睡蓮の季節 ・・・
モネの青い睡蓮の謎!
モネが描いた睡蓮の絵画に、”青い睡蓮”があるが、
その頃、現実には”青い睡蓮”なんてこの世に存在しなかった。
この謎を解くには、モネの生涯の”ストーリー”を知る必要がある。
・・・ 1872年(32歳)、後にモネの代表作となる『印象 -日の出-』を制作し、第一回印象派展にこの作品を出展。この作品は一定の賛美と非難を浴びる。このころ主義主張の違う会派を、ルノアールとともに離脱したモネは、作品を発表する場所を失い、さらにスポンサーであった百貨店が倒産し、社主は逃亡してしまいます。
恋愛結婚した妻カミーユに子供が生まれ、パトロンが経営していた百貨店が潰れ、そのパトロンの子供まで面倒を見ることになったモネは、経済的に困窮しセーヌ川に身を投げ自殺するも死に切れません。1879年、妻カミーユが死去。1880年代には展示会が大成功するなど経済的に豊かになります。
1890年(50歳)、7年前に転居したジュヴェルニーで、舘と土地を買い取って自宅兼アトリエとする。ここに庭園があり池があった。この池の睡蓮を、絵画の対象にして連作し、評判になります。
~~ 1899年の夏から1900年にかけて『睡蓮』第一連作に取り組み、それをデュラン・リュエル画廊で発表し、大きな成功を収める。~~
~~ 1903、睡蓮』連作48点による個展を開き、大好評を得る。~~
この頃から、白内障を患い視力の悪化のため、作品制作の意欲が衰え、制作中断。白内障の手術を受け視力を回復すると、制作を再開します。
しかし、視力悪化のためか、青を中心の色になっていく。 ・・・”青の睡蓮”はこの頃の作品。
モネは、夢か幻か、”青い睡蓮”に強烈に焦がれいく。 ・・・おそらく白内障が原因と思われます。
晩年は、視力の衰えからか、印象派の作品のイメージから遠い、抽象的作風になっていく。
1926年(86歳) 『睡蓮』大装飾画に最後の手を入れ、ジュヴェルニーの自宅兼アトリエで死去。享年86歳。 ・・・
ジュヴェルニーのモネの館 ・現在は”印象派美術館”になっている・