テニアン島の民間人や兵隊さんは、このような洞窟に潜んでアメリカの攻撃に耐えていました。
洞窟の中には今でも避難していた民間人が使用した食器などが残っています。
あの玉砕戦から69年の年月が過ぎました。今は平和なテニアン島に戻りましたが、当時の凄まじい玉砕戦をNHKが「市民達の戦争」という番組にして数年前に放送しました。今は「戦争の証言」としてアーカイブスで . . . 本文を読む
テニアン島ソンソン町を進撃するアメリカ海兵隊 ↑(再投稿) 今年もテニアン島玉砕の7月が来ました。玉砕戦に遭遇しながら引揚げて来た白爺は、在りし日を思い浮かべながら、今年も当時の写真を投稿させてもらいました。68年前のテニアン島1944年7月24日チューロビーチに上陸した米軍は、数日でテニアン島を占領しました。日本海軍第56警備隊は、「7月31日午後0時05分総員 . . . 本文を読む
アメリカ海兵隊の野戦病院があった場所です。
テニアンの攻防戦では、アメリカ軍は389名の海兵隊員が戦死したそうです。また負傷者は816人ですが、この数には玉砕後残敵掃討戦で戦死したり負傷したりした人の数は含まれていないそうです。日本の兵隊さんだけが戦死したのではないのですねー。
日本軍の野戦病院は、洞窟の中に隠れて造られていますが、米軍の野戦病院は広い土地に造られていたようです . . . 本文を読む
第1航空艦隊司令部の防空壕です。
玉砕当時の写真にも写っていました。
頑丈な設備なので、中に入ると座った椅子の席も残っています。
機銃を打つ窓でしょうか?奥が小さい窓になっているので、広範囲に銃口を動かす心算の造りかな?でも、上の写真を見ると銃撃戦は無理ですねー。
ここから入った兵隊さんはいたのでしょうか?空爆が激しくなっ . . . 本文を読む
太平洋を守る日本海軍航空隊前線基地「第1航空艦隊司令部」があった場所です。
B29爆撃機が離着陸した滑走路を車で走ると、途中にこのような標識が現れます。タガンタガンの切れた所を右折して先に進みます。
少し進むと、日本海軍第1航空艦隊司令部の跡が現れました。
60年以上経過しているのに、立派な姿を残しています。
アメリカ軍が攻撃してきた . . . 本文を読む
日本本土空襲に連日B29が飛び立っていた、テニアンのノースフィールド滑走路です。使用しなくなってから80年近く経過しているのに、今でも2.6キロある4本の滑走路は使用できそうな姿で残っています。
日本軍が玉砕すると、直ちに「米海軍工兵司令部第6海軍設営大隊」の兵士がテニアンに上陸し、日本空襲の爆撃機基地建設を始めたそうです。設営隊は近代的な機器を操作して、石灰石を削り取り平坦な滑 . . . 本文を読む
日本守備隊のトーチカがあるチューロビーチに来ました。
この日は風が強くて大きな波も打ち寄せていました。
今から60年以上前、このトーチカ内にいた日本の兵隊さんは飛び上がって驚いたことと思います。
サンゴ環礁の沖にはアメリカの軍艦が水平線を埋め尽くしているのが目に入ったからです。そして珊瑚礁を乗り越えて戦車が攻めてきます。
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ペペニグルの小川砲台を案内しました。雨が続いたので道路がぬかるんでいて走行には苦労しましたが、小川砲台が見えてきました。
アメリカの軍艦を沈めた歴史のある大砲です。
カムフラージュをしていたので . . . 本文を読む
チューロビーチの近くある「砂糖キビ運搬鉄道」のロータリー内に、壊されたアメリカの「水陸両用戦車」が置かれています。
この戦車を掘り出した時に、白爺たちは偶然立ち会ったので、懐かしく思いながら孫たちを案内しました。
車好きな曾孫は、キャタビラがあるので「ハンドショベル車」だと思い、興味を持ってくれました。
孫が戦車だと説明したが理解してもらえないので、白 . . . 本文を読む
1944年この浜「チューロビーチ」から、アメリカの海兵隊は上陸してきました。それを迎え撃った日本守備隊のトーチカに、孫たちを案内してきました。
トーチカの内部です。この中にいた日本の兵隊さんは、どんな気持ちで上陸してくる敵兵を見ていたのでしょう。
上陸の際に壊された「水陸両用戦車」の残骸が、70年の年月を過ぎて残っています。
孫と曾孫がその地に来ました . . . 本文を読む
広島と長崎に投下した、原子爆弾を積んだ場所に案内しました。
長崎原爆を積んだ場所です。曾孫が歩いているところをB29が跨いで、下から起重機で原爆を持ち上げて積み込んだようです。起重機の鉄板は今も残っています。
どのような爆弾を積んだか、写真で説明されていました。
近くにある原爆組み立て工場から、このような車で運んできたようです。運んでいる兵隊さんは、 . . . 本文を読む
海兵隊の実戦演習が終わったので、ここまで来ることが出来ました。第1航空艦隊司令部の防空壕です。アメリカ空軍のマークRも見えました。このマークは、原爆を積んだB29にも付いていましたねー。
防空壕の中です。ここに座って、空襲を過ごしたことはあるのでしょうか?
孫たちは、占領後はB29も使用したと言われる、第1航空艦隊の管制塔前滑走路に立っています。遠くに小 . . . 本文を読む
孫達は、テニアン島に初めて来たので、白爺は自分が見せてあげたいと思う場所を選んでリノさんの運転で観光することにしました。おそらく島内観光のオリジナルにはない場所が多くなると思います。観光の始まりは、日本海軍無線中継所からです。
建物の中に入りました。
柱は、まだ確りとして残っています。
太平洋の軍艦から発信される無線を中継していた無線局ですから、発電設備も立派なも . . . 本文を読む
(再投稿)航空艦隊の兵士が玉砕戦に出撃したカロリナスの洞窟を、Michiさん&びけちゃんが決死の思いで探検しました。2009年8月11日、TBSで放映された「最後の赤紙配達人」の中で、鳥取県の磯部さんが航空艦隊の航空兵に戦況を説明しながら、九死に一生を得たという洞窟です。テニアン島が大好きな、荘さんが写されました。テニアン島 戦跡巡り (2009.08.22掲載)
児玉さんへお祖父さんから白爺が . . . 本文を読む
マルポ小学校の跡を探索しての帰りです。学校のすぐ近くに、日本海軍第1航空艦隊のビーコン土台がありました。白爺は、第1回のテニアン空襲の際はマルポの崖に隠れていたので、グラマンがこのビーコン目掛けて猛爆をしている爆音を、身近に聞いていた覚えがあります。最初に車の窓から眺めた土台です。土台は、タガンタガンと草に覆われていました。 しばらく走ると再び3個の土台が現れました。島の人は「米 . . . 本文を読む