1867年のこの日、財政難のロシアからアメリカが720万ドルでアラスカを買収した。アラスカを譲渡する条約に調印したのが、日本では大政奉還が行われ、江戸から明治に変わった年のこの日だった。
「アラスカ」という州名は、イヌイット語で「広大な大地や半島」を意味する"Alakshak"に由来する。
ヨーロッパ人として初めてアラスカを探検したのはオランダのベーリングで、1741年、シベリアから海を渡ってアラスカに到達した。彼の名前から、シベリアとアラスカの間の海峡は「ベーリング海峡」と命名されている。
アラスカの面積は1,530,686平方km(日本の約4倍)でアメリカ合衆国の州の中では最も広い。
また、人口は60数万人で、枚方市の人口の1.5倍しか住んでいないのである。もったいないというか、何と言うか…。
かつて、ロシアの捕鯨従事者や毛皮商人がアラスカに定住し、アラスカは帝政ロシアの植民地となっていた。 しかし、クリミア戦争後の苦しい財政状況にあったロシアはアラスカを売り渡すことにした。アメリカのスワード国務長官は、720万ドルでアラスカを買い取った。1平方キロメートル当たり5ドルに相当。
720万ドルは、現在の価値に換算するとおよそ9000万ドルである。だいたいの目安で言えば、スポーツ選手で毎年年収ランキングで1、2を競っている、タイガーウッズの1年分の収入に相当する。また、別の例では、日本の芸能人長者番付1位のみのもんたと2位のSMAP中居正広の年収を足せば買えるのだ。さらに、ホリエモンが自家用ジェット機の購入に支払った金額があれば、アラスカを5つも買うことができる。そんな金額でアメリカはロシアから買い取ったのだ。
当時、毛皮資源は乱獲のため激減し、アラスカは利用価値のない、役立たずの土地と考えられていたため、多くのアメリカ人は、この交渉をまとめたスワード国務長官を揶揄して、アラスカのことを「スワードの氷冷蔵庫」と呼んだ。
1880年に金鉱が発見されたことから、「役立たず」だと思われていた土地に、多くの人々が一攫千金を目指し移住した。その後も各地で大規模な金鉱脈が発見され、ゴールドラッシュの時代を迎えた。
そして、現在のアラスカは、石油と天然ガスの一大生産基地となっている。アメリカ全土の原油生産のうち、なんと25%はアラスカである。
ロシアは、さぞ悔しがっていることだろう。
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♪ ロシアが、ア~メリカにィ、大安売りしたアラスカは~、
宝の山~で~した~ ♪
ちっくしょーっっ!!!!by 小梅太夫
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