テニアン島の北西にあるチューロビーチです。
沖合いにサンゴの環礁があり、潮が引いたときにはこの環礁まで歩いて行き、穴釣りでカサゴが沢山釣れます。
1944年7月24日7:50Amです。
日本軍は沖に珊瑚の環礁がある浜から、まさか上陸用舟艇が攻めて来るとは
考えていなかったのに、戦車のような水陸両用舟艇に乗った米第25海兵隊が
大挙テニアン島に上陸してきました。
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白爺は、一昨年の6月9日から30日。テニアン島に里帰りをしました。
福島県からも5人の友人が同道していましたが、14日には帰国したので、
「サーこれからテニアンの空気を満喫するぞ」
と張り切った途端、大雨になりそうな雲が空を被い始めました。
この年は台風の当たり年で、6月までに6号が発生していました。
空を被っている雲は、台風6号の雲のようでした。
6月19日
台風6号は925ヘストパスカル . . . 本文を読む
南洋群島が日本の委任統治になって初めてテニアン島に事業を起こした会社は、喜多合名会社だそうです。
綿花を栽培していたそうですが、業績はなかなか揚がらなかったそうです。
大正15年10月、会津若松出身の松江春次氏がテニアン島を訪れました。
肥沃な土地に目をつけた氏は、南洋庁に斡旋を依頼して、喜多合名会社からテニアン島一切の権利を譲り受けました。
松江社長は、南洋興発を起こし、昭和5年にテニアン島 . . . 本文を読む
観光コースにあるので、必ず立ち寄るテニアン島北部の、
日本海軍第一航空隊司令部跡です。
下の写真は、日本軍の管制塔で、ここで広い太平洋へ出撃したゼロ戦等の帰島を,
誘導していました。
玉砕後は、米軍もこの管制塔を使って、日本本土爆撃を行っていたそうです。
司令部の近くには、防空壕が並んでいます。
外から眺めると、歳月を感じさせない位 頑丈に残っています。
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元東京中央電報局 I部係長有志の会が、毎年3月の第2火曜日に恒例で行っている
鬼怒川温泉旅行 に参加してきました。
白爺は、この部の係長でもないのに、資格審査に合格したから入れといわれて、
もう20年以上続ずけている旅行です。
浅草から東武鉄道に乗って行くのですが、少し早く浅草に着いてしまったので、
久しぶりに浅草寺をお参りしてきました。
仲見世は外国の観光客で結構賑わっていま . . . 本文を読む
Emiiが生まれたのは、南洋群島テニアン島マルポ22番地です。
上の写真がその場所です。
初めてテニアンに行ったときには、家の土台や牛小屋の囲いまで残っていましたが
今では、ボロアさんのご子息が家を建てて住まわれています。
家の近くからライオン岩がよく見えます。
テニアンでライオン岩の山を見るなら、ここが一番とEmiiは威張っていますよ。
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テニアンに動物園?があると思いますか?。
それがありました。
場所は、フレミングホテルの右方向、Fさんの家の前からカーヒーの方角を眺めると
すぐに目に入ります。
まず近寄ってくるのが、この鳥ミュー?です。
思い起こしてみると、相当前からここで見かけていたような気もしますねー。
鹿や羊、そして山羊も同じところに放牧されていました。
鹿は人が行くと、興味があるくせに遠のいてしまいます。白 . . . 本文を読む
テニアンの代表的な景色、タガビーチです。
昔のタガビーチ(二本椰子の海岸)は、こうでした。
近くには、タガの遺跡を掘り出した跡が残っています。
白爺はこれを見るたびにここからソンソンまでの運搬方法に頭を痛めてしまいます。
ここまでどうして運んだの???
昔のアルバムによると、遺跡は2本立っていました。
白爺が子供の頃も、2本立っていた記 . . . 本文を読む