わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

マンデラ氏が亡くなった日にアメリカの人種差別を考える映画を見る

2013-12-05 | 映画・ドラマ・本
 寒いです。おかげで家の中ではコタツ亀と化し、家をでる時は前身ヒートテックの上のコロラドで愛用していたダウンジャケットという状態です。南カリフォルニアの分際でこんなに寒いなんて許されるべきではないと思います。最低気温が摂氏二度とか、信じられへんわー

 今日は、ネルソン・マンデラ氏逝去のニュースに一時代の終焉を感じましたが、病床に臥せっていたことは昨年末から伝えられていましたので、やっと休息できますね、お疲れ様でした、という思いが深いです。マンデラ氏が解放後に初めて国連本部を訪れた時、私はちょうど、学生インターンで国連本部にいました。一目お姿を、と、思ったんだけど、私が他のインターン仲間と駆けつけた時には、マンデラ氏の通路は既にずっと待っていた人でいっぱいで、何も見えなかった…っつーか、職務時間中に何やってんだ、国連職員www

 昨日、たまたま図書館にあったから借りてきただけで、別に狙ったわけではないのですが、今夜見た映画は、「ニガー」という言葉が連発される、「42~世界を変えた男~」と、「ジャンゴ 繋がれざる者」の二本でした。「42」は、黒人最初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの伝記で、淡々と人種差別の理不尽さを訴えつつ、「やり返さない勇気」が周りを変えていく実話を元にした作品。一方、「ジャンゴ」は逆に、クエンティン・タランティーノらしいケレン味溢れる復讐譚。偶然とはいえ、この日に、同じく黒人差別を描きながらも全く逆のタイプの映画を続けて観るとは、自分でも妙な気分。

   

 ジャンゴの舞台は南北戦争を目前に控えた1858年、42の舞台は第二次世界大戦直後の1947年。100年以上を隔てて、黒人奴隷が人間扱いされていなかった南北戦争以前の南部に比べればずっとマシとはいえ、全盛期半ばでも、有色人種は二級市民的扱い。黒人差別を描いたもう一つの映画、「ヘルプ 心がつなぐストーリー」は、1960年代のミシシッピが舞台ですが、ジャッキー・ロビンソンがプロスポーツの世界の枠を破って10年以上たっても、余り状況は変わっていない様子が描かれます。ヘルプを見て私が思ったのは、白人である姑が、彼女は全く意識していなくともどこか、私や台湾人である義妹を見下しているようなところがあるのは仕方ないか、ということでした。義妹は、地獄から来た嫁の如き私とは全く違い、義両親を立て、仕えるタイプ。食事の後は一人先に立って皿を片付け、洗う人。それを平然として当然のように受け止めている姑に、私としては違和感を感じることが多かったのですが、彼女が育ち、価値観が固定された時代には、白人と有色人種は全く異なる階級であり、有色人種が皿洗するのは当然だったんだから、不思議でも何でもないのでしょう。むしろ、そうしない日本人嫁のほうが謎。すんませんねw

 「42」で語られる黒人野球選手に対する人種差別のおぞましさは、恐らくは映画向けに随分に抑えられているのだろうと思いますが、これ、ほんの半世紀ちょっと前の話ですから、この当時に生きていた人たちがまだまだ生存しており、「ヘルプ」の時代に生きていた人たちは未だ現役ですから、アメリカにおける人種差別の根絶はまだまだ先のことでしょう。ロサンゼルス市の警察犬は、何故か黒人男性を襲いがち、なんて統計が出るくらいですから。つい先日、犬の散歩中に、自転車に乗った黒人青年が警察に止められ、道端で尋問・身体検査されるのを目撃しました。彼は直ぐに開放されましたが、通りすがりに、その子(息子と同じくらいの年頃)に「大丈夫?」って訊いたら、「大丈夫だけど、理由もないのに(警察に止められて)ムカつくわー」と言いながら自転車で去っていった。私が見た限り、彼が止められた理由は、黒人の若い男である、って事以外考えられない。だって、普通に自転車で走ってただけだもん。アメリカでもリベラルなカリフォルニアですら実情はこんなもの。でも、少しずつ価値観は変わっていっている。そう信じたいですね。で、新しいマンデラの伝記映画が先週から公開なのはタイミング良すぎw


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