
先日衝動買いしたCD。
「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」
ヘレン・メリルのややハスキーだが透明感のあるボーカルをブラウニーのペットがサポートする。
私が生まれる2年前のクリスマス・イブにニューヨークで録音されたもの。
最近、妙に昔のJAZZを聴きたくなる。
大学に入ってから、無理矢理JAZZを好きになろうとした期間があった。
高校の頃から愛読していた「FMレコパル」というFM放送と音楽全般の雑誌のレコード評で絶賛されていた
![]() | イン・コンサート~コンプリート・ヴァージョンクリフォード・ブラウン&マックス・ローチ, ハロルド・ランド, リッチー・パウエル, ジョージ・モロウ, テディ・エドワーズ, カール・パーキンス, ジョージ・ブレッドソーキングレコード |
(私の記憶では「スタディ」という題だったのだが、どうやら記憶違いのようだ。)
を大学の学生生協でいそいそと買って帰った。
まだ、和泉校舎だったから1年か2年生の頃だと思う。
学生生協でレコードを求めると、確か市価より1割か2割安かった。
自室でそのレコードに針を落としてみて、「失敗した」と思った。
その頃の私にはそれがよく理解出来ない。
なにがいいの?どこがいいの?の世界だったのである。
酒に例えるならば、フレッシュでレアな味わいの生酒の美味しさは判っても、微妙な酸味やコク、深みのある生もとや、山廃の良さは理解出来ない頃の状態といえよう。
それ以来、JAZZを理解しようと、よくJAZZ喫茶に通った。
昔から読書が好きな私は、文庫本を提げて入り、珈琲1杯で何時間もねばったものだ。
大体、客のほとんどがそういう奴ばかりなのだから、後年JAZZ喫茶はどんどん廃れていったが、あの頃は結構な数のそれがあった。
私は主に吉祥寺か高円寺に通った。
中でも、吉祥寺のアウトバックは結構お気に入りで、どでかいウーハーの真ん前に陣取って、薄暗い照明の下、小説を読むのが好きだった。
スタイン・ベックの「怒りの葡萄」を面白く読んだことを覚えている。
ただ、じゃあJAZZをきちんと聴いていたかというと怪しいもので、正確にはそういう自分の姿に酔っていたのかも知れない。
ともあれ、徐々に馴染んできたのは事実で、歳をとるにつれその心地よさを実感するに至る。
そこで、先のレコードの良さもようやく判るようになったが、さて、10年くらいかかったように思う。
今、これを、もう1枚CDとして持っていたい気もしている。
レコードと聴き比べてみるのも一興かも知れぬ・・・
昨晩は高校時代の同級生と飲んだ。
といっても、同級生の方は酒が飲めないので、もっぱら私ばかりが飲む。
こうなると、自分が酔ってないかどうかが気に掛かる。
ひょっとして呂律が回ってなかったりするとまずい。
同じことを何度も言う奴の相手は私なら御免被る。
昨日は朝から何も食べずにサウナに行った帰りに寄ったからか、酒が異様に美味かった。
そして、いつもの一の蔵円融を1杯だけ飲んだら、次から東一が飲みたくなった。
今思うに、焼き鳥が主で、軽く一杯のときは一の蔵円融がいいのだが、酒をメインで愉しみたいときは東一のようなタイプが良かったのだろう。
途中からはほとんど飲むだけになった。
こちらは好きな酒を堪能しながらだからいいのだが、相手はどうだったろう?
それがやや気掛かりではある。
おまけに車で送ってもらったりなんぞして(笑)
その店の近くにある二人の母校である東高の桜を眺めていこうということになる。
夜の冷たい雨の中、それは健気に咲いていた。
30数年前もこうだったかなあ。
いやいや、それだけの年数を経れば木も生長するはず。
でも、イメージは変わらない。
あの頃もこんな風に桜は咲き誇っていたはずだ。
そして、その下にはまだ十代の私達が居た・・・

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