城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

穴ヶ谷城 遠江 その2 茶畑で一部改変されたが残された遺構が意外に多い

2024-12-20 | 歴史

穴ヶ谷城は静岡市牧之原市中字穴ヶ谷にあります。その1では見学路周辺と城域東側の遺構を見学しましたが、その2では城域中心部と西側の城域の城郭遺構を見学したいと思います。今回の参考資料も(1)『静岡県の城跡 西部・遠江国版」静岡県の城跡編集委員会2022  (2)『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会 1978  (3)VIRTUAL SHIZUOKA 静岡県 中・西部 点群データ  (4)ひなたGIS 静岡県CS立体図 などです。※その1は→こちら

穴ヶ谷城 小仁田薬師堂から登ります
 今は放棄された茶畑が稼働していた時に軽トラの道として使われていたと思われる道を見学路として城域目指して登ります。

穴ヶ谷城 曲輪➀および②の表面は茶畑として造成された
 今は茶畑の利用は放棄され、茶ノ木が伸び放題となり、足を踏み入れるのも困難な状態でしたが、周辺部には多くの遺構が残っていました。

穴ヶ谷城 点群データの立体図で見ると曲輪部分の凹凸がかなり見える
 現場では茶畑の放棄により曲輪表面の地形を見ることは困難でしたが立体図で見るとかなりの凹凸があるようですね。

穴ヶ谷城 放棄された茶畑の様子  茶ノ木は2mを超える
 資料2に掲載されている関口宏行氏の「穴ヶ谷城見取り図」によると曲輪①と②の間は細尾根で、図3のK地点付近に堀切が設けられていたとされます。茶畑造成の際に尾根の幅を広げて茶畑を造成したと思われ、堀切遺構は消滅したようです。

穴ヶ谷城 曲輪② 北側法面の竪堀1 南上から
 竪堀1は北東尾根方面からの敵の回り込みを防ぐ目的があったと思われます。

穴ヶ谷城 地点M付近のコンクリート擁壁 西から 左に道a
 今は使われなくなった道aですが、茶畑の稼働時にはコンクリートでの簡易な護岸工事が行われていたようで、いまも残っていました。

穴ヶ谷城  茶畑で利用したと思われる水槽 
 どのような方法で水槽に水を貯めたか分かりませんが、今も水を湛てなんだか寂しそうに見えました。現在稼働している茶畑は潅水用の大規模な水道設備があるようですが、その前は水の確保に苦労したのでしょうね。

穴ヶ谷城 南西尾根④先端の堀切Cの土橋両サイドに堀切部分  東上から
 堀切Cは中央に土橋があり南西尾根には道がある様でしたが、今回は見学していません。④の切岸が急角度の為か、警戒度が低い方向の為か、堀は他に比べると浅いものでした。

穴ヶ谷城 堀切B 二条の土橋が特徴の浅い堀切 北から 
 城域の東側は警戒度が低いためか堀切Bも浅いものでした。時々見かける二条の土橋の堀切でした。

穴ヶ谷城 帯曲輪2 南から 右上に曲輪➀
 資料(1)の見解では曲輪①が主郭とされ、東西には腰曲輪と思われる平場2と3が設けられていました。茶畑の造成時にどの程度の影響を受けているかは分かりませんが腰曲輪とみても良いのではないかと思いました。

穴ヶ谷城 曲輪①東側法面の腰曲輪3 北から 右上に曲輪①
 腰曲輪2と同様、主郭である曲輪➀の守りの役割を持った腰曲輪と思われます。写真の曲輪3では北端部の隅が確認できますので、曲輪①の茶畑造成で影響を受けていないのではないかと思いました。

穴ヶ谷城 二ホンカモシカ君  登場!
 中部圏の山城巡りで最も多く見かける動物はニホンカモシカですが、ここでも登場しました。5m程まで近づくと、やっと立ち去ってゆきました。

穴ヶ谷城 堀切A 南東から 左上に曲輪①
 曲輪①の北東尾根を断ち切るように、堀切Aが設けられていました。地形の関係もありその1で紹介した堀切Eより深さは少し浅めですが、長いサイズでした。
◆穴ヶ谷城は遺構の残りが期待を大きく上回っていて楽しく見学出来良かったのですが、放棄されて繁茂した茶ノ木には跳ね返されました。※その1はこちら


最新の画像もっと見る