その頃には、学校にもなれて弟3人を連れて毎日楽しく通学していました。
しかし、食べるものは田舎にいてもありません。
都会の人は、着物などを米と交換して飢えをしのいでいたようですが、白爺の家にはテニアンから持ち帰ったものなどありませんから、交換も出来ずません。
やむを得ず、亡くなっていた祖母(本妻で尼さんでした)の兄妹弟子が、同じ村で観音様が有名な禅寺の住職をしていたので、ここで援助をし . . . 本文を読む
遊びに行った先は、深さが膝くらいの小川でした。
土手には浅葱が生えていて、川の中には芹が揺れていました。
腕白小僧は、川に入って土手の穴に手を突っ込んでいましたが、突然「ここに来て手を入れろ」と言いました。
白爺も川に入って、穴に手を入れたのですが、息が止まってしまいました。
イヤー驚きましたよ。穴の中にはヌルヌルするものがありました。
腕白坊主は、「南洋ボケは弱いな」といって . . . 本文を読む
全国南洋会は、年に一度全国を持ち回りして、大会と温泉めぐりをしています。
昨年は、新潟県が大会場に決まり、2004年10月19日~22日の旅程で、
月岡温泉・弥彦神社・良寛の五合庵・岩室温泉・六日町市内・長岡市内を観光してきました。
弥彦神社は越後一ノ宮で、越の国へ農業・漁業・製塩の技をもたらした天香命が祀られています。
弥彦から寺泊に行く途中 . . . 本文を読む
日曜日にも動物の当番がありました。ある日、白爺は豚当番で出かけました。
餌をやろうとして入り口を開けた途端、突然豚が飛び出してきました。
白爺は、一緒に当番をしていた人と追いかけました。
ところが、小屋の中では寝ているか、ウロウロ歩いているだけの豚が、
外に出たら物凄いスピードで走ることが分かりました。
先生や村の人の手助けを得て何とか捕まえましたが、豚は猪のように速いですよ~。
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やっと落ち着いたので、小学校の転校手続ずきをしました。
十村国民小学校高等科に編入されました。
白爺は、横浜で支給された国民服を着て登校しました。
当時の田舎では、小学校の生徒は、モンペと半纏のような着物を着ていました。
新しい国民服をきた白爺は、みんなに驚異の目で見られました。
先生から紹介されたときに、「この服は天皇陛下から 支給された服だ」と説明されたの
で、服のことで虐 . . . 本文を読む
故郷は遠くから想うから良いので、現実は厳しいものでした。
連絡も無く、突然南洋から娘や孫が来たので、お寺は大騒動です。
強制引揚げで帰国したと説明しても、食いつぶして南洋から帰って来たのだろうと言って、冷たい対応をされました。
特に白爺の祖母は後妻なので、母に対しては典型的な継母の扱いをしていました。
(祖父は白爺を可愛がってくれました。隠れてカキ餅をくれたりして・・)
1週間く . . . 本文を読む
小浜線の始発が出たのは、すっかり明るくなってからでした。
駅前にいた兵隊さんも、貸切車両に乗って一緒に発車しました。
後で想像したのですが、あの兵隊さんは舞鶴港から出陣したのではないでしょうか。
その日は、昭和19年4月29日 天長節の祝日でした。
落ち着く禅寺は、小浜線の十村駅で降りたところにありました。
母は周囲を眺めて懐かしがっていましたが、白爺たちは、もうダメ。
5分歩い . . . 本文を読む
テニアン島ソンソン町南区の、空中写真です。
赤線を確認してください。
赤線で区切ったところに、遊郭が集中していました。
左の赤印は「あいず屋(薄皮饅頭が看板商品でした」で、最近まで建物跡を見ましたが、6月には見てこなかったですねー。
上の写真と見比べてください。
拡大すると店の名前が分かるかも?
昭和17年ごろからは、町の人よりハゴイの兵隊さんのほうが通っていたようですよ。
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白爺は、長野県に行ってきました。
国立ICから中央高速道に入りましたが、この頃から雨が激しくなり、八王子を過ぎる頃には篠突く大雨になりました。
秋雨前線と台風20号の影響だそうです。
ワイパー全開でも前方が見えないので、白爺コマッタ・コマッタ
それでも甲府市を過ぎる頃には、普通の雨に変わったので「助かったー・・」でした。
長坂ICで降りる頃には、雨も止んでいました。
八ケ岳を左に見て . . . 本文を読む
時間は覚えていないのですが、汽車は各駅停車で東海道を下りはじめました。
車中は満員で、白爺たちは通路に座りました。
浜名湖付近を通過するときは、真っ暗になっていました。
前の駅から乗ったおばさんと母が話をしていましたが、 南洋から帰ってきたと聞いて
「浜名湖でとってきたアサリをあげる」と言い出したので、白爺は浜名湖を通過していることが分かりました。
(浜名湖がどこにあるのかは、その . . . 本文を読む
前に、九死に一生の思いで、テニアンから帰国した話をしました。
今日からは、引揚げ後の話を 不定期シリーズでお知らせします。
テニアン島から引き揚げてきて、白爺家族は横浜の旅館に案内されました。
案内をしてくれた人は、多分南洋庁東京事務所の人だと思うのですが
「テニアンが空襲にあったことや、潜水艦が攻撃してきた ことを絶対に人に言わないこと」
と命令調で言いました。
東神奈川の駅から近 . . . 本文を読む
OB仲間で、夫婦の旅をしてきました。
朝7時半に家を出発。途中 さいたま市に立ち寄って3人を乗せ、東京外環道に入りました。
渋滞で有名な小菅JCTを避けて、三郷JCTを経由して東関東道を快走し、千葉県の酒々井SAに入りました。
このSAは成田空港の一つ手前にあるので、外国旅行に行く人の車で混んでいました。
ここで8人が車2台に分乗して、犬吠岬へ出発進行。
勝手知った仲間がいて、富里IC . . . 本文を読む
沖縄三越の向いから入ると、平和通になる。
沖縄へ観光に来た人は、必ず見て歩く道である。
この道の突き当たりを左に入ったところに壷屋の窯里はあります。
白爺の泊まっている所から、は歩いて15分位の所です。
細い道が、くねくね続ずいていて、車は全部一方通行になっています。
見学して歩いても、窯を焼いているような様子は見られません。
焼窯は他にあ . . . 本文を読む
今日は、白爺が旅で見た珍しいものをお見せしましょう。
今年の春、稲取温泉へ旅行しました。仲間は恒例のOB12名です。
東名高速~小田原厚木道路を経由して熱海で小休止。
その後、城ケ崎海岸に立ち寄ってから稲取温泉に着きました。
着けば早速名所の見学。
観光案内の本を片手に、道を迷いながら車を走らせて、やっと岬の中腹にある「どんつく神 . . . 本文を読む
michiさんの、テニアン島の夕日を見て、白爺発奮しました。
一日を終わりホッとして、明日の夢を見ながら眺める夕日は
美しいものです。
日本にも沢山の夕日を見る、有名な場所がありますが、
テニアンの夕日に勝るものは無いでしょうね~。
(テニアン島と新潟県瀬波温泉北海道オシンコシンの夕日以外は知らない白爺ですが)
那覇空港近くの店が、改装開店したので、白爺はセレモニーに出かけました。
. . . 本文を読む