白爺は、引揚船に乗る少し前から、宮前区という学校前の地区(下の地図矢印右の竹内が白爺の家)から、北区という現在のフレミングホテル下の地区に移転していました。
Lさんの車でドライブをしている途中で、彼が「妹の家があるから寄ってみよう」と車を停めた所が昔の北区でした。
妹さんの家には、熱帯の花が沢山植えられていました。
日本人民家の「雨水(飲料水)タンク」が屋敷内に . . . 本文を読む
朝目を覚ましたら、2月とは思えない暖かさなので、冷温風呂を苦労しないで長浸かりしてきました。
そして、今日は何処の観光をしようか?と迷っていたのですが、フロントの方が「歩いてゆける所に函南桜の並木があるから」と教えてくれました。
ホテルから15分位歩くと、柿沢川の土手下に7分咲きになった桜並木が現れました。
白爺たちは、並木に沿って歩きました。
途中に、写真のよ . . . 本文を読む
娘夫婦が「温泉に行くが行かないか?」と言ってくれたので、白爺たちは二つ返事で「行く!」と答えました。
車は国立ICから中央高速道に入り、河口湖方面を目指して快走しました。
通常なら東名高速を走るのですが、偶には違った道を走ろうと話が決まり、中央道⇒東富士五湖有料道路⇒御殿場IC⇒沼津ICを経由して走りました。
途中で富士山が窓一杯に迫って来るのですが、すっかり春霞に包まれてしまい、雪が残る . . . 本文を読む
チョッとホテルを出て街中?を散歩しましょう。
6ヶ月前、道路工事のため歩くのにも苦労していた道路は、すっかり舗装されて側溝まで整備されていました。
そして、今回はその隣の道路が工事中になっていて、ガソリンスタンドに入る入口も、学校側からの1箇所しか使えないようになっていました。
ガソリンは、1ガロンで4ドル21セントでした。
1ガロン3.78ℓとすると1ℓ約105円に . . . 本文を読む
Lさんが、「興発跡が綺麗になったよ」と知らせてくれたので、早速見に行きました。
この車で見に行ったのですが、製糖工場の建物跡は見違えるように美しく変わっていました。
建物内まで生い茂っていたタガンタガンも、すっかり無くなっていました。
栗林さんが建てた記念碑も、勤労奉仕のお蔭で綺麗になったと喜んでいました。
Lさんは、 . . . 本文を読む
孫が家を建てるというので、地鎮祭に出席してきました。
久しぶりに走る高速自動車道は、心配していましたが走れば全く支障なし。
130キロは出しませんでしたが、110~120で快走してきました。
家を出て1時間半で、つくば市にある孫の家に到着出来ました。
勤務地の近くがよいということで、孫達は筑波学園都市に土地を手に入れたのですが、白爺は「公務員は転勤があるから大丈夫か?」と多いに心配し、一 . . . 本文を読む
テニアンに来ると南洋興発製糖工場の跡が気になるので尋ねるのが恒例です。
今回も、早々に尋ねたのですが、建物跡はジャングルの中に隠れているので驚いてしまいました。
テニアン小学校もそうでしたが、「前市長が島の整備を殆どしていないから、島は全体がジャングルに変わりつつあるのだ」と言う島民の言葉が信じられるようになりました。
前の道路は電力会社に通じているの . . . 本文を読む
午前中から行われた市長就任式の祝賀パーティは、日が落ちる頃からビーチにあるイベントホールで始まりました。
パーティ用の豚の丸焼きは、明るいうちに出来上がり、パーティ会場に飾られていました。
お偉い方の挨拶が終わると、花火が上がっていよいよパーティの始まりです。
市長が開会を宣言しました。
大衆は、我先にと料理の並んで . . . 本文を読む
テニアンも共和党の市長に政権が変わったと大騒ぎをしていました。
白爺がテニアンに渡って3日後に、選挙で交代した新市長の信任式が行われました。
まさか白爺が新市長の信任式に参列するとは思っていませんでした。
市長のお父さんは亡くなりましたが、30年前(Emiiは委任統治時代)からのお付き合いで、白爺たちは市長の家によくお邪魔していた間柄なので、参列出来たのでしょう。
先ずは、教会に親族や親しい . . . 本文を読む
南洋報告は、一寸一服。
花のお江戸から西に4里ある白爺の家ですが、朝起きてみたら家の周りは雪化粧になっていました。
白爺がテニアン島にいる間にも、雪は数回降ったそうですが、白爺が今年見る雪はこれが始めてです。
庭に植えた菜の葉にも、遠慮なく積もっています。
数日前まで、パンの実を眺めて過ごしていた白爺には、この寒さは堪えられません。
でも春の雪ですか . . . 本文を読む
白爺が荒れ果てた母校に涙した日から数日が経ちました。
「市長に話して学校は綺麗にしてもらったから」と、Lさんがホテルに来て知らせてくれました。
早速白爺は見に行きましたが、超オドロキ!
草ぼうぼうだった校庭が、すっかり整備されていました。
手前の四角い土台は、校長先生が教育勅語を読んでいた場所です。
それに続いて第1校舎が建っていたのですが、これはすっかり無くなっています。
中央にあるコンクリー . . . 本文を読む
現在のフレミングホテルは、白爺たちが通った幼稚園の跡に建っています。
白爺の母校「テニアン小学校(途中から国民学校)」もすぐ近くにあったので、白爺は子供時代に戻って早速訪れてみました。
すると我が母校の敷地は、全て草に埋もれているので驚くました。
校庭には大きな木が生い茂り、足もとは蔓草や落ち葉が邪魔をしていました。
校舎に入ってみようとしたのですが、入口に . . . 本文を読む
白爺は、無事に東京に戻ってきました。
1か月近く留守にしていると、いろいろ雑用がたまっているので、ブログにもご無沙汰していましたが、そろそろ今回の旅行を振り返って、独り言を言わせてもらうことにしました。
今回のテニアン行きは、テニアン・サイパン旅行をする二女夫婦と同じ便で行くことになりました。
二女たちは当日車で成田まで行くのですが、白爺は前日から成田のホテルに泊りました。
池袋から成田までは、偶 . . . 本文を読む
白爺が子供時代のテニアン町すずらん通り
4週間滞在した故郷に、明日はいよいよサヨウナラすることになりました。
自分が育った街を離れることは、本当に辛く感じています。
今日まで、ホテルの前に立っと南35度方向に南十字星が眺められ、Tシャツと半ズボン姿で過ごしていたのに、明日からは股引にストーブの生活をするのかと思うと、これも又辛く感じてなりません。
島の人たちも、外交辞令でしょうが . . . 本文を読む
ボートハーバーに行ったときのことです。
リュックサックが歩いていました。?
よく見るとかわいい女の子が、自分より大きいリュックサックを背負って歩いていたのです。
そのうち夜釣りに行くボートを下ろす車が来ました。
この女の子は、お父さんを見送りに来ていたようです。
どこの国でも、子供はかわいいですねー。
では又・・・。 . . . 本文を読む