城と歴史歩きを楽しむ

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伊勢・切畑城 伊勢と近江を結ぶ八風街道を扼する。信長の伊勢侵攻で滅ぶ

2019-05-20 | 歴史
切畑城は三重県菰野町切畑にあります。伊勢と近江を結ぶ主要街道の八風街道が城の南側眼下の田光川沿いを通ります。
 『三重の中世城館』によれば「畑与九郎之に拠る」とされ、その後信長の伊勢侵攻により滅んだと言われます。
 
         
          切畑城と周辺  国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆
切畑城の南下には田光川が流れ、川沿いに八風街道が通っています。切畑の集落からは岐留太神社を通る林道があり、岐留太神社に車を停め、伊藤徳也氏の『再発見 北伊勢国の城』を片手に城址まで歩きました。


切畑城 中腹の岐留太神社に車を停める
岐留太神社に安全な城址見学をお願いして城址までは林道を登ります。城址付近の道の余白に車は停められそうでしたが、ここに停めれば安心です。


切畑城 主郭Ⅰの 枡形虎口
林道が主郭の中心部に通されたため、工事で遺構が一部失われていますが、主郭Ⅰの枡形虎口は残っていました。
『再発見 北伊勢国の城』によるとⅠ郭に日枝神社石碑があるとされていますが、現在石碑は地図の位置にあり、その後の改変で移されたと思われます。
 Ⅰ郭は草が生い茂り目立った遺構を見つけることはできませんでした。


切畑城 西側に残る土塁
土塁の南端部は農道工事で失われたように見えましたが、それでも50m近く残っていて、切畑城の見どころの一つでした。当地区には西からの近江の勢力の侵入があったようですので、西側の防御施設としての土塁が築かれたと考えられますね。


切畑城 Ⅱ郭西側の堀切
切畑城は主郭とされるⅠ郭から虎口を出た北側にⅡ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの郭が東西方向の尾根に並んでいます。
 その西側端に堀切がありました先ほどのⅠ郭は土塁で厳重に防御されていましたが、こちら側は浅い堀切が防御施設になっているだけでした。郭の重要度が違っていたのかもしれません。


切畑城 Ⅳ郭東下の大堀切
大堀切の法面の角度はやや緩やかですが、土木量は大きく一部には石積が残り、切畑城の見どころの一つです。この先のⅤは削平がされていますが土塁等の防御施設は築かれていませんでした。Ⅴ郭は防御を必要としない郭だったのか、Ⅳ郭との高低差を稼ぐために削ったのか、大堀切は山道の切通でもなさそうで、Ⅴ郭の用途ははっきりしませんでした。
 

切畑城 Ⅳ郭 大堀切の法面に石積が残る
大堀切のⅣ郭側法面の一部に石積が残ります。現状の堀底には転落石が多くは見られないので、部分的な土留めの石積だったのか? 転落石は堀底の堆積土砂い埋まっているのか? 表面観察では謎は解けませんでした。
 
切畑城は近江からの道が伊勢に入って最初の集落にある山城で、枡形虎口、土塁、堀切、石積などの遺構が残り、結構楽しめる城郭でした。