城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

小畑城 三河 武田軍の侵入路を扼する山城か? 興味深い遺構が多く残りが良好

2024-12-26 | 歴史

小畑城は愛知県豊田市小畑町字城平にあります。小畑の読みは資料によって異なり こばた、おはた、こはた、があり烏城の別称もあるようです。小畑の集落からの比高が160mの山上に築かれ元亀年間の武田氏の侵入に備えて、周辺の複数の領主が立てこもったと伝わり、遺構の形態は意外に複雑で興味深いものでした。今回の参考資料は (1)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994  (2)「藤岡・小原・旭の中世城館」愛知県中世城郭研究会1993 などです。 ※槙本城その1はこちら

小畑城 道ab C から武田軍の東からの侵入が考えられる 地区最大の城郭は槙本城
 道aは現在の地図には載っていませんが、明治の地図では確認出来、峠のd地点に切通道が残っていました。城域周辺には近年の林道が幾本も敷設され、城域に達する林道fもありました。道b→道aも武田軍の侵入路になりそうで、小畑城はそれを抑えるために築城されたように思いました。

小畑城 林道fは荒れていて車はダメ 尾根筋の城道?をたどる
 小畑集落の小畑神社に車を止め、道e→尾根筋を登り平場①に出ました。このルートが往時の登城路だった可能性がありそうでした。

小畑城 平場① 左上にⅠ郭 北から
 尾根筋を登ってきた城道は、平場①からはⅠ郭を南側に回り込んでⅠ郭に入ったのではないかと想像しましたがどうでしょう。

小畑城 Ⅰ郭 南から
 Ⅰ郭は尾根を丁寧に削平した曲輪でしたが明確な虎口や土塁は見当たりませんでした。

小畑城 堀切②と土塁 西から 右上にⅠ郭 守りの要は切岸 人物と比較
 切通道が残る峠dに通じる北尾根方向には、堀切②や竪堀③、⑤などの遺構が残り道a方面への備えが厳重だったことを思わせます。堀切②は浅く土塁も低いですが、Ⅰ郭は切岸が守りの要だったと思われます。

小畑城 竪堀③ 南西上から 奥下に林道f
 竪堀③は小平場④とセットで北尾根からの回り込みを防ぐ役割だったと思われました。直下を林道fが通っていましたが、竪堀遺構の改変は免れたようです。

小畑城 平場④ 東から 奥上にⅠ郭
 平場④は腰曲輪としてもよさそうな地形で竪堀③とセットで北尾根から回り込んでの侵入を阻止する設備のようでした。

小畑城 竪堀⑤ 東上から
 Ⅰ郭の西側法面にも北からの回り込みに備えた竪堀が設けられていました。北尾根からの侵入に対しては堀切②と竪堀③と④に加えてⅠ郭からの打ち下ろしの守りの体制だったと想像しました。

小畑城 Ⅲ郭の堀切⑥ 西から 右上にⅡ郭
 Ⅲ郭はⅠ郭とⅡ郭の間に設けられたⅠ、Ⅱ郭よりも低い曲輪でした。尾根の地形を生かして削平したと思われます。

小畑城 Ⅲ郭西辺の犬走 南から
 Ⅲ郭の曲輪の西側には、やや不鮮明ながら犬走地形が見られました。Ⅲ郭の東側は急峻な法面でした。

小畑城 Ⅲ郭 Ⅱ郭から見下ろす 奥上にⅠ郭 手前に堀切⑥
 小畑城は尾根を削平して築かれた城郭ですので、尾根の地形に影響を受けた構造になったと思われ、Ⅲ郭が一段低い曲輪となっていました。

小畑城 Ⅱ郭 北東から 土塁は見当たらない
 Ⅱ郭も丁寧に削平された曲輪でしたが、土塁は見当たりませんでした。Ⅱ郭の周囲には鮮明な腰曲輪や竪堀だけでなく不鮮明な腰曲輪地形や竪堀も見られました。

小畑城 竪堀⑧ 北西上から
 Ⅱ郭の周囲には竪堀が3条見られました。竪堀⑧が一番規模が大きい遺構でしたが浅くて輪郭が不鮮明でした。

小畑城 平場⑦ 北から 左上にⅡ郭
 平場⑦は腰曲輪としても良いかと思いますが、Ⅱ郭の西辺の切岸を削り出す目的もあったように思いました。

小畑城 赤色立体図でd地点と林道を見る
 小畑城の北尾根を下ると林道fの終点に出ました。さらに尾根筋を北に下ると地点dに出ました。d地点は旧道aの峠の切通道にあたります。

小畑城 図3 d地点の切通道 西から
 図3で見るように、d地点付近は、林道の結節点になっているため往時の道aの地形が多少変わっているかもしれませんが、道の状況から見ると旧道aの峠の切通道がこの辺りを通っていたことは間違いなさそうでした。

小畑城は武田軍の侵入路を扼する城郭として意外に興味深い遺構の多い山城で、楽しみながら見学できてよかったです。


最新の画像もっと見る