「沖縄を襲った台風で農連市場は大被害を被った」と、白爺はテニアンでインターネットを開き知りました。確認するために立ち寄ってみました。
トタン屋根が飛ばされたと書いてありましたが、確かに残っている建物にも古いトタンが並んでいました。
中に入ろうとしても店の中は壊されたままに残されています。傍には「ゴミや空き缶を捨てるな」と書いたビラが沢山張られていました。
中に入 . . . 本文を読む
国際通りまで散策したので、帰りは市場中央通を散策しながら帰宅することにしました。この通りは、公設市場の横にある商店街です。
ここにも衣料店が頑張っていました。
少し歩いていると、金の豚が飾ってありました。傍に「財運・金運・開運」と書かれていましたが、「金運は猫で招くのではないか」と白爺不思議に思いました。
更に目を上に移すと「中国直輸入」と書いた文字が見えました . . . 本文を読む
公設市場を出た白爺は、修学旅行生がよく見学している平和通りを散策しました。
昔は沢山の観光客が歩いていたこの平和通りも、最近は人影が少なくなってしまいました。
この通りにも、洋服が安い値段で陳列されていました。
沖縄独特の三味線(蛇の皮で作られた三味線)も並んでいます。
玄関の守り神「シーサー」も可愛らしいのが沢山ありました。
遠く . . . 本文を読む
沖縄に来た観光客が必ず立ち寄ると言われている「牧志公設市場」へ、白爺も立ち寄りました。
出迎えてくれたのは、豚の顔です。「豚は死しても面を残す」と、心の中で呟きながら眺めてきました。
隣には豚の足も並んでいます。豚の耳は「ミミガー」と言って貴重な食材になり、内臓は豚汁になりますから、豚は捨てるところが無い動物のようでした。
白爺が一番見たい場所は、魚の . . . 本文を読む
浮島通りを過ぎると、「国際通りや公設市場に近い道」の表示が出ている「むつぎ端通り」がありました。右に曲がればすぐ観光客がよく通る「平和通り」になるのですが、白爺は公設市場を早く見たいと思って「むつぎ橋通り」を進みました。
道の両側に並ぶ小さな店には、沖縄風の衣類が美しく飾られていました。値段も「平和通りより安いのでは?」と、白爺は思いながら眺めてきました。
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壷屋交差点から平和通りに向かって歩きました。何時も歩く道の景色が急に変わり、道の両側の家は姿を隠してしまいました。
如何したのだろうと思っていたら、道の淵に掲示がありました。道路を広くするので建物を撤去するような内容でした。
前回来た時は赤い暖簾のような店が並んでいたのですが、今回来たら並んでいた家は無くなっています。
道の淵には、このよ . . . 本文を読む
今日は国際通りまで散策することにしました。国際通りまでは、与儀公園を突っ切って行くのが一番近いので、NTTの横から与儀公園に入りました。
何時来ても綺麗な花が咲いている与儀公園ですが、60m以上の台風に苛められたので椰子の木は形だけを残していました。
風が強い日でしたが、相変わらず麻雀や囲碁、時には花札をしている人たちは同じように集まって楽しんでいました。
孫 . . . 本文を読む
沖縄の総鎮守様「波上宮」は、美しい浜辺の傍に建っています。
鳥居の先は緩やかな坂道になっていて、階段も造られていました。
この神社は官幣小社だそうですが、神社の称号はついていませんでした。
境内には神社の謂れが掲示されていましたが、「こ . . . 本文を読む
今日はオバアの3回忌法要がある日です。白爺たちは午前9時に家を出て、副都心近くにある墓地へ、オバアを迎えに行きました。到着早々お墓の掃除が始まりましたが、鼓太郎は率先して掃除を始めました。
近くに公園があるので水の使用等は便利です。すぐにお墓は綺麗になりました。鼓太郎の手に数珠を掛けてあげたら、早速大オバアに手を合わせていました。
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沖縄に着いたら、ファミリーが全員集合で歓迎会をしてくれました。
店内に入ると泡盛が出迎えてくれました。
場所は「居酒屋あうん」の丸テーブルを貸切りです。
「先ずは今日のおすすめ料理」と注文したら、獲りたてさんまの刺身がでてきました。何処で獲れたのか聞いたら、東北との返事が返ってきましたが、日本の流通機構は大したものです。東北で獲れた魚が、沖縄でも活魚の刺身で食 . . . 本文を読む
昨日午後那覇空港に到着しました。
テニアン島から帰国するときに大雨を降らしていた台風21号は、沖縄近海で停滞して白爺の来島を待っていてくれたようですが、待ちくたびれて東に去りました。
沖縄は真夏のような青空です。那覇空港の通路では美しい南国の花が白爺たちを迎えてくれました。
長女の家に到着です。
瞬間風速那覇市で63メートルといわれた台風の被害がないかと . . . 本文を読む
孫たちが来たので、Michiさんとお嬢さんを同席してカジノホテルの食堂で夕食を食べました。皆が集まったので、ロビーで記念写真を撮りました。
この日は、ホテル内にある「嵯峨野」という和食堂に入ることにしました。
和食堂というだけあって、入口の飾りもそれなりの和風になっています。
Michiさんとは、日本・テニアン間を電話で話していますが、顔を合わせて話 . . . 本文を読む
午前の観光が終わったので、通称「ガンちゃん食堂」で昼食を食べることにしました。
何を食べたらよいか、いろいろと検討しています。
白爺は、相変わらずソウメンを注文しました。テニアンで食べるソウメンは美味しいですよ。
この日は料理が遅くて、なかなか注文の品が来ませんでした。曾孫は練習用の箸を使って、持っていたパンを食べていました。
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チューロビーチの近くある「砂糖キビ運搬鉄道」のロータリー内に、壊されたアメリカの「水陸両用戦車」が置かれています。
この戦車を掘り出した時に、白爺たちは偶然立ち会ったので、懐かしく思いながら孫たちを案内しました。
車好きな曾孫は、キャタビラがあるので「ハンドショベル車」だと思い、興味を持ってくれました。
孫が戦車だと説明したが理解してもらえないので、白 . . . 本文を読む
1944年この浜「チューロビーチ」から、アメリカの海兵隊は上陸してきました。それを迎え撃った日本守備隊のトーチカに、孫たちを案内してきました。
トーチカの内部です。この中にいた日本の兵隊さんは、どんな気持ちで上陸してくる敵兵を見ていたのでしょう。
上陸の際に壊された「水陸両用戦車」の残骸が、70年の年月を過ぎて残っています。
孫と曾孫がその地に来ました . . . 本文を読む