宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

配達先で

2006-03-29 08:53:26 | 徒然
       

      今日の我が家の桜桃




私がまだ学生の頃、母が近所に配達へ行って、小一時間話し込んで帰ってくるということがたまにあった。
母に言わせると、帰りたくとも帰してくれない勢いで話し込まれるから、無下に話の腰を折って帰ってくることが出来ないということだった。

当時の私は、それはあしらいが下手なんだと思っていたが、そうではないということが後年判ってきた。
確かに、話好きな人は居る。
そういう人は会話に飢えているのだろうが、そうではなく、話し相手はいっぱいいても、それぞれに話が長いというタイプの人も間違いなくいる。

先日の配達先でそれは起こった。

初めての配達依頼である。
どうやら来店はされているらしい。
というのは、来店されるお客さんへのスタンプサービスのことを知っていたからである。
その日は、世話になった人へのお礼にと、数点のお買い求めだったから、配達の注文にしたとのこと。

納品を済ませ、さてお支払いの段になってからが凄かった。
それは、「まあそこへおかけんかい。」から始まった。

そのお客さんはその地に産まれてから81年間、ずっとそこに住んでいるとのこと。
だから、近在の様々なことを知っている。
そのお宅のいきさつやら、その方の苦労話の末、細君の里の話になった。

「河端さん、あんたの奥さんの里の家は、そりゃあ凄かったんぞね。戸板が屋久杉の1枚もんやかいう家はここらになかったんじゃけん。」

うん、確かに凄かった。
その家に使われている材木のスケールは、素人目で見ても別格だということは即座に判った。

そんなことから、あんなことまで(笑)、確かによくご存知である。
婿の私の知らないことまで知っている。

私は義父と杯を交わしながら、垣生の歴史を聞くのが好きだった。
法泉寺というお寺の門前町だった当時の話や、狸くらいしか住んでいなかった浮島(宝島の所在地)の話等、自分が住んでいる街の自分が知らない頃の話は妙に新鮮で楽しい。

車という文明の利器が一般化する以前の人々の暮らしぶりは、今と大いに違う。
基本が徒歩だから、生活圏が狭く、在所在所に娯楽や、飲食や小売店が存在する。
○●屋という小売専門店が存続出来たし、また必要とされていた。

私が幼少の頃までがかろうじてそういう時代だった。
その時代を振り返ると、とても懐かしいし、また、良き時代であったとも言える。

それより更に30年ほど遡る話なんだから面白くない筈がない。



あ~また話が逸れた。
くだんのお客さんの話は、多分お茶でもいただきながらじっくり聞く価値はあるだろう。
また、そうしてみたい酔狂な気持ちもある。

ただ、その日は、後にも配達を控えている業務中だったので、頃合いをみて引き取った。
すると、帰りがけに大きな大根をくれる。

昔の人はこうなんだ。
今の私達はなんだか世知辛くなりすぎてないだろうか?
反省。




私は、食い扶持として今の稼業に従事しているのだが、昨今の競争の厳しさに、つい、そうした人としての大切な部分をなおざりにしてはないだろうか。
そうした基本的な部分から我が稼業を見直していく必要性を感じている。




同じ日、
或る方が来店されて、過日発送したハガキDMを差し出され、宛先のご本人が亡くなられた旨を告げて帰られたようである。
(応対は細君ゆえ、私は報告を受けるのみ。)

お名前に覚えがある。
配達も何度かしたが、ほとんどはご来店のお客さんで、ある日、当店に無い品をとれないかとの申し出があった。
調べてみると、この辺では馴染みの薄い品ゆえ、ルートが無い。
どうしてもということになると、最低ロット5ケースをとらなければならず、その事情を説明して、3ケースを引き取っていただく条件でその品を仕入れた経緯があったからよく覚えているのである。

実は、想像通りあとの2ケースは全然売れない(笑)
まあ、そういうこともある。



今度それを1本開けてみよう。
そして、それを飲みながら、そのお客さんのご冥福をお祈りしようと思う・・・




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