B%E8%A1%8C#.E3.82.AA.E3.83.BC.E3.83.8A.E3.83.BC.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E8.B3.87.E7.94.A3.E9.9A.A0.E3.81.97.E7.96.91.E6.83.91
山田洋行の代表取締役社長は長年、秋山と懇意だった東京相和銀行(現・東京スター銀行)の長田庄一の大番頭だった山田正志が務め、後に息子の山田真嗣が代表取締役に就任している。山田洋行の95%の株式は山田グループの不動産会社である弥生不動産が保有している。加えて弥生不動産社長でもある山田真嗣も約3%所有する。
多額の負債を抱えた山田洋行の親会社「弥生不動産」の債務回収は東京相和銀行から「整理回収機構」(RCC)に移行されている。当時、融資の担保になっていたのは銀座にあるクラブが入居しているビルなどである。通常、整理回収機構はこうした担保物件を別会社等に売却して資金回収をするが、現在もこれらビルは弥生不動産所有のままで、整理回収機構の担保設定は解除されている。
しかしながら、整理回収機構側は弥生不動産の不良債権(113億円)処理に際し、一時金37億円の支払い、2016年までの12年間に30億円の分割払い(計67億円)、残り46億円の債権を整理回収機構が放棄するという弁済案で2004年3月に終結したものの、現在も不動産・グループ企業多数を所有しているため、資産の過少申告や整理回収機構との裏取引があったのではないかとの報道がある。
山田正志は、田村秀昭元参院議員や、宮崎元専務から飲食接待を受けた久間章生元防衛相と懇意だったとされる。
▼オウム事件は終わらない
http://www.osagashitai.com/kouzoukaikaku/kouki/oum02.htm
僕の地元の成城で、最近統一教会が建物を借りて改装工事を始めたのです。それで地域住民はこぞってピケをはり、統一教会が建物の中に入れないようにしていますが、こんなことにしても、始まってから何ヶ月経っても政治家はさっぱり表に出てこないんですね。いろいろアプローチしていくと、どうも統一教会の息のかかった政治家というのが随分といるようだと、地元の人も言っていました。
未来に向けて社会をどのように改革していくか、ということを政治家が真剣に考えないものだから、その間に経済活動や政治活動を通じて宗教団体にどんどん侵食されているという面がありますね。
錦織:「ともかく私には、オウムは統一教会をラジカルにしたものだという感じがするのです。オウムの原型というのは、つまりオウムの初期の活動形態は、統一教会がやってきたことときわめて類似しているのです。」
石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。
石井:捜査についてですが、日本ではオウムの全容が明らかにされません。オウム事件というのは、いったいどういうことだったのか。僕は、岡崎さんがおっしゃったように、オウム真理教は、宗教法人制度をうまく利用してアンダーグラウンドで儲けようという要素を非常に強く持っていたのだと思います。それが暴力団と結びつき、国際的に密貿易をしたり、薬物を流したりしたのはいったい何のためだったのか。
【犯人供述の変化】
テレビ朝日の記者が犯人と文通して得た情報の断片が以下の動画。但し、タイトルと比べ、誰から頼まれたのか、ここについては不明のままだ。あまり、信用していない朝日報道ではあるが、2010年の動画では取材をした記者が登場し、手紙の断片を開示している。
▼2009年2月11日 テレビ朝日報道 伊藤白水が自供か故・石井紘基議員の殺害犯
「本当は頼まれたから殺した」「法廷での証言はでたらめ」と獄中で告白
1/2
http://www.youtube.com/watch?v=XZvKh4J9vig&feature=related
2/2
http://www.youtube.com/watch?v=Dz5FIXVXRvk&feature=relmfu
(上記動画は、内容が下記動画と重複するためリンクのみで省略添付)
▼2010年10月30日 テレビ朝日報道 『報道発ドキュメンタリー宣言』にて
「追跡・・石井議員殺害、実行犯が語る真相」
1/3
http://www.youtube.com/watch?v=-tn1Oq7jA-A
2/3
http://www.youtube.com/watch?v=KsB4QE49r9Q
3/3
http://www.youtube.com/watch?v=X34iRa7oXFM
【情報収集サイト】
交流のあった、紀藤正樹弁護士は、延長に延長を重ねながら、今も情報収集を募るサイトを運営中。紀藤正樹弁護士は、統一教会やオウム事件の被害者救済などで尽力をされた弁護士。
▼故・衆議院議員石井こうき事件の真相究明プロジェクト(運営:紀藤正樹 弁護士)
http://homepage1.nifty.com/kito/ishii/