寺院の廊下の下を通って奥の院に向かいました。
本殿から奥の院へ向う途中には、千本幟がはためいています。
一つの願い事につき1本の幟を揚げて祈願するのだそうですが、2ヶ月飾ってもらって2千円の祈願代を納めるのだそうです。
参道には見渡す限り幟がはためいていて、壮観な眺めでした。
幟の道を過ぎると狐の塚が現れま . . . 本文を読む
豊川稲荷のご本殿です。
狐は祀られているのではなくて、外で千手観音様をお守りしていました。
このお寺は、今川義元・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・大岡忠相等など有名な方が深く信仰されてお参りしたお寺だそうです。
このご本殿は明治41年に改築が始り、明治・大正・昭和と三代に亘り工事を続けて昭和5年の春に竣工されたと記録されていました。
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伊良湖のホテルを9時半に出発して豊川稲荷に向いました。
豊川には2時間くらいで到着しましたが、豊川稲荷の門前には「稲荷寿司」を売る店が並んでいました。
食事は参詣後にして、早速豊川稲荷の総門をくぐりました。
門の謂れはこの立札をご覧ください。
門を入るとボラン . . . 本文を読む
今日泊まるホテルは、愛知県の最南端。
北は三河湾、南は太平洋、西は伊勢湾と三方を海に囲まれ、常春半島と呼ばれる渥美半島の先端にあります。
港から眺めた時も大きいと感じましたが、近くで眺めるとその威容に驚かされました。
ホテルの名前は「伊良湖シーパーク&スパ」と言いますが、話に聞くと「釣りバカ日誌」のロケにたくさん使用されたホテルだそうで、そうい . . . 本文を読む
浜松ICを降りた車は浜名バイパスを快走して、椰子の実が流れ着く伊良湖岬に向いました。
この椰子も伊良湖の浜に流れ着いた椰子の実だそうです。
車の左側には遠州灘の砂浜が延々と続くようになりました。
右側の車窓からはイチゴや菊を栽培しているビニールハウスが続いて見えています。
渥美半島は今菜の花が満開で、「菜の花祭り」が始まっているようでした。
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テニアン島から帰国して2週間しか経たないのに、娘夫婦の誘いにのって親子旅行に出発しました。
行き先は、遠い島より椰子の実が流れ着く伊良湖岬です。
8時半に所沢ICから関越高速に乗りました。
鶴ヶ島JCTを経由して圏央道に入り、中央高速道の大月JCTから東富士自動車道に向かいました。
中央高速道か . . . 本文を読む
北マリアナ テニアン島歴史保存局に来ました。歴史保存局は、昔スポーツジムがあった建物を利用していました。 この建物はカマビーチからタガビーチに続く遊歩道に沿って立っています。すぐ裏は浜辺で、景色の良いところです。入口を入ると大きなガラス戸棚が二つ並んでいました。左側の戸棚には、ジャングルから掘り出してきた日本人の遺物が並んでいます。そして右の戸棚には、アメリカ兵の遺物が並んでいまし . . . 本文を読む
白爺が、友達の車にガソリンを入れるガソリンスタンドです。注油する時はいつも満タンにするので、満タンボーイの愛称を頂戴しています。スタンドの斜め向かいは、白爺がテニアンにいた時に住んでいた家のあったところです。 目を右に移すと現在の教会が見えますが、当時は道を挟んで小学校のグランドがあった場所になります。グランドの一部にはテニアン神社の参道がありましたが、鳥居の土台が今でも残っていま . . . 本文を読む
ダイナシティ・カジノホテルに来ました。入口には各国の旗がはためいています。 アメリカ・中国・韓国の旗はすぐ見えたのですが、日本の国旗は見えないので心配しましたが、左の方に昇っていたので安心しました。以前は沢山のツアー客が来ていたようですが、最近では明かりのつかない部屋が増えているようです。それでもテニアン一の産業です。 日本語が二番目に書かれていますが、これは開店 . . . 本文を読む
タチョンガビーチで砂浜が無くなっているのを眺めた白爺は、隣にあるタガビーチまで歩いてきました。5~6分歩くとタガビーチが見えてきます。白爺が、テニアンで一番美しい白砂だと思っているビーチです。 小学生の時に、父親に連れられてこの海底のリーフ上から、赤目という魚を釣った思い出があります。大潮の時には海底のリーフが全部顔を出してきます。タガハウス風の柵は戦後建てられたもので、戦前・戦中は . . . 本文を読む
マルポの3班や5班で収穫した砂糖キビを列車に積み込むための「集積所跡」に来ました。
白爺たちが来島したときは草が生い茂っていたのですが、歴史保存局の方が白爺たちに見せたいと言って整地してくれたようです。
砂糖キビ運搬列車のレールも残っていました。
昨年6月に来た時には、初めてこ . . . 本文を読む
タチョンガビーチです。テニアン一番の海水浴場ですが、観光客が少ないので驚きました。 海水浴客だけではなくて、ピーチパラソルや浜辺の椅子なども見当たりません。浜に近づいてみたら、これらが置かれていた砂浜が見当たらなくなっていたので驚きました。海水が上昇したのか?台風で流されたのか?わかりませんが、広い白砂のビーチは姿を消してしまいました。 それでもテニアン一番の海水浴場ですから . . . 本文を読む
牛岬に来ました。テニアン島の最北端と言ってよい場所で、白爺が一番好きなポイントです。十字架の先にはサイパン島が見えています。この海峡は流れが激しく、日本時代は小型の定期船でサイパンに向かう時「テニアン海峡だ」と聞くと一斉に船酔いの騒ぎが始まっていました。 終戦後も、テニアンの高校生がサイパンへの通学途中、ボートが転覆して全員が遭難したそうです。この碑には、遭難した人の名前が刻まれてい . . . 本文を読む
通称「1航艦」と言われていた、日本海軍第1航空艦隊司令部跡です。相当古いので「立入禁止」の案内も出されていますが、遠くから眺める雄姿は昔の面影を残しています。 この司令部を見るのは初めてというAさんが一緒だったので、白爺は自己責任で中に入らせてもらいました。傷んでいても土台が落ちるようなことはありません。ただ天井からコンクリート片が落ちるのが心配になりました。 向 . . . 本文を読む
日本の海軍第1航空艦隊司令部の航空管制室跡に来ました。 建物の近くには英語の案内板も建っています。 管制室の全景です。 嘗てはこの建物の中で、米国の艦隊攻撃に出撃した陸上攻撃機やゼロ戦の管制作戦をしていたのでしょう。 大きな部屋の隣には、小さな部屋もありました。 外側から見ると小さな部屋がいくつかありますが、発電室や変電室があったので . . . 本文を読む