1945年8月15日、日本国は終戦を迎えました。
テニアン港から出港する引揚げ船
テニアン島には、日本軍捕虜約90人、民間人は朝鮮人・沖縄人・日本人合わせて約1万4900人が収容されていました。
これらの人は、1946年1月から沖縄や内地に引き揚げることになりました。
この時点、沖縄は占領続行中で、まだ日本国にはなっていませんでした。
引揚げ者を乗せた米軍のLST(上陸用舟艇)は、 . . . 本文を読む
今年も、8月6日が来ます。広島原爆投下の日です。
白爺は、今年5月25日のブログに、テニアン島から原爆を搭載して日本へ向かったB29のことを投稿しましたが、今年も60年目の投下日が来ましたので、もう一度投稿日時を変更して皆さんに見ていただくことにしました。
よろしくお願いします。
1945年4月、米空軍の秘密部隊第504混成部隊がテニアン島に上陸した。
殆どの隊員は任務の詳細を知らされ . . . 本文を読む
二日目の朝は、5時の露天風呂から始まりました。
昨日の曇り空が一転して、翌日は日本晴れの観光日和。
早々に朝食を済ませて、伊豆半島を南下するドライブに入りました。
一番目に立ち寄ったところは、曹洞宗の古刹、明徳寺です。
このお寺は、東司(トイレ)の守護神が祀られていて、下半身の健康を願う人々の参詣が多いそうです。
本堂の脇には、それらしき石仏 . . . 本文を読む
「赤目会春の旅行」で、静岡県の伊豆半島へ行ってきました。
伊豆半島は隅々まで廻っていて、もう行かない温泉は無いはずだったのですが、探したらまだ足を入れてない温泉がありました。
その温泉は、中伊豆にある吉奈温泉です。
年寄り連のドライブ旅行は、最近遠方へ行くのが億劫になってしまい、だんだん近場に決まっていくようです。
さて当日は曇り空の天気でしたが、途中京王井の頭線の浜田山駅で仲間を乗せ、高速用 . . . 本文を読む
アメリカは、占領する前から、テニアン島を長距離爆撃機(B29)の発進基地にすると決めていました。
そのため、テニアン攻撃を始める前から、海軍の建設部隊である「海蜂部隊」がテニアン基地の建設準備を始めていました。
そのため、テニアンが占領されると同時に、海蜂部隊が製糖工場付近に仮桟橋を造りました。
ブルと-ザーが砂糖キビ運搬トロッコを牽引して基地の建設を促進している
無尽蔵な珊瑚が道 . . . 本文を読む
テニアン島の組織だった抗戦は、8月1日に終了しました。
米軍上陸から9日間で攻め落とされたことになります。
日本の守備隊は殆ど玉砕しましたが、米軍の損害は、戦死290名・戦傷1437名と記録に残っているようです。
トラックに乗せられてチュ-ロキャンプへ運ばれる
Emiiの話を聞きましょう。
そのとき、私はカロリナスの洞窟に避難していました。
ダイナマイトや青酸カリを持っている . . . 本文を読む
米軍が侵攻して二日目に、テニアン島守備の最高指揮を任されていた緒方大佐は戦死をしてしまった。
第一航空艦隊の角田海軍中将は、テニアン島守備の指揮任務を帯びてはいなかったが、残存兵力を集結してカロリナスの洞窟内に司令部を移して、最期抵抗を試みていた。
カロリナス台地の洞窟
洞窟の中は3層になっている . . . 本文を読む
優勢な武器と兵力をもつ米海兵隊は、予期しない快速で島の南部を向かって進撃した。
サイパンのアスリート飛行場を飛び立ったP47戦闘機突撃隊は、 空から包囲作戦の援護を行い、日本軍守備隊の残存部隊は、 カロリナス台地方面に追い詰められていった。
攻撃されるまでのテニアン町
ソンソンに進撃してき . . . 本文を読む
チュ-ロ・ビーチに上陸を完了した米軍は、南に向けて進撃を開始した。
緒方大佐が率いる日本軍機動攻撃部隊900名は、その夜6台の戦車を先頭にチュ-ロ方面に進撃したが、翌朝未明チュ-ロの南1.5kmの地点で、米海兵隊の戦列に突っ込み、夜明けまでには全滅してしまった。
ハゴイ司令部付近の掃討をする米海兵隊
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さて、今回は、南興会便り掲載の「マリアナ物語」を読んでみましょう。
1944年2月15日、テニアンに進駐した第一航空艦隊は、当時帝国海軍が温存していた、最精鋭の基地部隊であったが、2月23日に早くもマリアナ沖航空戦に米機動部隊を邀撃、60機からの攻撃機を失っていた。
テニアン島では、2月の空襲後、基地建設の突貫工事を敢行していた。
カーヒーに第2を飛行場を完成し、続ずいて第1農場に第3飛行場 . . . 本文を読む