11月9日は太陽暦採用記念日
明治時代がまだ始まったばかりの1872年の今日、日本でも太陽暦が採用されることになった。
1872(明治5)年、明治政府が、それまでの太陽太陰暦(旧暦)をやめて、太陽暦(新暦)を採用すると発表し、
明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とすることになった。
1年が365日という暦は、BC46年にローマ皇帝のジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)によって定められたユリウス暦が最初だ。この時すでに1年を365日とし、4年に一回を閏年とする事も定められた。
現在日本を始め世界の多くで主流となっているグレゴリオ暦はこのユリウス暦を修正したもので、2000年以上も前にこれほど正確な暦を使っていたというのは全く驚きだ。
また、7月は英語で July というがこれはこの月生まれのJulius Caesar(ジュリアス・シーザー)から来ている。彼は大ローマ帝国の礎を作った英雄であるが、クレオパトラとの恋でも有名だ。帝王切開という言葉の由来も彼の名前からだ。
この石膏像の写真は小魔人が所有しているジュリアス・シーザー像である。
高級そうに見えるが、実は100均なのである。
ジュリアス・シーザーは諸国を遠征するのに統一した暦の必要性を感じ、ユリウス暦を作ったのだが、この頃は農耕が始まる3月を1年の始まりとしており、3月から31日の月を大の月、30日の月を小の月として交互に並べた。そして、最後の2月が29日になって、1年を365日とした。閏年の時は2月を30日とした。
しかし、彼の後を継いだ甥のAugustus Caesar(アウグストゥス)が厄介なことをした。
彼はシーザーの後を継いで、ローマ帝国の初代皇帝になった人だが、当時混乱していたユリウス暦を修正し、自らその功績をたたえて自分の生まれ月の8月を自分の名から、Augustとし、2月から一日持ってきて小の月(30日)から31日までの大の月としてしまった。
そして、その後の月の大小も並べ替えてしまって今のような形になった。しかしまあ、2000年も前の人の威光が今も生きていて、月の名称となってしまった上に、1ヶ月の日にちまでも決めてしまうとは・・・
ちなみに、9月以降はSemtember、Octorber、November、Decemberというが、それぞれラテン語で7、8、9、10番目を意味していて、本当の月と2ヶ月ずれている。
これは1年の始まりが3月だった事から来ているのだ。
例えば、10月という言葉は8本足のタコOctopus、また1オクターブに8個の音(ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド)を含むオクターブ(octave)に由来する言葉であるからも8とわかりやすいので、8月のままだったらよかったにと、ホント余計なことをしやがったもんだと思う。
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