今日、1月11日は「鏡開きの日」。
鏡開きの日には今年1年の一家円満を願いながら、正月に神様に供え、硬くなったお餅を刃物で切らずに、手や槌(つち)で”開”いて、お下がりとして頂くという風習をいう。
鏡餅には歳神様が宿っているので、神様とも縁を切らないように「割る」や「砕く」とは言わず「開く」と、縁起のよい表現を使う。
もともと鏡開きは、1月20日に行われていましたが、徳川三代将軍家光の忌日が20日であったため、幕府が蔵開きの日であった11日に変更し、それが現在に至っているといわれている。
私の幼少の頃にも、日にちはいい加減だったが、鏡開きのようなことをしていたような記憶がある。
手が痛くなるまでチョップをして、ビクともしないのを親に取り上げられる。
そして、割った餅を汁粉や雑煮に入れて食べたものだ。
寂しいかな。
年々、正月らしさというようなものは失われていく。
町並みの風景としての正月…。
ほとんどの家の玄関には注連縄(しめなわ)が飾られていた。
町行くクルマの鼻先にも。
町中がミカンだらけだった。
凧揚げなんて、冬休みは嫌というほどやった。
初めて『ゲイラカイト』を揚げたときの、あの感動たるや…。まさに全身が痺れた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~! あんなに高く、ほぼ垂直に揚がってるやんけ~。」
指先や映像でなく、全身で感動を味わうことができた。
DSやプレステのない時代に少年時代を過ごしたことを
すごく幸せだったと感じる。
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