井口氏城は滋賀県甲賀市甲南町上馬杉字西出にあります。上馬杉地区には馬杉本城を中心とした8ケ所、北側の下馬杉地区には3ケ所の城館があり付近一帯を領した馬杉氏が築いた城館と考えられていますがその来歴は定かではないとされます。井口氏城は上馬杉地区の北西部の街道入口に位置し、浅野川対岸の馬杉城とペアで間を通過する主要な街道を守っていたと思われます。今回の参考資料は(1)「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010 (2)「図解 近畿の城郭 Ⅳ」城郭談話会編2017 などです。 ※馬杉本城は→こちら
井口氏城 浅野川対岸の馬杉城とペアで北西の下馬杉方面の街道からの侵入に備えたか
馬杉城と井口氏城の間を浅野川が流れ主要な街道が通っていましたので、両城がペアで北西方向からの侵入を抑えていたと思われます。
井口氏城 旧道が井口氏城の足下を通る
今は153号線が開通しましたので古い主要な街道は旧道となり、城址の南西端の尾根は宅地として後世に削り取られたようでした。城道が不明でしたので図2の矢印の様に進み、適当なところでⅠ郭に向けて登りました。
井口氏城 北東から延びる尾根の先端部に位置し堀切2条で尾根を断ち切っている
Ⅰ郭には虎口が2ケ所ありました。虎口Bの外側は宅地造成で削られ遺構は失われたようでした。その他の遺構は良好に残っていましたが、見学した時は雑草が覆っていて写真写りは至極悪かったです。
井口氏城 南の旧道から
井口氏城は尾根先端に築かれたシンプルな城館でしたが遺構の残りは良好でした。
井口氏城 虎口A 北東 郭の外側から
城道が不明でしたので北側の適当なところから登りましたが、城の構が北に向いていると思われますので往時の城道は東から大堀切Cの堀底道を通り左に折れて虎口Aに入っていたかもしれないとも思いましたがどうでしょう。
井口氏城 Ⅰ郭内部 樹木とブッシュで地面が見えない
Ⅰ郭内部は植林がされた後、手入れがあまりされていないようで、肉眼でも地形がほとんど見えず、写真写りはさらに悪かったです。
井口氏城 虎口B Ⅰ郭内の北東から 大手虎口かも
虎口Bの外側は改変があり、遺構が失われて往時の城道の状況などは不明ですが、資料(1)ではこちら側を大手虎口と見ているようでした。
井口氏城 Ⅰ郭 土塁⑥ 西隅 南東から
Ⅰ郭を囲む土塁はすべて肉眼では確認できましたが、写真ではダメでした。
井口氏城 Ⅱ郭 南東から ノロシ台か 見どころです!
Ⅱ郭は三方向を土塁で囲んだ櫓台状の小さな曲輪でした。南東方向に土塁が無く開放的なのは、資料(1)によれば、ここが馬杉本城方面に向けてのノロシ台だった可能性を示唆しているとありました。他の山城でも稀に同様の形状の遺構を見かけますね。
井口氏城 大堀切C 南東から 左にⅡ郭 害獣フェンスあり
尾根を断ち切る大堀切Cは虎口Aに通じる堀底道が在ったかもしれません。最近の山城には害獣対策のフェンスが設けらていることが多くありますが、ここにもありました。
井口氏城 尾根筋の平場① 奥に土壇② 南西から
大堀切Cと堀切Dの間の尾根筋は自然地形か削平されているか微妙でした。北東端の土壇②は低い土塁の様でもありました。
井口氏城 堀切Dと武者隠し③ 北東から 奥上に土壇②
資料(1)では堀切D北側の平場と低い土塁状地形③の遺構を武者隠としていました。平場部分がかなり埋まり土塁部分が風化したとみれば武者隠しと言えそうでした。
井口氏城は他の城館と連携して上馬杉を守る城郭の一つとしての役割を考えながら興味深く遺構の見学をすることが出来て良かったです(写真写りは悪かった!)。