萩城は愛知県豊川市萩町にあります。
関東から愛知県新城市の作手(つくで)に移住した奥平氏は多方面に勢力を伸ばし、奥平家の七族五老と呼ばれる一族と有力家臣を各地に配置しました。境目の豪族として今川、織田、武田、松平と所属を巧みに変えながら生き残りをかけた戦いに明け暮れ、ついには長篠城での武田勝頼との籠城戦で運を開き出世しました。
萩城は作手奥平氏二代貞久の四男主馬允が領したと伝わります。萩の地に進出した初めには南西約1.1kmの城の腰に築城しその後萩城を築いて移ったとされます。 ※城の腰の記事はこちら
今回は(1)「愛城研報告 第2号」愛知中世城郭研究会 1995 と(2)「奥平氏と額田」額田町教育委員会 2005 を資料として出掛けました。
萩城 大林バス停のある集会所の駐車場から300m 城址標柱のある道路からすぐに城域に入る
見学路には、お約束の「害獣ゲート」がありますので開け閉めして進みました。
萩城 主郭を取り巻く腰曲輪、尾根を断切る二重の堀切など見どころいっぱい!
戦後まもなくの空中写真を見ると現在の道路が開通する以前は山地が南東方向にもっと張り出していたように見えます。Bがの本来の城道だった可能性がありますが、今は道路で分断されていました。
Cにも道の踏跡が山下まで続いていましたが、搦手の道だったかもしれないと想像しました。
主郭へは 虎口 コ 以外に明確な通路が見当たらず D、Eなども考えて見ましたが、不確かでした。
萩城 Aをたどって、小曲輪、小削平地を経由して主郭南辺の虎口 コ から主郭に入る
資料(1)によると主郭面は耕作地として使われた時期が有ったとされますので、A沿いの小削平地群④も耕作地だったかもしれません。往時に使われていた遺構だとすれば、どのような意味があったのか? ・・不明です。
萩城 主郭 東から。 奥に土塁 ウ が見える。 東西50m南北25mほどの平面
一見屋敷跡を思わせる土壇が複数有りましたが、資料(1)によると後世の開梱による地形とされ、城の遺構ではなさそうでした。往時の地形がいくらか残されているように思いますが、遺構として評価することは出来ないのでしょうね。土塁 ウ は二重の堀切と相まって北西尾根からの侵入を防ぐ防御の要となっているようでした。
萩城 主郭 北辺 主郭の周囲の縁には帯状の一段低い細い平坦地が有り、溝状の地形も残されている
耕作地化によって農作業の道として曲輪の縁に帯状の平坦地が作られているのは時々見かけますが、萩城の場合もそうだったのだろうか? 溝は排水のためと思われ、大雨のときは溝から溢れて溝が浅いところから斜面に溢れ出たと考えられますね。
萩城 堀切 イと 左手に土塁① 右上に土塁ウと主郭。 土塁①の右に堀切ア 見どころの一つ
萩城の地形は北西の山塊から南東に伸びた尾根の先端部に当たるため北、東、南の方向は急斜面となっていますので、北西方向の尾根からの侵入に防御の重点が置かれているようで、二重の堀切 アと イが設けられていました。風化によってある程度埋まったとしても ア、イの堀は深くはなかったように見えました。
萩城 井戸曲輪周辺は遺構が密集し、残りが良いので見どころと言える
主郭北下には井戸曲輪がありますが、土塁と竪堀で厳重に守られていました。Cの道と井戸曲輪の西側土塁との間には竪堀状の掘り込みがあり道は登り土橋状の細い道となっていました。
井戸曲輪に入るのには西側土塁の虎口からとなっていました。
萩城 主郭北下の井戸曲輪。 厳重な防御施設で守られている。 ここも見どころ
井戸曲輪は南北両側に竪堀が設けられ、土塁で囲まれていて、まことに厳重に守られていました。ここまで厳重に守られているということは、緊急時の詰城だけではなく主郭に居住した可能性があるのではないかと思いましたが、どうでしょう。
井戸に恐る恐る足を踏み入れてみましたが今は水がなく、乾燥した状態でした。
萩城 主郭北東隅下の竪土塁②と③ 間に竪堀状地形がある
主郭東と北側下には腰曲輪 エ オ が設けられていました。腰曲輪の途中に竪土塁を設けて分断しているのも井戸曲輪を守る意味があるのでしょうか? 単に主郭の防御施設として、帯曲輪に侵入した敵の移動を妨げるためでしょうか?
資料(1)では竪土塁③は描かれていませんでしたが、見た限りでは竪土塁状の地形は存在していました。
萩城 西側尾根上の地形は 何? 昭和36年頃の空中写真に写る大規模な謎の縞模様
萩城主郭が耕作地化されていたという資料(1)の記述を確かめるため、空中写真を国土地理院Webでみていたら、隣の尾根上に大規模な縞模様が見えました。昭和21年の米軍の空中写真では、同じ場所が白く写っていますので、戦前から何らかの手が加えられていたようなのですが、それ以上のことはわかりません。謎の縞模様としておきます。なお、萩城の主郭周辺は昭和21年の空中写真でも森林のようでした。
萩城は、訪れやすい山城ですが、各種の遺構が揃っていて残りも良かったです。また一部不明な点に想像力を掻き立てられ大満足の見学が出来ました。