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広見城 三河 その4 拡張された城域の興味深い登城路を探索する

2024-09-11 | 歴史
広見城は愛知県豊田市広幡町にあります。その1~その3では縄張図に描かれた広見城の多数の城郭遺構を見てきましたが、その4では拡張されたとされる遺構への登城路を探索してみたいと思います。参考資料は (1)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 (2)現地案内板 (3)保見の歴史を伝える会の資料 などです。※その1は→ こちら その2は→こちら  その3は→こちら 
広見城 八草城の中条秀正によって築かれ(諸説あり)正林寺が秀正の菩提寺とされる
 資料(1)によると、広見城の遺構の構造から、築城当初の城域を後に拡張したと考えられる遺構が見られるとありました。その3で見学したときに虎口地形のように見える部分がありましたのでヒョットすると拡張された部分の登城路ではないかと思って探索しました。

広見城 地点31に虎口地形が見られた
 その3の見学で地点31は見学しましたが、その先へ下っての見学はしませんでした。その3は→こちら

広見城 地点31は谷地形で、道の両側に石積が見られた
 地点31は谷地形で両側に石積があり、いかにも城道の虎口のようでした。資料(1)では城域の拡張部分として図2のⅦ郭が記されていましたので登城路aが在ったのではないかと想像し、今回山下から登城路を探してみました。

広見城 b見学路 a今回の想定登城路
 bは地元の保見の歴史を伝える会の皆さんによって整備された見学路。aは地点31に至る想定の登城路

広見城 想定登城路a ①→⑦は写真の地点

広見城 地点① 
 伊保川を渡った地点から道がありそうでしたので、エィヤッ!と進みました。

広見城 地点②
 軽トラが通れるぐらいの幅の道が少しありました。近年に拡幅されたように見えました。その奥には古い道がありました。付近で農作業をしておられた方にお聞きすると「以前は通れる山道があったが、今では荒れていて、誰も通らない。登るのは無理だよ」とのことでした。

広見城 地点③ 北東に向かう道が分岐
 戦後間もなくの空中写真を見ると、山麓部分に耕作地があったようで、③地点で道が分岐した先にも耕作地があったようでした。道脇には沢が流れていて、道が沢水に削られてしまったようですね。

広見城 地点④ 沢沿いの平場に出た
 地点③を通り越して進むと沢沿いの平場に出ました。城郭関連の平場か?
耕作地の平場か?地表面の観察では判断できませんでした。

広見城 地点⑤ 沢沿いの平場?道?
 もともと平場だったのが、沢に大きく削られた地形のようで、ここに道もあったと思われます。

広見城 地点⑥ 道と沢の区別が難しい
 往時は谷底の沢沿いに道があったとしても、現況は谷底道のようですね。。

広見城 Ⅶ郭が見えてきた
 谷底道の地点を通り過ぎて登ると左手上にⅦ郭のある尾根が見えてきました。

広見城 図2の地点31 Ⅶ郭の石積を見上げる
 やっと、図2の地点31まで登り、その3で見学した地点まで到着し、道の反対側にも石積を確認し、ホッとしました。※その3は→こちら

広見城 地点⑦ 
 地点31の虎口地形を通るといかにも城内の雰囲気で、その3で見学した遺構が見られました。

広見城 図4の石採り跡には 矢穴のある石が見られる
 石採り跡にはいくつもの石が残されていましたが、往時のものではなく近年の石採り場のようでした。付近は大規模な土採りも行われており、崖状の危険な地形もありました。

今回は、広見城に付け加えられたとされる城域への登城路として道aを想定して登りました。往時の道から多少の変化は有るかもしれませんが、道aを登城路としてもよいのではないかと思いました。
※通常の見学は、その1を参照してふれあい広場に駐車し、保見の歴史を伝える会のの皆さんによって整備されている道bでの見学をお勧めします。その1は→ こちら