宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

チュー太郎

2005-01-11 16:10:41 | チュー太郎のこと
1982年7月9日にオープン。
26歳のときだ。

単純に計算すれば今年で丸23年。
だが、間で半年近く休業している。
義父の選挙応援に細君と二人で数ヶ月かかわった関係からである。

当時実父が「商売は任せておけ。お前は精一杯手伝って来い。」と
言ってくれたのである。
喧嘩ばかりしていた父と息子であったが、こればかりは感服した。

あ、そんなことではなくて、確か5~6年でオープン時の借金を
返済し終わってから、気分が緩くなってきた。
そんな折りに商工会議所の青年部に誘われて入会したのが運の尽き(笑)
38歳だったからもう10年になるんだなあ。

副会長とやらになったあたりから夜出掛けることが多くなった。
研修旅行なんぞも進んで参加する。
飲むことが好きなものだから喜々として受け入れたものだ。

ここらあたりからサボリ癖がついた上で、2年くらい前に
酒屋のグループ「ぷちショップ」の加盟店で組織される
団体の四国の世話役を引き受けたのがきっかけで
ついに定休日が不定休日となり、果ては長期休日となってしまった。

ずっと、いかんいかんと思いながらつい日が過ぎ年が過ぎ・・・
そうした生活に慣れてしまうと、何と夜の短いことか。

酒屋の店じまいが終わって、すぐ入浴すれば、21時。
少しでもデスクワーク等をすればすぐ22時。
仮にさっさと仕事を終えても、少しくつろいで本でも読もうものなら
あっという間に23時。
翌日牛乳配達のある夜なんぞはもう就寝の心配である。


今考えると、当時はなんであんなことが平気で出来たのだろう?
なのである。

しかし、やらねばならない。
息子二人の教育費がこれから(^_^;)なのである。

昨夜、何気なく録画しておいた昔の「浪速金融??」を観てたら、
借金を背負って昼夜働く中年男が描かれていたが、心揺さぶられた。
そう言えばここのところ、ハングリー精神の欠片も持ち合わせてないなあ。

てなわけで約2年ぶりの
「チュー太郎復活」に向けて頑張るのだ。

どうでもいいけど(郷ヒロミの歌でこんなフレーズあったなあ)、昨日は自動で出来た
フォントの自動修復が今日は出来ない。
なんでだろ?昨日と今日でやり方が違ってるのに気づいてないんだ>自分。

コマンド?を覚えたからいいのはいいんだけど、コピペするより、昨日みたく
簡単に修復する方法ないのかなあ・・・
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