2014/02/08 PM3:20 頃・・・
関東地方 大雪注意報 発令 ・・この後も降り続く模様 ・・・
COCOON 1Fより 中山道に向かって撮影・・・ TVはこのぐらいの雪で大騒ぎ・・・
だが、「埼玉アリーナ」は、若者で大混雑 ・・なにかの「イベント」?
人間って、進化しているのか退化しているのか・・分からない
越辺川・八幡橋付近・・・
八幡橋(冠水橋)
上に見える橋は、圏央道・・・
ここの風景は、かなり気に入っています。釣り人も、お気に入りの場所のようで、一年中釣り人は絶えません・
白鳥 ・・越辺川
約800M上流に行くと、”エトランゼ”・渡り鳥・白鳥のお気に入りの場所・・・になります。
昨年の暮れは、少々遅刻したようで、大分心配しましたが、今年のいまは・・・いつものように、優雅に、泳ぐ姿を見せてくれています。
セレナーデを聴きながら・・・: セレナーデ(シューベルト・白鳥の歌より) - YouTube
追記:越辺川の名前の由来を偶然見つけて ・・かねてから、越辺(オッペ)の名の不思議に興味を持っていました・・
*その後、越辺川の名前の由来について、以下のような記述を見つけました。
『川名は押辺とも記される。 語源には大きく分けてアイヌ語説と朝鮮語説がある。 アイヌ語説には豊かな川、恋人を待つ、川尻に沼がある川の三説があり、青森県や北海道に多い「川尻に・沼がある・川」の意であるアイヌ語の地名「乙部」が「オッペ」の語韻に近いとされ、実際に越辺川下流部の現坂戸市東部には小沼、横沼など低湿な沼沢地を意味する地名が現存していることから、信憑性が高いといわれる。 朝鮮語説には、古代朝鮮語で布を意味する「オッペ」から、山の上から白く光る川を眺めて、布のような川と名付けた説と、現代朝鮮語では、「オッペ」は柚子を意味し、越生が柚子の産地なので、名付けられたとする説がある。 その他水源地の越上山(おがみやま)の近くにある小字越辺によるとする説、「越生辺川」がつまったとする説などがある。 越辺川は毛呂山町より下流では入間川との合流点まで、江戸時代には比企郡と入間郡の境界をなしており、現在でも方言や生活習慣の違いもみられることから、異なる文化圏の境界線でもあった。』 (『日本歴史地名体系11 埼玉県の地名』平凡社刊より)
出典; 毛呂・越上山・越辺川源流 [山行記録] - ヤマレコ
色々の説・・それぞれに案外説得力があります。アイヌ語説も朝鮮語説も、その時代まで遡って、歴史に尋ねて深掘りする必要があるみたいです。
ビオニウォーク東松山
東上線高坂駅東口から1~2Km、国道140号線脇に大型ショッピングモール・「ビオニウォーク東松山」があります。ここは、アピタ、ケーズデンキ、ユニクロ大型店など約120店が出店する大型ショッピングモール になっています。
1Fの広場で、「反町遺跡発掘展」なるものが開催されていました。遺跡の場所は、ここ・・・・・ ショッピングモールの開発の時の出来事のようです・・・
遺跡の時代の比定は、古墳時代のようです。
「反町遺跡」
展示の中に、人面土器がありました。
人面 ・・ 柔らかい表情です。
参考: 反町遺跡 | 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
場所:東松山市高坂256番地
紅梅は花盛り ・・ 梅林・大宮第2公園
・梅が枝に来いる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ
・・・ 古今和歌集 とあります。昨日の雪の・・次の日・・ 残雪が道ばたにかすかに残るところもあります。
白梅は、少し先・・まで待ちましょう。紅梅の方が早く咲くようです。鶯は・・・留守のようです・・
・・万年寺
【万年寺と伊沢弥惣兵衛】・・・ママ・井沢ではないかと・・
山号は長昌山 本尊は釈迦如来
寺の開創は永正6年(1509)といわれ、天正19年(1591)に徳川家康から寺領20石を拝領した古刹です。江戸時代初期の見沼溜井造成に際しては寺域が水没したため伽藍を移したと伝えられています。
江戸時代中頃、溜井の干拓及び見沼代用水開削工事に際して工事を担当した伊沢弥惣兵衛が詰め所を当寺に設けたといいます。この伊沢弥惣兵衛と見沼の竜神にまつわる伝説がたくさん残されています。
見沼東縁代用水関係者は、文化14年(1817)に弥惣兵衛の頌徳碑(写真下)を境内に立て、事績をしのんでいます。
境内にはこの外、こぶ地蔵、庚申塔、当寺の中興開祖の墓などあります。幕末から明治にかけては寺子屋が開設され村の子弟の教育に当たりました。
・・・ さいたま市教育委員会掲示物より
・・弥惣兵衛の頌徳碑
・・不思議な木。枝や幹は瘤だらけ・・枯れ木!?・・ 境内にある、由来不明の”こぶ地蔵”は、この木が”えにし”(=縁)とか、説明文は見つかりません・・・
井沢弥惣兵衛の墓はここには無いそうです。
伊那忠次、伊奈忠治、同様、尊敬できる官僚テクノラート・・・江戸時代
*場所:さいたま市見沼区片柳1-155
2月4日 明日は立春です・・・
春をもとめて、芝川の土手ぞいを散歩します。芝川は見沼たんぼの悪水路です。見沼たんぼの中で、芝川は排水路ですから、それほどきれいではありません。ですが、堤防は雑草が生い茂っています。左右は刈り田のあとの風景、春の植え付けを待っています。
*悪水路とは、汚い水路のことでなく、排水路のこと。
ちなみに昔の物語に、人名の冠に悪がつく場合、EX・悪源太など、あらっぽいとか元気のいいの意味になるそうで、悪者の意味ではないようです。
・・梅林です。紅梅と白梅・・・
・・紅梅は、ほぼ満開・・・
・・もう、”たんぽぽ”でしょうか。春間近
・・芝川の水路に、”白鷺” ??
・・山茶花でしょうか。上山口新田にて・・
江戸時代の見沼の干拓は、60万石の米の増産を生み出したと言われています。江戸時代の60万石の大名は、仙台伊達藩が60万石、安芸藩(広島)が58万石ですから、そのぐらいの藩が新しく生まれたぐらいの規模・・・ここで生まれた新田は、○○新田と呼ばれたようで、”上山口新田”もその一つのようです。明神宮(おしめんさま)は農耕の神で、伊勢神宮と同じだそうです。新田での米の豊作を祈願するために建立したのでは・・・と・
明日の”立春”は荒れ模様・・・今日は15°C前後ですが、明日は今日より-10°下がるそうです。見沼たんぼに、春の息吹が、少しだけ見つけられました。
・・・・・蕗の薹は、まだいません・・・
春の足音・・・
「ロウバイまつり」・石田実生園(さいたま市見沼区)
・・ロウバイ ここは駐車場、入場ともに無料
蝋梅を月の匂ひと思ひけり ・五行
ロウバイ・・・見沼自然公園・
蝋梅、は実は梅の名がついているが種目が全く違うらしい。花の香りは強い。・・・花弁が蝋に似た色質でかつ蝋月(旧暦12月)にちなんだ。花弁の油は薬に、種子からは”アルカロイド”の毒に・・・「毒にも薬にもなる」ようだ。・・・外来種で、中国から来たので、”唐梅”とも・・・
宝登山が有名らしいが、直ぐに行けない距離なので、近くで見つける。
あと、今どきの花は、”福寿草”と"山茶花”。近くに咲いているのだろうか?
沼の”鴨” ・・in 見沼自然公園