田畑文士村散策
パソコンでのデータ収集とチェック作業が午前中で終了して午後暇になった。
毎日の日課で、歩行7000歩以上、1時間以上がノルマとしている。この数日は、寒波到来で、歩行数少な目・・そこで、「田畑文士村散策」を企てた。
この町は、上野に「東京芸大」が出来た当初には、上野から近く、まだ田園風景が残っており、家賃が比較的安かったことから、「東京芸大」の「芸術家の卵」が住居として選んだ土地であった。この「芸術家の卵」たちは、サロン的に友好し、コミュニケを形成しながら、芸術論を議論し、ともに娯楽し、「類」を誘って集積していった。
田畑が、文士村になっていく過程の話である。
散策マップには、芥川龍之介や室生犀星の名前が見える。竹久夢二や正岡子規の名前も板谷波山や小杉放菴の名前もサトウハチロウや菊池寛の名前も見える。
まさに、多士済々・・
まず、大宮から田畑までは電車で・・約25分くらい・・
田畑の駅を降りると「文士村記念館」がある。
ここに資料の散逸を防ぐため、・・一部が展示されており、「田畑文士村」が成立した経緯が説明されており、文士、芸術家が丁寧に説明されており、資料や作品が展示されておるわけで・・
なにせ、戦前のことでもあり、空襲もあったことから、付近は焦土と化しており、戦後の復旧と住宅化は彼らの旧家どころか面影も残していない。
それでも、「わらべ橋」とか「与楽寺坂」とか「ポプラ坂」とかの地形や寺や神社は残っており、寺や神社の旧跡は、当時の匂いが微かでも残っていて・・散策の憩いになって・・
正岡子規の墓所がある「太龍寺」
ゆっくりの散策は、歩数を稼げた訳でもないが、約2時間の運動になった。