広徳寺:大御堂・
「平家物語」弓流(その3) ・・・ 水尾谷(みをのやの)十郎(じふらう)は、御方の馬(むま)の陰に逃げ入つて、息継ぎ居ゐたり。敵(かたき)は追うても来ず。その後兜の錏(しころ)をば、薙刀(なぎなた)の先に貫き、高く...
◇:水尾谷十郎は、頼朝に仕えた「鎌倉武士」であるらしい。頼朝が、蜂起した際に。(平良文流)河越氏とともにいち早く頼朝の許へ駆けつけた関東武士の一人・
水尾谷は、「水尾屋」とも、十郎は「四郎」ともいう書もあるが、名は「広徳(光徳)」ともいう。
◆:尾谷は、近くを流れる「越辺川」(あるいは吉野川)の流域ではなかろうかと仮設する。もっと下流域に、古尾谷という地籍名が残り、後に古谷と変わったという。
・もしや、と思い、「越辺川」のことを古に「尾辺川」と書いたかも?と思い、あるいは「水尾谷」のことを「水越谷」と書いたかも、と尋ねてみたのだが・・むなしき結果を見るに至る。
◇:広徳寺:大御堂は、この「水尾谷十郎広徳」の住居跡ではないかと比定されている。広徳の名を借りて「広徳寺」・
◇:案内板・
◆:かぜ凪て 寺屋根のさぎ 羽やすめ・
大御堂・・
於:比企郡川島町表76