岩津城は愛知県岡崎市岩津町にあります。三河山間部の松平郷を始祖の地とする松平氏が三河の大河矢作川流域の平野部、岩津の地に進出し、勢力を拡大して後に徳川家康を輩出し発展を遂げました。岩津には松平氏によって通称「岩津七城」と呼ばれる城塞群が築かれましたが、岩津城は家康と秀吉が対峙した小牧長久手の戦いのときに大改修を受け、今見る姿になったとされます。
城址は後世、梅林となりその後竹林となり、足を踏み入れるのも困難な状況でした。近年地元有志の方々によって継続的な整備が行われ、年々岩津城の本来の姿が蘇りつつあります。
先日は、地元の《「松平氏かがやきの600年」推進懇話会 》によって整備が行われたと新聞に載りました。近くですので見学に出掛けました。
岩津城 通称「岩津七城」だが・・ 矢作川の土場(船着場)が現在の天神橋付近に在った
当初の岩津城は松平三代信光の時に築かれたとされます、歴史研究家の奥田敏春さんによるとその時には信光明寺に館があり岩津城の地点には見張り台程度の砦があったと考えられるそうです。
後の小牧長久手の戦いの際に秀吉軍の三河侵攻に備えて家康によって現在の大規模な城郭に生まれ変わったということです。
岩津城 整備が進み、主郭にパンフレットが配置され「ご自由にお持ちください」になっていた
竹林を伐採し、切り出した竹を処分するのは大変な作業ですが、全てを地元のボランティアの方々で運用し、パンフレットも配置してありました。
以前は、竹が繁茂して地形を把握することが困難でしたが、徐々に整備が進み、今回は現地配置のパンフレットにある図2の鳥瞰図と現地地形を楽に照合しながら見学できる状態でした。
今回の資料は(1)現地パンフレット と (2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 です。
岩津城 高速道が敷設されたが、城郭遺構はほぼ完存
図2のように主郭Ⅰを取り巻いてⅢ、Ⅳ郭、その下段にⅤ郭があります。図2ではⅤ郭は一部しか描かれていませんが、主郭を巻くように東側まで興味深い遺構が多数連続して存在していました。
Ⅵ郭は土塁⑥で囲まれた屋敷地のように見え、居館があったのかもしれません。見学路は高速道路側の登城口⑦、案内板のある西側の⑧、北側には虎口地形を伴う⑨のルートがあります。
岩津城 主郭Ⅰ 北から 奥に南辺の城址碑の立つ土塁④と虎口が見える 中央のベンチにパンフレットが配置されている
竹林の伐採は切った竹の処理が進まず、継続的な整備が難しそうですが、岩津城では竹を粉砕処理しているそうです。とは言うものの一気には処理が追いつかず、一部の処理はこれからと見えます。
岩津城 堀⑩の竹製レールは何?
図3の堀⑩は、これまで竹で見通しがききませんでしたが、整備が進み見通せるようになってきました。今回の見学では、堀の中に竹製のレールらしきモノが造られていました。
岩津城 堀⑩の竹製レールの終点 運搬用の台車があり、運搬用のレールと判明
堀⑩の竹製レールをたどって見ると、写真のような台車がレールの終点にありました。大量に出る不要物を運び出すための運搬設備が設けられていたのですね。それにしても沢山の努力の積み重ねで整備がなされていることに感謝!です。
岩津城 Ⅰ郭虎口から土橋①と馬出しAを見る 左手に大きな空堀② 見どころです!
この辺りの見通しも随分よくなりました。資料(2)によれば、馬出しAの存在で遺構の年代は天正十年代の構築と考えられるようで、小牧長久手の戦いのときの大規模改修の根拠となっているようです。馬出しAだけでなく土橋①の両サイドの幅広で深い空堀②と③も見応えアリの見どころです。
岩津城 空堀③ 土橋①から 右手にⅡ郭の一部も見通せる
空堀③と周辺の竹林の伐採も進行中で、以前は土橋からは見通せなかった空堀②、③の全容がほぼ確認できるようになりⅡ郭も視野に入るようになりました。
岩津城 Ⅱ郭と櫓台Cを北から 右手に馬出しAの東端部、櫓台との間の開口部も見える
Ⅱ郭の構造がハッキリ見えるようになりました。開口部は堀⑩に下っています。この開口部は後世の改変かもしれません。
岩津城 図2Ⅲ郭の枡形虎口⑤ 西下から
岩津城の西側山下には「市場」地名が今も残り、往時から開けた場所だったようで、この方面からの城道があったと思われ、西からの入口に当たるのが枡形虎口⑤だった可能性が考えられそうです。
付近の地形から⑧のルート以外にもう一本の道が西側から桝形虎口⑤を経由する道として存在していたかもしれないと想像しました。
岩津城 Ⅴ郭 左手上にⅢ郭 右側に切岸
Ⅴ郭の外側には土塁がなかったと見え、急角度の切岸が守りの要になっていたようです。Ⅴ郭は未整備の部分がまだ多い状態でしたが、ある程度の見通しはありました。
岩津城 北側の虎口遺構 北下から
図3の⑨からのルート入口には折れを伴う虎口遺構が在りました。城址北側の外側から見ると⑨の入口がよくわかりませんので城内側から辿って見学するのがおすすめです。
岩津城 Ⅵ郭の東辺土塁 南から
写真では見ずらく、肉眼でなんとか確認できる土塁遺構でした。Ⅵ郭は後世の耕作地化もあったようですが、現状は荒れた平坦地になっていて、一部に人工物がありました。
岩津城は、規模の大きな空堀、土塁、何段もの帯曲輪、馬出し、桝形虎口などの興味深い遺構がてんこ盛りで見応え充分で、現状でも大いに楽しめますが、地元の方の継続的な整備のおかげで今後ますます魅力が増していくと思われます。
城址見学用の駐車場はありません! 付近の岩津天神駐車場は参詣者用ですので、岩津天神に参拝したついでに岩津城を見学するようにしています。 ※駐車は自己責任で!