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城ケ平城 美濃(追加) 「上石津の山城を巡る」の見学会に参加し疑問点が解消!

2022-12-12 | 歴史

城ケ平城は岐阜県上石津町の多良地区にあります。以前、新発見の山城ということで見学に訪れ、当ブログにアップしましたが城址東側の平場についての疑問が残りました。今回 大垣市主催の「上石津の山城を巡る」ツアーに参加する機会があり地元のガイドさんの説明で疑問が解消しましたので紹介したいと思います。※以前のブログ  美濃・城ケ平城 は→こちら


城ケ平城 東側の平場A 耕作地?屋敷地? ※以前の図に一部加筆してあります。
 平場Aは現在植林された方形の平坦地で、縁辺部に土塁状の地形がありました。以前見学に訪れた時には山畑跡か?屋敷地跡?か、などと想像しました。


城ケ平城 平場Aは水田跡だった!      ※以前の図に一部加筆してあります。
 今回の見学会は、地元の「多良歴史回廊案内の会」のボランティアガイドさんの案内と解説で行われましたので地元の詳しい情報をたくさん聞くことが出来ました。


城ケ平城 平場Aは水田跡  見学路に沿って水路が在った 北から 右手に城址
「平場Aは、戦後まで水田として利用されていたので平坦地となっていて、水田に水を供給するため溜池からの水路が道の脇を通っていた。」と説明がありました。「そーだったのかぁ~」でした。


城ケ平城 水路の開口部a 南から 右に一段下がって水田跡A
 水路跡の途中には水田に水を流すための開口部が残っていました。


城ケ平城 水路② 見学路で分断された 南から
 以前見学したときには水路跡の溝地形②は城郭遺構の一部かと思いましたが、今回の見学で水路跡と分かりスッキリしました。


城ケ平城 城域の南側 水路跡② 右手上に城址 南東から 左下に見学路
 城域の南下を巻くように溝地形②がありましたが、今回の解説で水路跡と分かりました。奥に溜池があり、そこから水路で水を引いて水田をやっていたと説明がありました。


城ケ平城    観音寺跡 火災で焼失 小堂は歴代住職の位牌堂  奥の右手に城ケ平城
 北高木家菩提寺の薬師寺は昭和の時代に焼失し今は小堂が建つのみでした。寺の敷地は石垣で一段高く積まれ立派なお寺だったことを思わせました。


城ケ平城 観音寺跡北側の茶畑 ここに溜池が在った 南から 奥右手に城址
 観音寺跡の北側は現在放置された茶畑となっていましたが、ここに溜池が在ったと解説がありました。水田の水路の水源地が確認でき、城ケ平城と周辺地形の全体像が明確になりました。

今回の「上石津の山城を巡る」見学会では城ケ平城、樫原城、上石津郷土資料館、島津豊久墓、日本昭和音楽村、かみいしず緑の村などを地元にお住いのガイドさんに案内していただきました。地元ならではの情報も沢山ありましたので城址以外も楽しく見学出来て良かったです。