千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

木を植えた男について

2013年07月12日 | 千曲川の植物


わっちゃんは私の亡父の幼馴染みで、同級生で、碁敵で、生涯の友だった。

あのころ70歳くらいだったろうか、わっちゃんは、千曲川の河川敷に個人的に「自然公園」を作った。さまざまな動物を飼い、花を咲かせ、木を植えた。ドラム缶にペンキで「菊根分けあとは自分の土で咲け」という句を大書して立ててあった。
大勢の子どもとその母親が遊びに来て、山羊の子に草を食べさせたり、半ば野生化したニワトリを追いかけたり、兎を抱いたり、木陰で休んだり、サツマイモを掘ったりした。
しかしここは国有地で、そのような行為は個人には許可されない。この違法「自然公園」はたびたび河川事務所から撤去を求められていた。



わっちゃんは少々変人だった、といっても多分怒らないと思う。国と争いながらこの妙な公園を何年か続けていた。公園に集まったお母さんたちは、存続を求めて署名運動なども試みたものだった。
わっちゃんが死んで何年になっただろうか。「自然公園」は跡形もないが、わっちゃんの植えた合歓の木は大きく育っている。今は地元の方々が草刈りや木の世話をしてくれているようで、今年も咲き始めた。
この夏も、きっといい日陰を作ってくれるだろう。




SASORIは今もいるのだろうか

2013年07月12日 | 千曲川の魚
サソリと言えば梶芽依子、古いな。うん、古い。
そうではなくて魚のサソリのことが気にかかる。

50年ほど前、ある日友達と千曲川で魚を捕っていた。網も何も使わず、素手で石の下やアシの根本を探って手づかみするという実にプリミティブなやり方である。
一番楽に捕まるのがジンケン(オイカワ)のオスだ。こいつは体にヌメリがないので一度掴めば逃げられない。見た目は誠に派手で綺麗だけれど、これを捕まえてもあまり自慢にはならなかった。そしてバケツに入れておくと最初に死んでしまう。
その日、堰堤の魚道の下流にある浅瀬で石の下を探っていたYくんが何かを捕まえた。手を開くと小さなナマズのような魚がいたが、Yくんは「あ、サソリだ!」と言って放り投げてしまった。私はそれまでサソリという魚は全く知らなかったが、手を刺されるのだという。

私が「サソリ」という魚を見たのは生涯にこの一度きりである。先日橋の上から川を見ていてこのサソリ事件を急に思い出したのだが、記憶はひどく曖昧であった。
そもそもサソリなんて魚が本当にいたんだろうか。
辞書や図鑑類をみても分からなかったが、やはりネットは凄い。「新潟県ではアカザをサソリと呼ぶ」という記述を見付け、アカザを検索すると50年前のあの魚がいた。赤い、泥鰌とナマズの中間みたいな感じの魚である。鰭にとげがあって刺されると書いてある。疑問氷解である。気持ちがいい。

しかし、である。何故サソリなんだろう。そもそも、ヤマトに蠍なんていないのに「さそり」というヤマトコトバがあるのはどうしてなのか。
大きな辞書にあたると、ジガバチのことを古くはサソリとも呼んだという。蠍・似我蜂・アカザには「刺す」という共通性があるから、名前もそれに由来するのだろうか? ひょっとしたら「さそる」というラ行四段活用の動詞があったのか? 能登半島では鈎の付いた竿で磯の蛸を捕る漁を「タコさすり」と称するそうだが、この「さすり」はどうなんだろう?

また疑問がわき上がるわけだが、語源ほど難しいものはないから考えてもしょうがない。
それより、眼下の千曲川には今もサソリはいるんだろうか。
最近見た方、いますか?