自粛とは、【自分から進んで、行いや態度を慎むこと】という意味です。自粛は、あくまでも、自分が決めることです。他者から求められ、慎むことの行いではありません。あくまでも、自分で決める、という行いを指します。
甚大な被害を重んじ、今、メディアから配信される中身に【自粛】に対する是々非々が聞えてきます。他者から言われ、なるほどと気づく人もいれば、はじめから自粛する人や、取り立てて気にせず平常通り生活する人や、自粛は経済を停滞させるからそんなことはしなくて良いと否定的なご意見を持つ人もいたりします。
こうしたニュースを見て、わたしは不可解な気持ちに至ります。
3月11日、大震災が起こり、甚大な被害で戦後最大と言われる程の大勢の尊い命が奪われました。自粛するか、しないか等の議論が、テレビなどでも報じられていますが、3月11日からは、まだ1ヶ月も経っていません。
日本ではさまざまな宗教がありますが、一般的に多くの方々のご先祖様のご供養は、仏教が主であろうと想像します。仏教では、亡くなった方が、この世からあの世へ行く、つまりお浄土へ行くまで49日かかると教えられています。この間、家族は亡くなってからの日ごとに読経をし、儀式的な供養を行います。人が亡くなって49日までは喪に服すというのが、古来からの慣わしでした。
昔は今ほど趣味趣向に沿ったモノも、遊びもありません。おそらく、これだけの大勢の方々が亡くなられた場合、せめて49日までは遺族に配慮ある態度や行いを自制されていたのではないでしょうか。時代はすっかり流れ、人の考えも変わってしまいましたが、人が生きる『信条』という軸まで変わってもいいのか?という疑問にぶち当たります。
人の死に対し、想いを馳せる日が命日であり、故人を思い返し、故人から頂いた愛情を懐かしみ、故人を失った時の痛みを癒していくのだろうと思います。遺族にとっては、かけがえのない日である愛する人の命日。わたし自身は、今回の被害に見舞われ亡くなられた方々のお顔も、お名前も存じませんが、あれだけの人が一度に亡くなると自身の痛みとして感じました。よって、わたしは自粛する立場ですが、その理由の根幹にはお浄土へ行けるまでの日数は、せめて遺族と同じように喪に服す事が真心ではないかと感じます。
また来年、春に桜が咲けば花見は出来るでしょう。しかし、平成23年3月11日からの49日目までの日々は、生涯に1度しかありません。二度とない日なのです。わたしは、この重たさを共に感じる事の方が自分の人生にとって、また社会にとっても、大切だと感じていますので、そう判断しています。
個人主義が当たり前にように横行してしまった結果、世の中の共通認識として持てる【価値】が昨今、希薄になってしまいました。これは、ある種、国益を損なうほどの民族の意識の喪失ではと危惧しています。知らない間に、気づかない間に、継承すべきことを継承せず、こうして骨抜きになっている様が、この自粛の分別にも表れているように感じています。
単なる【自粛をするかしないか】だけの問題ではなく、【自粛にある信条】に意識を傾注すべきでしょう。こうしたニュースそのものが、実に残念であります。
甚大な被害を重んじ、今、メディアから配信される中身に【自粛】に対する是々非々が聞えてきます。他者から言われ、なるほどと気づく人もいれば、はじめから自粛する人や、取り立てて気にせず平常通り生活する人や、自粛は経済を停滞させるからそんなことはしなくて良いと否定的なご意見を持つ人もいたりします。
こうしたニュースを見て、わたしは不可解な気持ちに至ります。
3月11日、大震災が起こり、甚大な被害で戦後最大と言われる程の大勢の尊い命が奪われました。自粛するか、しないか等の議論が、テレビなどでも報じられていますが、3月11日からは、まだ1ヶ月も経っていません。
日本ではさまざまな宗教がありますが、一般的に多くの方々のご先祖様のご供養は、仏教が主であろうと想像します。仏教では、亡くなった方が、この世からあの世へ行く、つまりお浄土へ行くまで49日かかると教えられています。この間、家族は亡くなってからの日ごとに読経をし、儀式的な供養を行います。人が亡くなって49日までは喪に服すというのが、古来からの慣わしでした。
昔は今ほど趣味趣向に沿ったモノも、遊びもありません。おそらく、これだけの大勢の方々が亡くなられた場合、せめて49日までは遺族に配慮ある態度や行いを自制されていたのではないでしょうか。時代はすっかり流れ、人の考えも変わってしまいましたが、人が生きる『信条』という軸まで変わってもいいのか?という疑問にぶち当たります。
人の死に対し、想いを馳せる日が命日であり、故人を思い返し、故人から頂いた愛情を懐かしみ、故人を失った時の痛みを癒していくのだろうと思います。遺族にとっては、かけがえのない日である愛する人の命日。わたし自身は、今回の被害に見舞われ亡くなられた方々のお顔も、お名前も存じませんが、あれだけの人が一度に亡くなると自身の痛みとして感じました。よって、わたしは自粛する立場ですが、その理由の根幹にはお浄土へ行けるまでの日数は、せめて遺族と同じように喪に服す事が真心ではないかと感じます。
また来年、春に桜が咲けば花見は出来るでしょう。しかし、平成23年3月11日からの49日目までの日々は、生涯に1度しかありません。二度とない日なのです。わたしは、この重たさを共に感じる事の方が自分の人生にとって、また社会にとっても、大切だと感じていますので、そう判断しています。
個人主義が当たり前にように横行してしまった結果、世の中の共通認識として持てる【価値】が昨今、希薄になってしまいました。これは、ある種、国益を損なうほどの民族の意識の喪失ではと危惧しています。知らない間に、気づかない間に、継承すべきことを継承せず、こうして骨抜きになっている様が、この自粛の分別にも表れているように感じています。
単なる【自粛をするかしないか】だけの問題ではなく、【自粛にある信条】に意識を傾注すべきでしょう。こうしたニュースそのものが、実に残念であります。