わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

ROMA/ローマ

2018-12-15 | 映画・ドラマ・本
 「ゼロ・グラビティ」でアカデミー賞監督賞を受賞した、アルフォンソ・キュアロン監督が、政策・脚本・撮影・編集も行った自伝的映画。ベネチア国際映画祭コンペティション部門金獅子賞受賞作です。1970年代初頭のメキシコ・シティを舞台とする、スペイン語の白黒映画という、普通に食指が動かない映画(だから劇場公開じゃなくってネトフリ配信なんだけど)でありながら、えらい評判いいんで軽い気持ちで見始めたら、初っ端からのめり込んでしまい、最後には心を大きく揺さぶられました。



 なんでメキシコなのにローマ?なのは、私の知識不足で、メキシコ・シティーの裕福な住宅街、ローマ地区に住む一家と、そこに仕えるメイドさんのお話でした。メキシコと国境を共有するテキサスに住んでいた時に知ったのは、メキシコの上流階級は、がっちりとした体形で黒髪に黒い瞳、浅黒い肌の典型的なチカノと違い、背が高くヨーロッパ人に近い見た目ってこと。この映画でも、末っ子の髪の色は薄く、奥様はすらりと長身でヨーロッパ的な顔立ちです。一方で、メイドのクレオとアデラはインディオで、二人の会話もスペイン語ではありません(彼女たちの会話は、字幕でもちゃんと[ ]で区別されてる)。「中流家庭」と紹介されていますが、住込みのメイドさんを2人も雇っていることや、家の豪華さから見ても、ミドルクラスというより上流に近いんじゃないかなぁ。

 キュアロン監督は、IndieWireの独占インタビューで、この映画の90%の場面が自身の記憶に基づいており、クレオに実際に起きたことを描いたと言っています(Alfonso Cuarón Talks ‘Roma’)。とてもパーソナルな作品でありながら、映画は客観的に、オリンピック直後の好景気に沸きつつも、社会的不安を抱えた50年前のメキシコで、一人の女性と、彼女の視点から見た雇用主一家に起きた不幸を淡々と描き、最後には新たな再生を感じさせます。

 一家の長、医師のアントニオは王様のような存在(彼が大きな車を注意深く幅ギリギリの前庭に入れるときの緊張感!)ですが、4人の子供達、ペペ、ソフィ、トリオ、パコと妻のソフィアを騙して他の女のもとに走り、同じ頃、クレオはとんでもないクズ男の子を宿してしまう。

 クレオは赤ん坊を死産し、ソフィアは夫の置いて行った大きな車を売って小型車に買い替え、その大きな車を引き取りに来る前に旅行に行こうと、子供たちとクレオを連れ出します。泳げないのに海で波にさらわれたソフィとトリオを救ったクレオは、(子供は)欲しくなかった、と、吐露します。ずっと言葉数少なく、感情的を抑えていたクレオが、ここで初めて心情を露わにし、そしてソフィアと子供達は「あなたを愛している」とクレオを抱きしめる。

 出て行った夫からの仕送りが途絶え、ソフィアはフルタイムで働く事を子供達に告げます。クレオはこれからも、子供たちの世話を見るのでしょう。我が家に帰ってみると、アントニオが本棚を含む私物を持ち出した後でした。一家も、クレオも何かが変わった。でも、何も変わらないかのように日常は過ぎ、屋上には洗濯物がはためき、鳥がさえずり、犬は吠え、遠くから教会の鐘の音が聞こえる。この数年後にメキシコは大地震によって壊滅状態になり、経済も悪化、暴力と不正にまみれていきます。国も一家も、これから激動を乗り切っていかねばなるでしょう。今や世界的な一流監督となったキュアロンさんを、実物のクレオさんが今なお、誇らしく思いながら見守っているのならいいな。



実在したクレオのキャラクターは、私を養ってくれた母のような存在でした。この映画によって私は、そのクレオを一人の女性として、そして社会的に不利な立場に置かれた、階級や金、人種が直接に影響する社会で生きる先住民女性として見なければならず、それは実に強烈な、時には大変に苦痛を伴う経験でした。Emanual Levy Blogより


 監督は1961年生まれで、私と同年代なのですが、全く違う国なのに、服装や建物、街の様子のせいか、懐かしい感じがしました。クリスマス~お正月を過ごしていたお屋敷に、歴代の飼い犬の頭がはく製になって飾ってあるのはドン引きしたけど、犬がいっぱい出てきて嬉しかった。一家の飼い犬が雑種で、お馬鹿なのも、そこがかわいい。

 この映画は、先日観たコーエン兄弟の「バスターのバラード」と同じく、Netflixオリジナル作品として配信されています。そんな作品が、世界で最も権威のある映画賞の一つである金獅子賞を受賞したのは、映画は、映画館という映画を見るために設えられた環境で、大きな画面でこそ観るものって観念が変わりつつあることの証明でもあるのでしょうが、1カット1カットずつが計算された一枚の写真のように美しく、しみ込んでくるような音響を出来れば映画館で堪能したかったな。最初に、普通に食指の動く映画じゃないとか書いといてゲンキンだけど。