6月10日は「時の記念日」です。天智天皇が、近江大津京の内裏に漏刻(ろうこく)を設置して、鐘や鼓を鳴らして時刻を知らせたと日本書紀の記述にあります。これが日本における最古の時報ということになります。歴史で習う有名な人物ですが、中臣鎌足ととともに蘇我氏を滅ぼし、大化の改新を行い、律令国家体制の基礎をかためた中大兄皇子(=即位後・天智天皇)でしたね。
漏刻とは水時計のことで、その構造は、全部で五つの階段状に並んだ水槽からなり、水が一定の速度で水海とよばれる壺(つぼ)に貯まり、水海の水位から時刻を測るというものです。
この漏刻の採用には、たいへん大きな意味がありました。そこには「時空」をも支配しようとする当時の朝廷の政治改革の理念が、象徴的に示されています。
「時の記念日」にまつわるオマケとして、「時」に関する雑学を紹介します。
*時計の針はなぜ右回りか?
「時計回り」という言葉があるくらいですが、時計の針が右回りに動くというのは、エジプトで初めて作られた日時計の「針」つまり、地面に投影された太陽の影が右回りに動くことに由来するからです。太陽の運動は東→南→西なので、その影は西→北→東という右回りになります。機械式の時計もこの運動に合わせたのです。もし、南半球で日時計が誕生していたら、左回りになっていたかも知れませんね。
*なぜ時計の文字盤には0の数字がないのか?
モノサシでも体重計でも、計測器は何でも0から始まるのに、時計の文字盤は12から始まります。これは、時計の発明よりも「0」の発見の方が遅かったということなのです。インドで「0」が発見されるよりもずっと前に時計は発明されており、文字盤のついた日時計や水時計がすでにあったのです。
*現在のような時計はいつ日本にもたらされた?
日本に初めて機械時計(歯車の置時計)が渡来したのは、スペインの宣教師フランシスコ=ザビエルによって大内義隆に献上されたのが最初とされている。時打ち装置をもつこの時代の時計は自鳴鐘と呼ばれていました。
*サマータイムとは?
「サマータイム」は、夏期、時計を1時間すすめるというものです。現在、世界中で70以上もの国がこの制度を実施しています。日本も戦終に4年間だけ導入したことがあります。「サマータイム」のメリットはというと、夏の日光をたくさん浴びることにより、健康によい。夜は早く寝るようになるので、電気が節約できる。明るいうちに仕事が終わるから、遊ぶ時間が増えることにより消費が増え、景気がよくなるとも言われています。エコな私は、日本もこの制度を導入すればいいのにと思います。
漏刻とは水時計のことで、その構造は、全部で五つの階段状に並んだ水槽からなり、水が一定の速度で水海とよばれる壺(つぼ)に貯まり、水海の水位から時刻を測るというものです。
この漏刻の採用には、たいへん大きな意味がありました。そこには「時空」をも支配しようとする当時の朝廷の政治改革の理念が、象徴的に示されています。
「時の記念日」にまつわるオマケとして、「時」に関する雑学を紹介します。
*時計の針はなぜ右回りか?
「時計回り」という言葉があるくらいですが、時計の針が右回りに動くというのは、エジプトで初めて作られた日時計の「針」つまり、地面に投影された太陽の影が右回りに動くことに由来するからです。太陽の運動は東→南→西なので、その影は西→北→東という右回りになります。機械式の時計もこの運動に合わせたのです。もし、南半球で日時計が誕生していたら、左回りになっていたかも知れませんね。
*なぜ時計の文字盤には0の数字がないのか?
モノサシでも体重計でも、計測器は何でも0から始まるのに、時計の文字盤は12から始まります。これは、時計の発明よりも「0」の発見の方が遅かったということなのです。インドで「0」が発見されるよりもずっと前に時計は発明されており、文字盤のついた日時計や水時計がすでにあったのです。
*現在のような時計はいつ日本にもたらされた?
日本に初めて機械時計(歯車の置時計)が渡来したのは、スペインの宣教師フランシスコ=ザビエルによって大内義隆に献上されたのが最初とされている。時打ち装置をもつこの時代の時計は自鳴鐘と呼ばれていました。
*サマータイムとは?
「サマータイム」は、夏期、時計を1時間すすめるというものです。現在、世界中で70以上もの国がこの制度を実施しています。日本も戦終に4年間だけ導入したことがあります。「サマータイム」のメリットはというと、夏の日光をたくさん浴びることにより、健康によい。夜は早く寝るようになるので、電気が節約できる。明るいうちに仕事が終わるから、遊ぶ時間が増えることにより消費が増え、景気がよくなるとも言われています。エコな私は、日本もこの制度を導入すればいいのにと思います。
やっぱ小魔人やな