昨晩のこと、日付の変わる直前に自室に戻ってfireTVを点けると、トップの案内にこの映画が上がっていた。
そしてそれは、やっと見放題枠に入ったことを告げていた。
本来なら、翌日に備えて眠るところ、つい、観始めてしまい、寝落ちもせずに最後まで観てしまった。
その大雑把な内容はなんとなく承知していた。
確かにそれは、事前の情報通り、老年を迎えた孤独な男の淡々とした毎日が描かれていて、退屈な内容・・・なのは途中まで。
いやいや、決して孤独ではない。
見事に向こうから様々な人物が絡んでくる。
なんなら私の現実の方がよほど孤独だ。
さて、細かくストーリーを追うのはネタバレに繋がるから、いや、本音は面倒くさいからなんだけど、雑感を箇条書きにする。
・主人公(平山)は読書家。就寝前に寝っ転がりながら文庫本を読む。要するにインテリ風。
眠る前に伏せた文庫本がアップされる。ただ一度きりのアップ。気になったので、巻き戻して一時停止して確認する。

早速調べてみるとそれはこれ。
以下引用
アメリカ南部を舞台に、実験的かつ斬新な小説群を、洪水的想像力で生涯書き継いだ巨人、ウィリアム・フォークナー。
本作は、「一つの作品の中で異なる二つのストーリーを交互に展開する」という小説構成の先駆となったことで知られる。原著刊行(1939)の直後、ボルヘスによってスペイン語訳され(1941)、その断片的かつ非直線的な時間進行の物語構成により混沌とした現実を表現する手法は、コルタサル、ルルフォ、ガルシア=マルケス、バルガス=リョサなど、その後のラテンアメリカ文学に巨大な霊感を与えた。
他方、現代日本の小説にも、大江健三郎(『「雨の木」を聴く女たち』)や村上春樹(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)、叙述トリックを用いたサスペンス小説(連城三紀彦は本作を生涯の10冊に挙げている)など、本作の影響は数多見受けられる。
また、ゴダール(『勝手にしやがれ』)、ジャームッシュ(『ミステリー・トレイン』)における言及で本作を知る映画ファンも多いだろう。
その意味では、文学のみならず20世紀カルチャーにおいて最大級の方法的インパクトを与えた、世界文学史上の重要作にして必読の傑作だといえる。
以上引用
要するにインテリが読む本。
でもって、劇中に登場するのはこっちの方。
1954年初版で、1994年に復刊された。
そして現在は古書としてしか入手できない。
その価格がなんと、現在5367円とな。
あ、それと、翻訳者も違う。
要は、そこら辺のただの文庫本ではないことが判る。
ついでに言えば、その後、2冊の本が登場するのだが、それがこれら。
著者は幸田露伴の娘さんとのこと。
「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だと思うわ。恐怖と不安が別のものだって彼女から教わったわ」(映画『PERFECT DAYS』の古書店主のセリフ)
ヨースルニ、かなりヘビーで歪んだとも言える思想の持主が好むラインナップ?
この辺りがなんとも渋いというかなんというか、いやはや。
蛇足乍ら、【よく一緒に購入されている商品】は見事にこの三冊。
明らかに、この映画の為せる技なんだろう。
あれ、こんな調子じゃ、えらく長文になるぞ。
少し急ごう。
・古いアパートなんだけど、駐車場が付いている。それも、スカイツリーの袂という場所に。
これ、かなり贅沢なことなんじゃ?
そいつを眺めながら思い出したこと、私も故合って、1978年だったかな?東高円寺に住んでる頃に車を所有していた。
だから、駐車場探しの苦労や、その料金の大変さは経験している。
・アパートの近所は自転車を活用。
基本的に、電車は利用しないスタンス。
それで思い出したのが、地理と電車(鉄路)との関係。
私は、1975~76年にかけての大学一年の頃は、練馬区中村橋の朝日新聞販売店で配達員をしていた。
そして、通う先は明治大学法学部なので、京王線の明大前駅へ。
具体的には、西武池袋線の中村橋から五つ目の池袋に出て、山手線に乗り換え、四つ先の新宿まで、それから京王線に乗り換えていくつ?五つくらいだったか?先の明大前へ、このコース。
都合一時間くらい掛かったように記憶している。
勿論、それぞれの定期券を求めて。
だから交通費もそれなりに掛かった。
翻って、昨今のグーグルマップでその頃の場所を追ってみて気付いたこと、それは、直接南下すれば存外近かったということ。
思えば、コの字のコースを辿ってた訳だ。
それに、自分専用の配達用自転車をあてがわれてたし、当然雨具も持っていた。
なら、自転車で通学すれば良かったじゃん、ユー。
時間も経費もかなり節約できたんじゃ?
当時はこっから先もそんなことに思い至らなかったなぁ。
・普段は大衆居酒屋で済ませるのだが、休日にはおばんざい料理のような店に出向く。そして、そこの石川さゆりさん演じるところのママに気に入られている。
そして、常連さんのギター伴奏でママの歌う【朝日のあたる家】なんぞを聴く。
常連さんは二人、一人はモロ師岡、ギター弾きはあがた森魚ではなかったか?
ついでに言えば、時々かなたに登場するホームレスは田中泯ではなかったか?
そういう意味では、渋い役者を贅沢にチョイ役として配置している。
こんな調子じゃあ終わらないよ、だから端折る。
・随所に出てくる音楽がこれまた渋い。
平山は古いカセットテープでそれを愉しんでいる。
そして、画面にはその歌詞が表示される。
そのほとんどが英語なんだけど、初めて真剣にそいつを訳してみて、そうだったのか・・・って。
・三浦友和の登場によって、長いこと吸わなかった煙草(ロンピー)を吸って咳き込む。
後を追ってきた三浦友和もそれを求めて同じことになる。
お互いに、お互いの登場によってコントロール仕切れなくなった感情を持て余した末の行動。
これ、長く禁煙してる私のような人間の深層心理をうまく使ってる気がする。
・最後のシーンで漸く平山は笑みをこぼす、まるで『それでも俺は生きてるぞ』とでも言わんばかりに。
ここで、それまで随所にこぼしていた溜息の効果が表れる。
こんなとこで堪えたろ。
オススメの映画でし・・・
さうさう、これも書いとかなきゃ。
この映画製作のきっかけは、渋谷区内17か所の公共トイレを刷新する日本財団のプロジェクト「THE TOKYO TOILET」と言うことで、様々なトイレが登場するんだけど、中でも、中に入ってロックすると、それまで透けてたガラスがただの壁になるというやつ、これには目を瞠ったね。
それと、書き忘れたことがもう一点、なんとなく村上春樹っぽいな、と感じたんだけど、合ってる?

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