宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

イコライザー

2021-03-04 12:01:39 | 映画のこと





 「これ観たか?」と思いつつ観始めた。
案の定、冒頭部分には覚えがある。
けど、物語が進行するにつれ、「いや観終わってない」と。

 圧倒的なスキルとスピードで悪漢を叩きのめす。
そこから与えられるカタルシス。
これぞ、圧巻。

そこに、自分の中に潜むDNAとしての暴力性を垣間見る。
「何が正義か」といった高等な心の中の咀嚼は無視。
イカン奴らは懲らしめるのみ。
相手がロシア・マフィアという設定も、そうした感情に拍車を掛ける。
この分かり易い構造は、エンターテインメントとして最強だ。


 観る者は、自分の中にある凶暴性を追体験することでカタルシスを得る。
その際、深い洞察力や道徳心は脇へ置いて、単純に愉しむ。
そんな位置づけの映画があってもいいじゃないか。


 ただ、ラスト手前の、感情無き手先のリーダーを鋲打ちマシン?で仕留めるシーンに、ある暗示を見た。
手足を順に打ち抜いて、動けなくなった敵にとどめを打つところ。
私は、「眉間に打ち込め!」と念じた。

 が、主人公はそうはしなかった。
即ち、それを胸に留めた。

それが、「ただ感情に任せてやってるんではない」という事なのではなかったか。


 何度か観直したい映画です・・・










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