前田城は津市安濃町中川前田にあります。
資料によると伊勢の雄族長野氏の一族である草生氏の家臣として前田の地を領したのが前田氏で江戸期には子孫が館跡に住まって代々庄屋を務めたとされます。
今回は「改訂版 津の城跡50選2016」を資料として出掛けました。写真をパソコンに取り込む際の手違いで画像データをすべて失ってしまいましたので、記憶によって概念図を作成しました。記憶の誤りはご容赦ください。
前田城 詰の城と山下の城館跡 ※津市都市計画図に加筆
前田区公民館の駐車場に車を停めて、集落内の旧道を歩いて前田城に向かいました。
前田城 山下の居館跡 A、B2段の石垣が見事。石垣の角は本格的な算木積み
前田氏は藩政期には庄屋を務め、屋敷は藩主の鷹狩の折などには休憩所になっていたというだけあって、屋敷地に残る算木積み、切込接の石垣は立派なものでした。
前田城 概念図 ①と②に虎口状地形が残る。 a、b2方向からの道が残る
資料ではbから登る道が紹介されていましたが、今回は屋敷地の石垣を見ながらaの道から登りました。
A,Bの石垣の敷地は江戸期に造成されたものでしょう。築城時にどんな形状であったかは想像するしかありませんが山城を詰城とすれば、往時もこのあたりに館を構えていたとしてもよいのではないでしょうか。
aの急な道を登り切るとⅣの平坦地に出ました。道は奥に続いていましたので、今では山仕事の道になっているようでした。Ⅳはきれいに削平された場所でしたので、城郭関連でなければ山畑か墓地が有ったのかもしれないと思いました。
ⅣからⅠ郭(主郭)に向かう城道の途中に虎口状の地形①と腰曲輪地形がありました。①は道の両側に土塁状の地形が有りⅠ郭からも矢が届きそうな距離でしたので虎口の可能性があると想像しました。
道は腰曲輪を通ってⅠ郭の南に回り込み土塁④の南端部手前でⅠ郭に入るようになっていました。Ⅰ郭の南東下の⑥付近の法面は土採りされたような地形で急崖になっていました。ここにも道があったようでしたが崖で不自然に途切れていました。
Ⅰ郭には北と西に土塁が残されていました。北西隅は虎口状に開口してⅡ郭に下っていました。
bの道は愛宕社などの参道として使われているようで、社の手前の道には鳥居が立っていました。道は社の後ろに続いていてⅡ郭へ登る道になっていました。Ⅱ郭へ登る段差があるので虎口状に切れ込んだ地形となっていました。資料では堀切となっていましたが、しいて言えば虎口のような地形でしょうか。
この道はⅠ郭の③に直結していますので、ヒョットして社がⅠ郭に祀られていた時期があって、参道として開かれた道だったのかもしれないと想像してみました。だとすると②は単なる登りの切通ということになりますがどうでしょう。
Ⅲ郭はaの道をⅣ郭から西に回り込んだ場所でした。北向きで、ゆるい傾斜のある削平地でしたが、有事の際の兵站地と考えられると思いました。
前田城は山下の屋敷地の2段の石垣が見事で、山上の遺構も想像以上で良かったです。
※草生氏の拠った草生城は前田城の北西約1.9kmにあり、別の日に見学しましたので折を見て記事を掲載したいと思います。