娘の計らいで、白爺達は今回八ヶ岳山麓にあるホテルに泊ることになりました。
このホテルは、日本で一番高い所にある鉄道線路の側にあります。
ホテルの入り口には牧草で作った牛が立っていて、我々を出迎えてくれました。
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孫の嫁ぎ先は農家ですが、孫は農業に一切加わらず、子育てオンリーで頑張っていました。
八ヶ岳の麓には7町歩の畑があるので、両親と婿殿だけでは到底守ってはいけません。
機械化できるものは全て機械を使うほか、外国からの研修生や親類の方の力を借りて頑張っていました。
畑は二毛作で、キャベツの収穫した後にはレタスが植えられ、レタス . . . 本文を読む
雨を心配しながら出発した「曾孫尋ねて・・」の旅も、八王子を通過した頃からすっかり青空に変わり、双葉SAに着いた頃には、快適な青空になっていました。
避暑別荘が建ち並ぶ清里を通過し、標高1350メートル以上の野辺山高原に入ると、コスモスが乱れ咲きすっかり秋の景色に変わっていました。
白爺の娘婿殿が運転する車は、牧場直結の乳製品工場を通り越し、一路曾孫の待つ孫 . . . 本文を読む
白爺は、テニアン島や沖縄で、暑さに対してのトレーニングを十分にしてきた心算でいたのですが、最近の東京は、自分の体温より高い暑さが続ずいているので参っています。
テニアン小学校第2校舎
外にも出られず、家でゴロゴロしているので非常に退屈。
東北旅行の際にホテルの売店で手に入れた「小学一年生の修身と国語の教科書」を開いて、70年ぶりに . . . 本文を読む
テニアンの友人リノさんが、ワシントンに渡ったのは前に紹介しましたが、白爺がテニアンから帰国する1日前(6月26日)でした。
あれから、早50日を経過しましたが、リノさんは子供や孫達と一緒に暮らせるので毎日が充実しているようです。
写真の蟹は、近くの海で獲ったものだそうです。
毎日のようにEメールで連絡しあっていると、テニアンよりアメリカが近いような気になっ . . . 本文を読む
いよいよ帰国の日になりました。
テニアン滞在の22日間は、あっという間に過ぎてしまい、本当に帰国するのが悲しくなりましたが仕方ありません。
心配した雨も降らないので、12時頃ホテルを出ようと思っていたのですが、
「飛行機が1機しかないので、一番機の荷物が10時ごろに着いたから、早めに出発してサイパンで待ったほうが良いですよ。」
ホテルの人に言われて、早々にテニアン空港に向かいました。
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白爺は、結腸癌の手術をしてから早1年と1ヶ月が過ぎました。
月1回定期検査をしていますが、担当の先生から「私より元気そうだ」と煽てられる位健康を取り戻して、楽しくテニアンや沖縄への旅行を繰り返しています。
さて、8月の検査の際に「一年経ったから術後のフォローアップのために内視鏡検査をしましょう」と言われました。
昨年は、内視鏡検査の結果、貧血の原因が結腸癌だと分かり、大手術をしたので、「内 . . . 本文を読む
白爺達を毎朝釣りに連れて行ってくれたリノさんが、アメリカに渡ることになりました。
息子さんたちは既にワシントンに家を造って住んでいるので、そちらに行くのだそうです。
白爺達は、よくご家族と一緒ん夕食をご馳走になっていたのに、これからはそれが出来なくなりそうです。
リノさんの家には、美しい花が沢山植えられています。
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南洋興発製糖工場の跡に来ました。
南洋群島協会元会長の依頼により、白爺は毎回この付近を写真に写して帰国し、報告することになっています。
今回も、そのために写した写真です。
この記念碑も、元会長が自費で建立したものです。
名前は栗林さんと言いますが、お父さんは南洋興発の社長を務められました。
60年以上経過しているのに、このように確りと建物の骨組みが残っているこ . . . 本文を読む
アメリカから娘夫婦も帰国しました。
今日は、社長が沖縄本島北部や中部にある店に、台風状況の視察に行くというので、白爺とEmiiも同道することにしました。
沖縄高速道を北上し終点の許田ICで降りて名護市内に向かいました。
名護市は台風の時に1メートル以上の冠水があり車が水没したと報道されていましたが、町の中は普段と変わらない風景に戻っていました。
最初に立ち寄ったの . . . 本文を読む