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名護屋城 肥前その1 破却の跡が生々しく残る見どころてんこ盛りの総石垣造りの豊臣秀吉の大城郭

2024-08-14 | 歴史
名護屋城は佐賀県唐津市鎮西町名護屋にあります。東海古城研究会の九州地区特別見学会(2泊3日)で、熊本城→島原城→原城→日野江城→深江城→玖島城→今富城→平戸城→名護屋城→唐津城の十城を訪れました。今回は名護屋城を取り上げます。名護屋城は文禄・慶長の役で秀吉が築いた”陣城”とも言われますが、伏見城や聚楽第に匹敵する規模の大きな総石垣造りの大城郭で、見どころたっぷりでしたので2回に分けて掲載したいと思います。今回の参考資料は (1)見学会資料 (2)名護屋城跡ガイドマップ (3)「週刊名城を行く 佐賀城 名護屋城」小学館2005 (4)備前名護屋城図屏風 と諸国古城之図などです。

広島市立中央図書館所蔵 浅野文庫「諸国古城之図」より 「肥前 名護屋」 
※上に掲載の絵図は広島市立中央図書館の承諾を頂き提供を受けた画像を使用しています。 

名護屋城 玄界灘を見下ろす高所に在り周囲に多数の大名の陣が在った
 見学時間の制約があり、名護屋城だけでも規模が大きく遺構が多いので時間が足りない状態でしたので、大名の陣跡の見学は有りませんでした。

名護屋城 ガイドマップ(2) の図に加筆 
 ◆ガイドマップと現地で確認すると諸国古城之図の東西南北が180度ずれているように思いますがどうでしょう。

名護屋城 地元ガイドさんの案内で見学
 大手口①の観光案内所付近2から、地元ガイドさんの案内で見学するのが定番ですが、多くの遺構を見学したいと思いガイドさんから離れて歩き回りました。規模の大きな名護屋城ですので、それでも60~70%位の見学がやっとで、山里丸地区の見学はあきらめました。

名護屋城 大手口① 右側に櫓台左側に三の丸南東隅石垣 南西から
 大手口は櫓台が設けられていましたが、門はなかったようです。ここから大手登城路が約100m続いていました。名護屋城は秀吉の権威を誇示する場とされますが、大手口からの登城路もその役割を果たしていたように思いました。

名護屋城 大手口① 破却跡が生々しく残る 北東から
 江戸時代初期に破却されたとされる名護屋城ですが、その後は手つかずのままだったようで、今も城内には多数の破却された石垣などがそのまま残されていました。

名護屋城 東出丸②と櫓台3 右に大手登城路 北西から
 大手登城路を登りきると東出丸と破却跡が残る櫓台3がありました。大手口から左手の三ノ丸の高い石垣に圧倒されながら大手登城路を登ってきて、東出丸の櫓台に見下ろされるデザインだったのでしょうね。※肥前名護屋城図屏風では櫓台3に櫓は描かれていないよう見えます

名護屋城 三ノ辺の平場4 東から 水手曲輪方面からの道がここに出る
 石垣に囲まれた三ノ丸よりも一段高くて細長い平場4ですが、目的がよく分からない平場でした。諸国古城之図でも現況同様に描かれています。
名護屋城 三ノ丸虎口 北から 左手石垣の破却された転落石がゴロゴロ
 三ノ丸虎口付近も、東辺の石垣が破却されたようで、かなり大きな石が沢山転がっていました。

名護屋城 三ノ丸の井戸 北東から
 三ノ丸の中央部には諸国古城之図にも描かれている井戸が在りました。本丸には井戸が無いようなので、大事な井戸だったのではないかと思いました。

名護屋城 井戸1 
 井戸といえば、駐車場からの見学路脇にも井戸1がありました。諸国古城之図には描かれていませんがこの井戸は位置から、馬の水飲み場の井戸かもしれないと想像してみましたがどうでしょう。

名護屋城 三ノ丸南東隅の櫓台6 北西から
 大手口①の左手に見えていた三の丸石垣の上面は意外と広く、ここに立っていた建物の大きさを想像させました。

名護屋城 大手登城口7 三ノ丸から本丸へ
 三ノ丸へは幅の広い登城路が設けられていました。破却の影響もあって、石段や左右の石垣はやや不鮮明でしたが、幅の広い通路だったのが分かりました。

名護屋城 大手登城路8 幅広の石段に転落石が残る 北下から
 巨大城郭の本丸の登城路らしい幅広の石段と両側の石垣が見事でした。一部に破却とみられる転落石が残されていました。

名護屋城 本丸大手門④から登城路を見る 西から
 ガイドマップ(2)によると本丸入り口には本丸大手門④が在ったとされますが、今は失われていました。通路8を登ってきた道は90度折れて本丸大手門に向かっていたようです。写真奥に見える雁木のある櫓台には本丸南東隅の櫓が在ったと思われます。
名護屋城 本丸⑤と城址碑 南東から
 広い本丸は発掘調査で多数の御殿などの建物が在ったのが確認され、それでも手狭であった為か南側と北側は新たに石垣が積まれて追加で拡張され、三ノ丸にも御殿の一部が建てられている様子が備前名護屋城図屏風に描かれています。本丸遺構は発掘調査の後に埋め戻されたようです。
名護屋城 本丸天守台10 眺望が素晴しい!
 本丸北西隅には天守台が設けら備前名護屋城図屏風によると五層の天守が築かれていました。ここからは玄界灘を見渡せ、朝鮮に向かう武将もこれから向かう戦場への思いを強くしたのではないでしょうか。

名護屋城 遊撃丸⑧ 天守台から西下の遊撃丸を見下ろす
 天守台からは遊撃丸、水手曲輪、二ノ丸などを見下ろすことができ、玄界灘に浮かぶいくつもの島も見えました。

名護屋城 本丸南西隅 多門櫓の礎石展示 奥に天守台 南から
 本丸の拡張によって広げられた西側のスペースには、発掘調査によって多門櫓の礎石などが発見されました。現況は、埋め戻され展示用の礎石などが再現されていました。
  
※多数の遺構がてんこ盛りの名護屋城ですので、かなり省略して紹介してきましたが、以後は 名護屋城その2で掲載したいと思います。