心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

二日市保養所への慰霊 2 【聖福寺】

2014年04月06日 | 慰霊


車は福岡入りし、古賀インター付近のサービスエリアで、気力体力を消耗した私たちは、睡魔に襲われほんの少し仮眠をした。もうエリア内の駐車場には大型バスがすべり込み、観光客が歩いている。空は、ほんのりと曇っていた。

仮眠後、Wさんと電話でやりとりを行い、落ち合う場所の確認をMさんがしてくれた。ほどなくしてから古賀インターを下車し、Wさんと合流。わたしの希望で、美味しいコーヒーを飲みたいと、朝食を喫茶店でとお願いしたが、付近に見当たらず、結局マクドナルドになった。

ああ、思い出す。沖縄での日帰り慰霊の旅も時間がなく、昼食はショッピングセンターで併設したマクドナルドで慌しく一気に食した事を。なぜ沖縄まで来て食したものがマクドナルドなんだ?と、当時笑いながら食したが、福岡で初めて食べる場所がマクドナルドに至った事で、この沖縄のシーンを思い出していた。

マクドナルドの駐車場で、約一年ぶりにWさんと対面にてご挨拶をさせて頂いた。彼の車両にはココア君という犬が同乗しており、とても賢く車中でじっと留守を守っていた。吠えることなく、噛むことなく、特別に絡むのは車中から降りてから少し散歩する時だけ。後はおすわり、ふせをして飼い主の言う事をきちんときく。クレバーすぎるワンコだった。

そんなココア君を車中において、私達は店内に入った。着座後、車両で遠路日帰りの旅への労いを受けつつも、今日回るところの順路について話しを始めた。実は、このWさんには過分に無理なお願い事をしていた。

これまで、慰霊の旅にはその地の神社へお願いを兼ね、正式参拝をこれまで沖縄でも行ってきた。二日市保養所も、現地へ行くまでに、清らかな状態で御参りさせて頂きたく、地元の二日市八幡宮で正式参拝をお願いしたいをWさんに申し出ていたのである。

現地へ行く1月25日は、二日市八幡宮の宮司さんの神事が重なり夕方でないと時間が取れないと言われ、仮で抑えてもらっていたのだが、参拝してから二日市保養所へ回ろうと思えば、夕方では日が落ちてしまう。そこでなんとか午前中にならないだろうかと打診をお願いしたところ、二日市八幡宮の宮司さんが昼に一旦帰ってくるため、その時に参拝をお受けしていただけるとお約束して頂いた。有難きご配慮の賜物に感謝で一杯だった。

この参拝予約の時間が12時半となり、それまでに、Wさんは当時の医療本部が置れていた聖福寺と、医療孤児施設の聖福寮(現:花ぞの保育園)へまず行き、その後、福岡市市民福祉プラザにある資料展『引揚港・博多』の常設を案内する予定と告げられた。

関係先を回る意義は十分にあり、また今は様変わりしていたとしても、想念と言うか、残り香とも言うべき残像は、全くゼロには至らないだろうと感じていた。短い時間ながらも、それらの場所に赴き、何かを感じ取る事は、少しでも当時の時代背景にあった人の想いに近づける事を意味するからだ。

短い時間ながらも、慰霊の行程を打ち合わせし、食事も終わらせ、まずは、聖福寺へと向かった。




この場所は、道路より少し奥まった場所に位置していた。よく見れば”禅”という文字が見えた。「あ、禅のお寺かぁ~」と納得しつつ、駐車場に一時車を止めて、徒歩で敷地内を散策させて頂いた。

静寂しきったこの場所で、昔はどのような配列で何が並んでいたのだろうか。建物は修復を重ねていると思われ、地にも意識しつつ、そんなアンテナを張り巡らせ、てくてくと歩いて行った。

閑散とした敷地内で、私は気の向くまま、あちこちを回った。お寺の造りも壁面が関西とは違う造りになっており、新しく建てかえられた様相だった。道の一角に、聖福寺佛殿記の由来という説明板が目に留まった。

古く歴史を感じさせる石碑の横の説明板には、この石碑に書かれた内容は、1356年から1368年になされたものだと書いてあった。658年も前より、このお寺は存在していることになる。戦後再建されたと思われる中、赤茶色の小さなレンガを積み上げ、戦時の傷が残る塀も一部目に飛び込んできた。この敷地の中の全てが、再建されたのだろうと、深い溜息と共に、小さな祠が目に留まった。

『白山妙理大権現』と書かれた木柱の案内板に導かれるよう、その小さな祠へ向った。そこには小さな仏様が祀られていたが、非常に重たい空気だった。中は暗い。光はなくとても暗かった。ご浄財を受ける小さな箱も仏様の前に設置されていたので、そっと浄財を入れ手を合わせた。なんだろう、この重たさは・・・・。この一角に、想いが一極に集まっている事を感じたのだった。

ここに祀られた白山妙理大権現の仏様にすがり、当時の人々は相当な想いの力で祈りを奉げていた事が感じ取れた。仏様から感じられた重たさは、当時の人々を救済した為の救い取った不浄の蓄積のようにさえ感じられた。一心にお引き受け下さった仏様。私が感じ取れた断片は、まさに御仏の慈愛の存在だった。

今は分離されているが、過去には神道と仏教を一緒に信仰する神仏習合の時代があった。神様へは自然の恵みに感謝を捧げ、仏様には救済願い、こころの拠り所として両者を大切にしてきたのだろう。

わたし自身は、神道における道学を重視しているため、宗教としての仏教に対する信仰心は極めて少ないが、しかしながら、過去の先人達が救いを求められた真髄は深く理解が出来る。何かを信じる心は、時代を超えた普遍なものだろう。

仏教について無学故、この感じ取った印象を胸に、この仏様である白山妙理大権現を調べてみた。この仏様は、神仏習合の神であり、十一面観音が本地仏様だそうだ。手には龍の入った盤を持っている女性の姿だった。

この敷地内で、巨大なご本尊を祀られている建物よりも、この古く小さな祠に祀られている白山妙理大権現様が一番当時の空気感を伝えた理由、この仏様を調べ、なるほどっと腑に落ちた。その理由こそ、共通してある龍の存在だった。龍は架空の生き物でありながら、太陽神として存在し、人々を救うため天を浮遊していると信仰される神様の一つ。

沖縄では現地の神社で参拝をしながらも、常に龍神様の存在を感じ、お願いをしてきた。御霊と思いを引き上げて下さる誘導の役目を担って下さるのはいつも龍神様だと、今でも信じそう感じている。だから、福岡でまさか、龍と繋がるとは想像もしていなかったため、言葉にならない驚きがあった。

あの一角の重たさは、生きてきた人の不浄の嘆き、仏様に助けをすがったその蓄積だと改めて感じ、仏様が人々の不浄を吸い取った慈愛に対し、改めて感じ入った。龍神様に対し、神道での役目と仏教での役目、心象に描かれた絵は異なりながらも、共に目的を果たされようとしている事に胸が一杯になった。福岡の地で、そんな観点から感じ考えるとは思いもよらなかった。なんという新たな開眼だろう。現地に足を運べば何かがあるとは言え、神仏習合の価値を、無音の中でこの仏様を通じ教えて頂いたかのようだ。

この学びこそ、保養所で手術をされた女性達の想いの断片を掴むことになる。二日市保養所が水子の想いに触れられる場所だとするならば、聖福寺は、被害女性の想いに触れられる場所ではないだろうか。



(つづく)

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