小倉城は埼玉県比企郡ときがわ町にあります。
小倉城の歴史は、良質な資料がなく江戸期の地誌類に伝承が残るようですが、伝承によれば城主は遠山氏であったとされ、小倉城東山下の大福寺あたりに居館があったと伝わるようです。
過日の東海古城研究会の特別見学会(2泊3日)で訪れた時のもので、資料は見学会当日の資料です。
小倉城は付近で産出する結晶片岩の見ごたえがある石垣が随所にみられるのが特徴ですが、地山の岩盤を削って設けられた堀切、虎口、櫓台など山城としてのパーツが揃っており、遺構の残りの良さも抜群でした。
小倉城 槻川に囲まれた尾根の西側(A付近)に厳重な防衛ラインが設けられている
槻川に削られた尾根に築かれている小倉城の弱点は西側尾根からの敵の侵入と考えられますので、城域の西端部は大堀切などの大規模な防御ラインが築かれていました。今回の見学ではA方面からの見学路を進みましたが、本来の城道は大福寺付近から登る道の様でした。
小倉城 大福寺方面に城道があり、虎口2で郭1(主郭)に入る
今回の見学ではA方面からの見学路を進みましたが、本来の城道は大福寺付近から登る道があるようでした。多人数の見学会では限られた時間の中で効率的に見学しなくてはなりませんので、見学路が限られるのが少し残念ですが、やむを得ませんね。
小倉城 西側からの攻撃に備えた折れのある大堀切と櫓台 見どころです!
A方面に対する防御のため、折れを伴った大堀切と横矢のかかる櫓台が築かれていました。郭2への侵入は大堀切で遮られて、左右を回り込むことも難しそうでした。
小倉城 尾根を断ち切る堀切①は幅広。地形の影響もあるのか
郭1と郭2の間の堀切①はとても幅が広く角度も緩やかでした。地山の地形の影響ではないかと思いました。
小倉城 虎口1 いわゆる坂虎口で、一度折れて郭1へ入る。この間、郭1からの攻撃にさらされる
郭1(主郭)への虎口は3か所あるようですが、どこも厳重な防御態勢がとられていました。虎口1も坂虎口を登る間中、郭1からの攻撃を受け続ける形でした。さらに折れで虎口を入るまで内部の状況がつかめなかったのではないでしょうか。
小倉城 本郭(主郭) 虎口2{南虎口)が大手か。改変された土塁の開口部に注意!
郭1は周囲に土塁が築かれていました。写真の南虎口(虎口2)が大手にあたるのではないかと思います。左手の開口部は虎口に見えますが後世の山仕事のための改変だそうです、解説を聞かないとこれも虎口だと思い込んでしまいそうでした。
小倉城 虎口3 郭1一段下の虎口 岩盤を開削して折れを伴う虎口としている
小倉城の地山は岩山のようで、岩盤を開削して虎口や堀切が設けられていました。写真の虎口も岩盤を削って折れを伴う虎口が造られていました。
小倉城 本曲輪南面の石垣 見どころです!
小倉城の周辺では板状の結晶片岩が産出され、板碑として使われたようですが城郭の石垣としても多用されていました。小倉城と言えば結晶片岩の石垣ですね。
小倉城 曲輪3の結晶片岩の石垣
特徴ある結晶片岩の石垣が随所にみられますが、長い年月で一部が崩れかかり崩落対策が施されている石垣もありました。積み直しによる整備は困難だろうな~と思いながらの見学でした。
小倉城 堀切2 岩盤を開削して作られている
郭3と郭1の間に堀切2が設けられていました。地山の岩盤から堀切を削り出していました。結晶片岩の地山だとすれば、花崗岩などよりも開削工事は多少楽かもしれませんが、大変な工事だったのではないかと想像しながらの見学でした。
小倉城の見どころは他にも多数ありましたが、記事は一部分になりました。地元では見かけないタイプの石垣などに魅了され大満足の見学となりました。