1971(昭和46年)の今日 9月18日に日清食品がカップヌードルを発売した。
当時の日清の社長でチキンラーメンの開発者である安藤百福が、紙コップで食べられるラーメンをと発案して作られた。
当初の販売価格は1個100円だった。今とほとんどかわらないことにビックリ。
元々、容器の発想はというと、1966年にチキンラーメンの海外進出を目指してアメリカ人バイヤーに売り込んだ際、これらの人々が砕いたチキンラーメンを紙コップに入れ、これに熱湯を注いでフォークで食べていた事がヒントになったとのこと。
また、アルミ箔と紙を貼り合わせた構造の密封性の高いフタは、安藤がアメリカから帰国する際の機内食で出されたマカデミアナッツの密封パックで使われていたものをヒントにしているという。
新たなものを発想しようという思いを強く持つ人は、ヒントとなる物事にたまたま巡り合うんじゃなくて、アンテナの張り方が違うんだなあと思う。
ところで、
「日清食品」の社名、日清といえば、「日清戦争」をイメージする。
社名の由来に何か関連があるのかなあと思い、HPを見ると、
お客様窓口の[よくあるご質問]のページに、Q&Aで記載されていた。
「日々清らかに豊かな味をつくる」という日清食品の創業者である安藤百福の願いから生まれたものです。
なお、「日清戦争」との関係はございません。
とあった。
やっぱりか、同じように考える人が多いからやろなあと、ちょいと喜び…。
他にも興味深いものがあった。
Q、 「日清焼そばU.F.O」の名前の由来を教えてください。
A、 U.F.Oとは、U:「うまい」、F:「太い」、O:「大きい」の頭文字からとっています。
Q、 「日清ラ王」の名前の由来を教えてください。
A、 「ラーメンの王様」からラ王とネーミングしました。
( ここには、「北斗の拳」とは無関係ですとは書いてなかった… )
また、もう一つ発見があった。
「どん兵衛」 や 「ごんぶと」など、一部の商品で東西で味付けが違うというのだ。
名古屋地区を「味の境界線(日清のどん兵衛の場合)」として、
西日本用・東日本用と分けて販売しているのだそうだ。ちなみに愛知は東日本用。
東西の見分け方については、 商品のフタ等に(E)または(W)と記号がついている。
Eastの(E)=東日本用、 Westの(W)=西日本用
味の違いはというと、
東日本向けは「カツオ」を基本味としたのに対して、西日本向けは「昆布」の割合を
多くしている。
細かい配慮があるんだなあ…。
現在は撤去されて、もうなくなってしまったようだが、かつてカップヌードルの広告が、
世界一高額な看板広告であるニューヨークのタイムズスクエアにでかでかと出ていた。
もう一つおまけ:
カップヌードルと『あさま山荘事件』との深いつながりをご存知だろうか。
発売当初は関東地方のみでの販売だったが、販売開始翌年の1972年2月に、あさま山荘事件が起こった。
機動隊員らがカップヌードルを食べる場面が全国に生中継され、各地域から販売希望が多数寄せられ、それが全国販売のきっかけをつくったのだ。
この事件で陣頭指揮を執った佐々淳行の回想によれば、
零下15度にも達する酷寒の中で現場に張り付く機動隊員への給食は困難を極めたが、その場で湯を注ぐだけで暖かい食事ができるカップヌードルは隊員の体力・士気を維持するのに大いに役だったとのことであった。
今回は、なんか、日清食品の回し者っぽくなってしまったが、
実は、私、カップラーメンがあまり好きではないので滅多に食べない。
少し面倒でも、袋入りインスタントラーメンの方を好む。
少し面倒でも、何か少々具を入れて作る、という方針だ。
最新の画像[もっと見る]
- どうして勉強するの 11ヶ月前
- 困難を分割する力:井上ひさし、デカルト、ビル・ゲイツの教え 2年前
- 鬼滅乗っかり 4年前
- 南河内へ歴史を訪ねる 16年前
- 南河内へ歴史を訪ねる 16年前
- 京都ぶらり 17年前
- 京都ぶらり 17年前
- 京都ぶらり 17年前
- 桜の通り抜け 17年前
- 初詣 17年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます