[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

破壊王 永遠なれ…

2005-07-25 | 小魔人が歩んできた歴史
脳幹出血により11日に急逝した”破壊王”橋本真也選手の追悼番組が放送されました。数々の名勝負を目にし、破壊王の名の通り、壮絶な試合をやってきたんだなあと、改めて感じました。

橋本真也選手は、武藤敬司(全日本プロレス)・蝶野正洋(新日本プロレス)と共に、闘魂三銃士として、新日本プロレスの一時代を築き上げたレスラーでした。その中でも、重爆キックを武器にIWGPヘビー級のベルトを通算20回もの最多防衛を果たすなど、存在感を発揮していました。

引退をかけた小川直也戦に敗れ、2000年4月に一度引退したものの、復帰を祈願して、110万羽もの折鶴を贈られるなど、ファンからの応援を受ける形で9月に復帰しました。直後に新日本を退団し、11月に新団体ZERO-ONEを立ち上げました。その後、自身の右肩痛と経営不振により、昨年11月に活動を停止し、右肩を手術し、リングから遠ざかっていましたが、リハビリをしながら復帰を目指していた矢先に訪れた不幸でした。

小魔人は少年時代から新日本フリークでした。小魔人が小中学生時代は、新日本プロレスはテレビでゴールデンタイムに放送されていました。毎週晩御飯を食べながら見ていたものでした。今思えば、流血にまみれた激しい格闘を見ながら食事をするなんて…と、ちょっと不思議な感じもしますが、そもそも母親がアントニオ猪木のファンだったので、何の抵抗もなかったのでした。サーベルを片手にしたタイガー・ジェット・シンや上田馬之助が、リングの上で血まみれになって大暴れしている姿を見ながらも、食事はフツーに進み、チャンネルを変えようなどということは全くなかったものでした。

アニメのタイガーマスクを見て育ち、初代タイガーマスクに熱い視線が釘付けになったという世代の小魔人。少年の頃は、タイガーマスクの覆面をよく手作りしたものでした。果物を買ったときに入れてもらう茶色い紙袋を調達し、目の位置をくり抜き、極太マジックでトラの頭部の縞模様を書いて仕上げました。破れてはまた新しいものを作りで、すごい数を作ったものです。

これまでの長いプロレスの歴史の中でも、特に小魔人は、闘魂三銃士が好きだった。3人とも、切れのある、斬新な、カッコいい技を次々と見せてくれました。

蝶野と武藤と共に三銃士興行というような形で、3人がもう一度同じリングに上がる姿を見てみたかった…。

ご冥福をお祈りいたします。