二本椰子の海岸にあった灯台です。
この海岸際に鉄道の線路が敷設してあり、マルポの方面もこの線路を通って行きました。
今のカジノホテルを回ってマルポに行きました。
バス道路は、小学校の近くから直接マルポ方面に走っていましたが・・・。
灯台下の海岸です。今はタガビーチと呼んでいます。
ソンソン町にはテニアン . . . 本文を読む
タガ族の遺跡も、昔は大きく感じましたが、白爺が子供だったせいでしょうか?
さて今日は、開墾された畑の状況からお知らせしましょう。
開墾された畑は、先ず焼き払って雑草や木の枝などを整理し、害虫なども駆除していました。
砂糖キビを一定の長さに切る種切作業
砂糖キビの植え付け作業
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テニアンフレミングホテルの美穂様からご案内を頂いたので、本日(9月23日)東京ビックサイトで開かれた世界旅行博2006を見に行ってきました。
東京湾の埋立地に壮大な建物が並んでいて、池袋の田舎にいる白爺はビックリ仰天してしまいました。
周りはまだ埋め立てしただけの広大な土地が残っているので、石原知事がここにオリンピック村を造れば世界の人に泊まってもらえると言っていることが実感として理解出来ま . . . 本文を読む
農場にはサトウキビを運ぶ運搬道路が作られていきます。
割り当てられた耕作地は、日を追うごとに美しいサトウキビ畑に変わっていきました。
チューロの試作農場
マルポの市街地
カーヒー市街地の全景
第1農場(カロリナス台地や麓付近 . . . 本文を読む
白爺は、杉爺さんに教えてもらいながら作ったカフェスタのHP
「嗚呼我が故郷テニアン」を店じまいすることにしました。
そちらには写真アルバムのページがあったので、
南洋興発の写真集から、テニアンの開拓時代の写真を載せていました。
店じまいするとこれらの記録が残らなくなってしまうので、こちらのブログに転載して残すことに決めました。
既にあちらで、ご覧になった方々には申し訳ありませんが、記録に残 . . . 本文を読む
白爺の友達は、懐かしいソンソン町の散策に出かけたようです。
テニアンの代表的な建物であった元の教会も、このときは建築途中だったようです。
鐘の塔に足場が組まれていて、窓枠が建築途中だったように写真に写っています。
テニアン小学校も、壊れたままになっています。
土台は確りしているので、この後補修して政府の事務所になったようですが、このときはまだアメリカの属領に決まっていなかったのでしょう、戦 . . . 本文を読む
サイパンを後に、同級生達はテニアン島へ向かいました。
心は逸るが、船便にしたようです。
その頃、フリーダムは飛んでいなかったのでしょうか?
この定期船も、ご覧のようにトローリングをしながら航行するので、途中で魚が釣れれば止まって釣り上げてから動き出すという、のんびりした時代でした。
チューロ・ビーチを過ぎた頃の景色ですが、無線のアンテナも無い無人島のような景色ですねー。
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東京からサイパンへ、始めて直行便が飛んだ記念すべき写真です。
止まっている飛行機が直行第1便ですが、当時のサイパン空港にはタラップが無かったので、滑走路横に止まって乗降したようです。
今は昔の話ですが、テニアン小学校の同級生が写して送ってくれたものです。
矢印の人が浜美枝さんです
この同級生は、南洋群島協会の慰霊団に参加して出かけたのですが、女優の浜美 . . . 本文を読む
この写真は、四輪車の競争ではありません。
植えた白菜の間に、追肥を与えている風景です。
東京では見られない風景なので、頑張って仕事をしている方に「ご苦労様」の声もかけないで、白爺は見とれてしまいました。
後方の風景も広大でしょう!
でも家に戻ると、庭の「栃の木」が実をつけていたり、せせらぎに「忘れな草」の花が咲き乱れていたりしていて、風景はすっかり変わってしまいます。
栃の木の実
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白爺は、野辺山高原の平沢峠に行ってきました。
我が家から5・6キロの所なのですが、標高1450メートルの高台にあり、大きな展望台がありました。
駐車場に止められている車のナンバーを見ると、関東一円のほか三重・愛知などいろいろな所の車が止まっていました。
ここは有名な場所なんだと、白爺はあらためて感じました。
展望台から眺めると、目の前に八ヶ岳の山並みが美しく連なっています。
眼下にはゴル . . . 本文を読む
清瀬の娘宅には、ポメラニアンの「リッツ」がいます。
孫が「犬が欲しい」と言ったが買ってもらえず、高校入学の年に自分の貯金をはたいて手に入れた犬です。
当時Emiiと一緒に、西友の動物売り場に行って見てきたのですが、
18万円を出してきたそうです。
はじめは飼うことをブツブツ行っていた娘も、いざ顔を見たら「可愛い・可愛い」とはしゃいで、孫に「何よお母さん!」と言われていました。 . . . 本文を読む