宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

アンプ

2006-01-23 17:33:57 | チュー太郎のこと




1982年7月、私が26歳のときに始めたチュー太郎という店は、今年の7月で満24歳になる。

開店当時に全て新品で揃えたオーディオ機器はその使用頻度に従って代替わりしてきた。
心臓部であるアンプもスイッチ類の接触不良や、音が片方からしか出なくなり、学生のときに使っていたそれを代打として交換していた。

それがついに、やはり同じく音が片方しか出なくなってしまった。
そりゃそうだ。
だって、これ、私が19の歳に買ったのだからもう30年選手なのである。

当時新聞販売店の住み込み店員をしていた私の部屋は、4階建てのビルの3階にある3畳程度のスペースに2段ベッドが大半を占める状態であったから、とてもステレオを置ける余裕はなかった。

ある日隣の駅界隈に住む同郷の友人の下宿に遊びに行ったときのこと。
下宿形式なので、そこの住人はみんな仲がいい。
そんな関係で、そこの年上の住人の部屋にお邪魔したときに、ハイファイセットの「卒業」を聴かせてもらった。
その音がなんとも良くて、自分もステレオが欲しくなった。

当時は、新聞配達やその集金業務をすることで、奨学金を出してもらった上に若干の給料ももらっていたから、実家からの仕送りは無しである。
ただ、本当に「若干」だから、とてもステレオを買えるほどのこづかいは持ってない。
おまけに部屋がそういう状態だったから、いかんともしがたかった。


のだが、
よく考えれば、スピーカーはなくとも音は聴けるわけだ。
おまけに、当時はコンポーネントが主流だったから、今のようにシステムで買う必要はなかった。

てなわけで、順に買い足していく計画をたてた。
朝と夜は店で食事が出る。
昼は抜いた。
極力出費を抑えて、数ヶ月後に買ったのが、このアンプとヘッドホンとプレーヤーだった。

それから、テープデッキ、チューナーと買い足して、まともな四畳半のアパートに移ってから最後のスピーカーを買った。
ダイヤトーンのマーク2という、当時の私としてはちょっと贅沢なそれであった。

また、このアンプは在京時に故障して、修理に出すには秋葉原まで持って行かねばならなくなった。
当時はまだ今のように宅急便が整備されていなかったので、それをかついで電車に乗らねばならない。
事実、買って来たときはいつもそうしたものだ。

それが修理となると、面倒臭いのが先にたって、車を持っている友人にダメもとで持ちかけたところ、なんと持って行って、また持って帰ってくれた。
セリカGTOハッチバックに乗っていた田中さん、あのときはありがとうございました。
お元気ですか?

そんな思い出があるから、このアンプには愛着があり、処分するのに逡巡するが、致し方ない。



新調したAVアンプにはチューナーが内蔵されているので、上のそれも撤去する。




愛着という心情を別にすれば、新しいアンプのなんと素晴らしいことか。
これで余計なAVセレクターもはずして、リモコンで一元操作が出来る。
音もいい。

試しに流したDVDの音響効果は素晴らしい。

それがなんと、ネット通販、価格コムで調べたら24000円。
くだんのアンプは30年前に5万円はしたと思う。

それも、秋葉原まで電車で出掛けて、方々を見てまわって、価格交渉をした挙げ句のことなのだから、隔世の感がある。


かくして、チュー太郎のJAZZ空間も復活の段取りは出来上がった・・・







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